行方知れぬ流れに抗い
翌朝――
エメラルドは、医療院の個室で目を覚ました。
窓の外に広がる空は、既に夜明けを迎えていた。
――おかしな事だが、いつベッドに入っていたのだろう? 失神するように眠りに落ちたせいか、不気味な悪夢の感触は残っているが、内容を覚えていない。
それに、昨夜はドレス姿だった筈だ。いつ、お茶を済ませてレストランを出たのかも、記憶は定かでは無い。偵察に無様に失敗していた、などという結果になっていなければ良いが、明確な記憶が無いだけに、何とも言えない。
エメラルドは、ベッドの中で、つらつらと考えを巡らせた。昨夜は、無意識のうちに武官としての習慣が機能し、キチンと着替えを済ませ、入浴も済ませた上に、いつもの寝巻に着替えて寝ていたらしい。
ただし――セレンディの魔法の杖を握り締めたままで。まるで、その杖が命綱でもあるかのように。
ロドミールには《宿命の人》が居た。《宝珠》適合率、80%ライン。本物の婚約を思案するレベル。
しかも、そのお相手と来たら、神殿トップを務める4人のうち1人、《水》の大神官長ミローシュの愛娘だと言うのだから、目を見張るべき大躍進が、おまけに付いて来る。神殿組織の特徴を考えてみても、ロドミールは数年後には、間違いなく大神官に昇格しているだろうと予想できる。
親友の1人としては、ロドミールの幸運を喜ぶべきなのだろう。元々、ロドミールとエメラルドの《宝珠》適合率は50%、すなわち親友ラインだ。時間を掛けた交際を通じて、《宝珠》適合率はかなり上昇したとは思うが、依然、太鼓判レベルと言う訳では無い。
――しかし、それでも――
エメラルドの心の底には、モヤモヤしたわだかまりが残った。
「《宿命の人》が居るなら居たで、変に行方をくらましたりしないで、ハッキリ言ってくれたら良いじゃない」
エメラルドは深い溜息を付き、ベッドで丸くなった。
――これが、失恋というものか――
心の中に、仄暗い空虚が出来たようだ。自分で思っている以上に心身に大きな衝撃を受けたらしく、いつもの気力が湧いて来ない。いつか読んだロマンチック恋愛小説みたいなドラマチックな涙は出て来ないが、その代わり、モヤモヤしたわだかまりの密度が、次第に色濃くなっていく。
エメラルドは、武官としての習慣で、いつの間にかロドミールの言葉の内容を精査し始めていた。
――実は、エメラルド隊士の《宿命図》に、恐るべき大凶星と思われる相が浮き出て来ているのです。次の『バーサーク危険日』の時にバーサーク化する可能性が、かなり高い――
エメラルドは、不意に引っ掛かる物を覚えた。
ロドミールの口調は硬かったが、あれは間違い無く、何らかの確信を抱いている口調だ。50%以上の確率で、いや、100%に近い確かさで、エメラルドがバーサーク化する――とでも言わんばかりだった。
(ロドミールは、私の《宿命図》の何に、気付いたんだろう? 私自身は「もしかしたら」というだけの事しか知らされていないし、実際、ウラニア女医も、女性スタッフを通じての伝言ではあるけれど、「宿命図が不安定になっている」という以上の事は、言及しなかった――)
それに。
大凶星の相が浮き出て来たという事に気付いていたのであれば、ロドミールは何故、気付いた時点で、口で直接、警告してくれなかったのだろうか?
――流石に、徹底的に武官向きの気性と言うべきか。ロドミールを「スパイ容疑者」と見立てて問いただすべき項目を思案しているうちに、気力が湧いて来たような気がする。
エメラルドはムクリと起き上がると、いつもの街着に着替えた。長持の中を改めて調べる――
(――?)
思わずギョッとして息を呑む。昨夜は着ていた筈の、あの新品の正装が行方不明だ。何処へ消えたのだろう?
エメラルドは余りハッキリしない記憶を呼び起こそうとしたが、思い出せない。
困った――偵察活動に、やはり無様に失敗していたのだろうか? 夜の街の何処かで、変態に遭遇して、衣装を剥ぎ取られたとか……
「――エメラルド隊士? 何を探してるんですか?」
いきなり背後から女性スタッフの声がして、エメラルドは思わず「ヒャッ」と言いながら飛び上がった。
「え? あら、ごめんなさい! そんなに驚かせるとは思わなくて。お手伝い必要ですか?」
女性スタッフは、いつも通り人懐っこく、気を利かせて来た。脇には、朝食を乗せたワゴンがある。何でもない事だが、その変わらぬ態度と光景に、エメラルドは少しホッとしたのであった。
女性スタッフは、エメラルドの様子がいつもと少し違うという事に気付いたらしい。エメラルドが朝食を取っている間、「やはり、セレンディさんやファレル君が旅立った後は、寂しいですね」と微笑みながら、巷で流れている、時事的な雑談や噂を並べていったのであった。
――そして意外な事に、その中で、エメラルドのドレスの行方が判明したのであった。
「そう言えば、エメラルド隊士。新人のコック見習いくんが『昨夜遅く、幽霊を見た』って震え上がってたんですよ。女性用の入浴場の方なんですけどね」
「女性用の入浴場……」
「怪談に興味おありですか? それが何とも不気味な話で。こんな、『バーサーク危険日』やら特殊作戦やらに対応して、研修医スタッフはおろか医師すらも総出で大車輪なんて言う、おバカな程に多忙な時期じゃ無ければ、パトロールの方にも余力が割けた筈なんで、こんな事は普通は無かったと思うんですけどね。医師や研修医って、同時に特殊技能のある上級魔法神官でもありますから」
――その、哀れな新人くん、いわく。
女性用の入浴場は、一切、明かりが付いていなかった。それなのに、誰かが利用しているらしく、お湯の音がした。そこからして、まず不自然だ。闇の中で目を凝らしていると、やがて、ひとりでに、入浴場の扉が開いた。誰かが魔法で開いたようだが、聞こえて来てしかるべき、エーテル騒音が無い。余程の魔法の熟練者らしいが、そんな熟練の魔法使いは、今のところ、医療院に入院していないのだ。
更に、信じがたい光景が続いた。ピチャ、という滴り音に続いて、入浴場の扉から、グッショリと濡れた、若い女性向けのドレスが出て来た。上から下に向かって白から紫のグラデーションになっている、惚れ惚れするような染めのドレスだ。そのドレスは、見る間に青い炎に包まれ、燃え上がった。燃え上がりながら、新人くんの方をユラリと振り向いて来た――
女性スタッフは眉根を寄せつつ、ヤレヤレと言ったように首を振った。
「そこで、新人くんは恐怖の余り、記憶が切れちゃったんですね。悲鳴を上げる事も忘れるくらい怯えて、一目散に逃げ出した……という事の他は、覚えてない状態なんですよ。でも想像してみると、不気味だけど不思議な幽霊って感じですよねぇ。一体、どんなミステリーがあったんだか」
エメラルドは、微妙な気持ちになった――ごめんなさい、想像力の強すぎる新人くん。見習いという事は、人体換算すれば、まだ12歳といったところだろうに。
「えっと、それが幽霊だと言う根拠は何だったんですか? 燃えたのなら、その灰が残っている筈ですが」
女性スタッフは、困ったような苦笑いを返して来た。
「それが不思議なところでしてね、エメラルド隊士。灰すら残さず燃えちゃったみたいですね。原子レベルになるまでに分解しちゃったのなら、もう普通の魔法使いでは追跡できないんですよ。それに、新人くんが死ぬほど怯えたと言う事の他には被害は全く無いですし、警備隊の魔法使いによる調査が入るかどうかは、この『バーサーク危険日』を間近に控えた時期には、流石にねぇ」
雑談が一段落したところで、女性スタッフは「昨日、説明していた、バーサーク化を抑える拘束具です」と言いながら、セレンディが装着していたのと同じタイプのチョーカーを渡して来た。
「――あの、治療師であれば、《宿命図》は読めますか? 私の《宿命図》に、バーサーク化する兆候が出て来ているのかどうか、どうも気になるんですが……」
暫し、女性スタッフは驚いたように瞬きした後、申し訳ないと言った様子で眉根を寄せて微笑んだ。
「ごめんなさい、エメラルド隊士。治療師は、神官のように《宿命図》を読む能力は無いんですよ。せいぜい大天球儀の各種操作とか、『位置情報魔法』を組み合わせるところまででして、普通の魔法使いと、どっこいどっこいです」
女性スタッフは、あごに手を当てて、慎重に思案する格好だ。
「――言ってみれば、あらゆる『位置情報魔法』の上を行くのが、《宿命図》占術――《神祇占術》なんですよね。《宿命図》は量子状態みたいにボンヤリしてる代物ですし、その星々の位置と速度を判読する能力があると判明した時点で、神官に昇格するんです」
次いで女性スタッフは、エメラルドを安心させるかのように、自信満々の笑みを浮かべたのであった。
「ウラニア女医の見立てによれば、エメラルド隊士の場合はバーサーク化リスクをほぼ抑え込めたという事ですし、《宿命図》の乱れが大きいというだけですので、そんなに心配は無いと思いますよ」
*****
女性スタッフの説明は、論理的には納得できる。だが――
エメラルドは、女性スタッフが「ごゆっくり」と言って個室を出て行った後も、つらつらと思案に沈んだ。
ロドミールとの長い交際の甲斐あって、ロドミールのちょっとしたクセや口調の微妙な変化などは、ほぼ網羅している。勿論、完全にと言う訳では無いけれど。
そのロドミールの、確信のある口調が、やはり、どうにも引っ掛かる。
偶然か故意か、いずれにしても、ロドミールが『遠方出張』ないし『諸般多忙』を言い訳にして、ずっと行方をくらます形になっていたのは事実だ。ティベリア嬢への嫉妬も大いに含めつつ――と正直に認めながらも、疑い深く検討してみれば、まるで、浮気に際してアリバイを作っていたかのような行動である。
それに目下の、自分の問題は――そこまで考えて、エメラルドは不意に閃いた。
――バーサーク化を自力で阻止できるような方法は、あるのでは無いか?
そう思いつくと、エメラルドは居ても立っても居られなくなった。
ちょうど、医療院の隣に、大図書館があるでは無いか。古今東西の書籍が揃う《知の殿堂》大図書館になら、ヒントが眠っているかも知れない――
*****
神殿付属の大図書館の受付では、いつもの業務が続いていた。新しい書籍の受け入れと、その分類である。
若手ベテラン司書『風のユーリー』は、いつものように新しく入ってきた書籍の概要を簡単なメモにまとめ、手持ちの半透明のプレートに詰め込んで行った。――これで良し。
ユーリー司書は、新人司書のグループと共に最後のチェックを済ませると、新人司書たちに、新しい書籍の本棚への収納を指示した。書籍の山を乗せたワゴンが、新人司書たちと共に転移魔法陣で所定の位置に移動して行ったのを見届ける。
受付に戻ったユーリー司書は、早速、新顔の存在に気付いた。
思案顔をしながら、受付ロビーにある大天球儀を魔法の杖でつついている。明らかに、此処に不慣れな様子の、恐らくは新規利用者だ。
同年代の女性だ。エメラルド色のムラのある髪をキッチリとした武官仕様ポニーテールにまとめており、見るからに文官では無い。ざっくりとした街着をまとっているが、その鍛えられた足取りは、確実に武官の類だ。不安げな面差しは、人並みに埋もれて目立たないタイプの人相として形作られているものの、ジッと見ると、繊細な柳眉が意外に上品な雰囲気を醸し出している。
ユーリー司書は、エメラルド色の髪をした若い女性に近づいた。
「いらっしゃいませ。お手伝い出来る事は、ありますでしょうか?」
新顔の女性は、ユーリー司書の、竜王国の紋章入り蔽膝――公式な事務女官としての制服――を眺めて、ホッとしたような顔を向けて来た。だが、その質問は、とんでもない代物だった。
「――凶星に関する資料は、何処にありますか? 主にバーサーク化に直結する《宿命図》相についてですけど」
ユーリー司書はギョッとしながらも、魔法の杖を構えて、手持ちの半透明のプレートをつつき始めた。
「あの、その類の資料を利用する人については、直近の個人情報を確認させて頂く事になっております。『バーサーク危険日』対応の一環として――差し支えなければ……?」
「ああ、済みません。私は今、隣の医療院に入院中で……『風のエメラルド』です」
「あ、バーサーク傷を受けた方ですね。事情は大変良く分かりました」
エメラルドは困惑の笑みをこぼすばかりだ。
「分かるんですか?」
ユーリー司書は、シッカリとうなづいた。
「ええ。バーサーク傷を受けた方々は、回復期になると、その類をお調べにいらっしゃるのが多いですから」
「そういうモノなんですね」
ユーリー司書は手元のプレートをつつき、スケジュール表を眺めた。この後は新人司書のローテーションだ。ベテラン司書はその分、手が空く。いつもなら『風の噂』や『井戸端会議』に流す書籍情報をピックアップするところだが――
ユーリー司書は、長年の司書としての勘で、エメラルドが『必ずや、解答を見つけてやろう』と決意をしている事に気付いた。何らかのタイムリミットがあるのか、焦りも仄見える。どのような解答を見い出そうとしてるのかも謎だが、そのミステリーは、ユーリー司書の直感を揺さぶり、好奇心をかき立てるのに充分であった。
――それに、エメラルドとは良い関係が築けそうだ。例えば、一緒に女子会するレベルの。
それは、もはや確信だった。ユーリー司書は、春の空のような柔らかな色合いの目を細め、ニッコリと微笑んだ。
「この『風のユーリー』が御一緒いたしましょう、エメラルドさん。実は私も、バーサーク関連については不案内なのです。この機会に、共に知見を深めたいと思います」




