思い惑いの曲がり角(後)
休日の宵とあって、高級レストランやその他の店が並ぶ高級プロムナードの客足は多い。目下、最悪のタイミングという事があって、医療院のメンバーは休日の恩恵に与れなかった訳だが。
――「お忍び中の良家の令嬢」設定で、経験豊かな店スタッフをペテンに掛けられるだろうか?
いざ高級レストランのゲートに接近する所で、エメラルドは暫し逡巡した。だが、どんなに取り繕っても、失敗する時は失敗するのだ。事前情報は多いに越した事は無い。エメラルドは早速、物陰で『地獄耳』魔法を発動してみた。
セレンディの魔法の杖は、優秀だった。エーテル騒音が出ない――ほぼ隠密レベルである。セレンディの魔法の杖は、早速、役立ちそうな会話を流して来た――
『――おい、まだ彼女たちの用事は終わらないのか? 会食の時間に遅れちゃうよ。今夜は御本尊も出て来る絶好のチャンスだろうに。特等席をキープしたんだ、上級魔法神官との取り合いにまでなってね。さっき、上席のオッサンを見たらビッグネームじゃ無いか、冷や汗かいたよ』
『シェルリナ嬢と此処の友人たちの買い物は長くなるって、言っただろうが。女ってのは、そんなもんさ。この分だと、此処へ来るのは客が一巡した頃だな、ハハハ。まぁ、展望台のバーまで行って貴重な休暇を楽しもうじゃ無いか。此処からの夜景と、特製のカクテルの組み合わせは、見ものだ』
――ふむ。感じからすると、この「噂のシェルリナ嬢」は、エメラルドが化けても不自然に思われないお年頃のようだ。一回り若そうな感じもするが、夜間営業の店を回れる年齢――既に成体と見なされる年回りだという事は、確実である。
エメラルドは、高級レストランに乗り込んだ。「お忍びの令嬢」という設定どおりに、足取りは武官風では無く、女官風を装っておく。
物慣れた店スタッフが、「いらっしゃいませ」と言いながら、にこやかに出迎えて来た。客と認識されたようだ――第一関門は突破した。ただし、物慣れた風のスタッフは騙しにくいから、臨機応変に理由を取って付ける事にする。
「シェルリナ嬢の代理で参っております。彼女は知人と待ち合わせしているのですが、もう少し遅くなりそうなので。ただ、時限までには間に合わせるとの事でしたので、今、先着の方々をお呼び頂く必要は御座いません。万が一の中継のため、シェルリナ嬢の席に着いておきたいので、ご案内お願いしますわ」
――よし。舌を噛まずに、滑らかに言いきれた。店スタッフは少しの間、不思議そうな顔をしていたが、特に疑うべき理由は思いつかなかったらしい。
「どうぞ、こちらで御座います。お客様、お名前は何とお呼び申し上げれば宜しいでしょうか?」
「私は《風霊相》です。シルフィードで構いません」
「了解いたしました。お茶などは、如何いたしましょうか?」
エメラルドは頭全体を覆ったスカーフで、適当に人相をカバーしつつ、少し首を傾げた。ちょっと考えた後、以前に此処で頼んだ紅茶メニューを思い出す。
「では『暁星』を……紅茶のメニューにあった筈ですけど」
「承りまして御座います、シルフィード。では、こちらで多少お待ちくださいませ」
エメラルドは、神殿でよく見かける女官の身のこなしを思い出しながら、慎重に案内された席に着いた。ざっと観察してみる限りでは、7人席だ。『地獄耳』で聞いた限りでは、4人から5人の会食だろうと思われたのだが、「噂のシェルリナ嬢」を取り巻く知人の方が数が多いらしい。
エメラルドは、設定が上手く行ったと、ホッとした。
中階層に位置し、趣味の良い仕切りで予約席ごとに仕切ってあるため、落ち着いて会食が出来る――かなりの上席だ。地上階層はひっきりなしに客の出入りがあり、展望台と連結する屋上階層はバーとなっていて、ザワザワした雰囲気の方が強いものだが。
(会食席という事は、ロドミールは誰かと会食しているという事だ。一体、誰と……?)
思案しているうちに、先ほどの店スタッフが丁重な様子で茶を運んで来た。女官を装ってキチンとした感じの御礼で応え、魔法の杖を通じて都度清算を済ませる。店スタッフが去って行った後も、思い出せる限りの卓上マナーを思い出しつつ一服する。
――美味しい。
お気に入りの紅茶は、記憶にある通りの不思議な彩りと、豊かな味わいだ。少し気持ちがほぐれ、エメラルドは思わず笑みを漏らした。
待ち合わせと言う偵察上の設定どおりに、一旦クルリと辺りを見回し、調度を観察する。
卓上には半透明のプレート――医療院の女性スタッフが常に持ち歩いている折り畳みタイプが置かれている。中身を展開してみると、神殿街区のガイドブックだ。相当量の情報を詰め込めるというメリットを活用している訳だ。
エメラルドは、ペン程の大きさをしたセレンディの魔法の杖で半透明のプレートをつつき、ガイドブックに目を通している振りをしながらも、『探知魔法』を併用した『地獄耳』を発動した。
探知魔法は、退魔樹林を超えて城壁に這い寄る魔物を探知するための手段だから、城壁ハイウェイをパトロール中の当番の隊士たちからの物が、此処まで混ざって来ても不自然では無い。しかし、まさか恋人にこれを使う羽目になるとは思わなかった。
*****
ロドミールの位置は、すぐに判明した。
探知魔法の測定結果を半透明プレートの中に展開してみると、四色の濃淡のイメージのみだが、2つ仕切りを隔てた会食席で、3人で会食している様子が浮かび上がる。
――《水》の青、《水》の青、《地》の黒。
セレンディの魔法の杖は、早速、会話の模様を運んで来た。最初は、初老と思しき男の声だ。
『――ロドミール君。貴君は、神殿隊士を務める女武官エメラルドと親しいと言う噂を聞いているが、エメラルド隊士との関係は、どのような物なのだ?』
エメラルドは、一服しかけた紅茶を、吹き出しかけた。
いきなり自分の名前が出て来るのは、ギョッとする。危ない所ではあったが、粗相という程のレベルでは無く、ホッとする。
『ミローシュ猊下、猊下がお気になさるような事は、何も御座いません』
これは、ロドミールの声だ。気のせいか、ロドミールの声は緊張していて、硬い感じだ。
――それに、猊下。ミローシュ猊下と言えば、《水》の大神官長ミローシュの事では無いか――そう、「噂のシェルリナ嬢」の男友達がいみじくも感想を漏らしたように、想像以上のビッグネームだ。いつの間にか、ロドミールは大神官長と親しく会食するようなレベルにまで出世したらしい。
エメラルドは跳ね回る心臓をなだめ、手巾で口元を抑えつつ、耳を澄ませた。ロドミールは慎重に言葉を選びつつ、「ミローシュ猊下」の問いに答え始めた。
『――実は、エメラルド隊士の《宿命図》に、恐るべき大凶星と思われる相が浮き出て来ているのです。次の『バーサーク危険日』の時にバーサーク化する可能性が、かなり高い。それで、前々から注意して観測しておりました。勿論、私は、彼女と恋人関係にあった事はありません。ですが、彼女は私にとって、大切な『親友』の1人です』
――どういう事なの?
エメラルドは呆然としたまま、何も考えられなくなった。
そうしているうちにも、ミローシュ大神官長は、『成る程』と呟き、ゆっくりとうなづいたようだった。
『そう言えば、エメラルド隊士は重度のバーサーク傷を負っていたと、ウラニア女医から報告を聞いた。経過は良好だそうだが、親友としては、やはり心配だという事は理解できるよ』
暫し間が空いた。ミローシュ大神官長は、お茶かお酒を一服したらしい。やがて再び、初老の男の声が穏やかに続いた。
『ティベリア、お前は素晴らしい男を見初めたようだ。しかも、お互いの《宝珠》の適合率は80%ラインと出ている。お互いに、限りなく《宿命の人》同士だ。父親としては、何も言う事は無い。勿論、すぐに――と言う事は出来ないが」
再び、意味深な間が空いた。
ロドミールの性格からすると――ロドミールは、ティベリア嬢と思しき女性に、笑みを浮かべて見せたのでは無いだろうか。《宿命の人》に対して本能的に湧き上がって来る、本物の愛情を込めた微笑みを。
――《宿命の人》。《宿命の人》。《宿命の人》……!
エメラルドもまた《宿命図》に支配される竜人の1人として、今や、理解せざるを得なかった。
――ロドミールがお見舞いに来てくれたのは、恋人としてでは無かった!




