朝の応接室にて
翌日の午前の半ばの刻――
エメラルドは、セレンディとファレルの個室を訪れる前に、念のため、再び医療院の通信室に入り、ロドミールに連絡を取ってみた。しかし昨日と同じように、ロドミールの同僚が余りハッキリしない返答を寄越して来た。
いずれにしてもロドミールの不在が続いているらしい。
問題の忘れ物――『上級占術・匿名相談コーナー』のチケットには使用期限があるが、まだ2週間先(今日の時点で、1日減ったが……)というタイミングだ。使用期限が来る前までに連絡が取れれば良いのだから、余り急がなくても良い。
そもそも上級魔法神官ほどの魔法能力を持たないエメラルドは、ロドミール本人の魔法の杖へ向けての、直通メッセージを送る事は出来ないのだ。
通信セットを使わずに直通メッセージを送るには、本人の位置が『位置情報魔法』で精密に割り出せていなければならないし、その上、『機密会議の途中』だとしたら、メッセージを送れるどころでは無い。
エメラルドは気を取り直し、セレンディとファレルの居る個室へと足を向けた。
クラウン・トカゲの厩舎を回るという事も考えて、いつもの髪留めで、サッと髪型をまとめた……うなじの後ろで簡素にまとめる形だ。野外用のざっくりとした羽織も準備してある。
*****
昨日のように、エメラルドが赤ちゃんドラゴンの蹴鞠の遊び相手を務めているうちに、約束の時間になった。
セレンディが訪問者のノック音に応じて扉を開けると、そこには、いつかの上級魔法神官と下級魔法神官が居た。
――《火》のライアス神官と、その若き弟子の、《風》のエルメス神官だ。
赤ちゃんドラゴンのファレル君が早速、小さな赤い翼をパタパタさせてライアス神官とエルメス神官に駆け寄り、握手よろしく差し出された手に順番に鼻をすり付けて、愛嬌を振りまいた。エメラルドに対しても物怖じは全くしていなかったし、なかなか人懐っこい男の子のようである。
プライベートに属する事なので、専用の応接室で話をしましょう――との事で、エメラルドを含む一行はセレンディの個室を出て、医療院の中にある別室――天球儀の形をした常灯のある応接室に入った。
応接室の中心に円卓があり、台座の上に乗せられた小ぶりな天球儀が、ボンヤリと光っていた。片手に載る水晶玉ていどの大きさだ。大人4人が、円卓の周りに並ぶ椅子に腰かける。
赤ちゃんドラゴンのファレル君はセレンディの膝の上にお座りである。初めて見る卓上の天球儀に大いなる関心を抱いた様子で、円卓の上に身を乗り出し、つぶらな金色の目を見張って、そのゆっくりとした回転をジッと眺め始めた。
ライアス神官が口を開く。
「セレンディ殿、ファレル君の《宿命図》を元にした身元証明書が出来たので、まずそれを渡しましょう。これで、竜王国の国籍を持つ者としての、全ての扱いが受けられるようになる」
セレンディはお礼を言って、ファレルの身元証明書を受け取った。濃いペリドット色をした特殊な正方形のカードに、《宿命図》ホログラムが描かれてある。《火霊相》生まれを暗示するかの如く、赤い色の多さが目立っていた。
セレンディは魔法の杖で身元証明書をつつき、ブレスレットの形にしてファレルの手首に巻いた。本来の身元証明となる『魔法署名』が出来ない幼体のうちは、こうして身元証明書を『魔法署名』代わりに身に着けておくのだ。迷子カードにもなる。
赤ちゃんドラゴンは不思議そうに首を傾げて、新しく装着されたペリドット色のブレスレットをクルクルと回し出した。
ライアス神官は、穏やかなワインレッド色の目で赤ちゃんドラゴンを眺めた後、再びセレンディの顔を見て、更に言葉を続けた。
「我々が解読したところ、ファレル君の《宿命図》には《争乱星》は見られなかった。たまに遺伝する事があるのだが、ファレル君は両親の特徴を上手に受け継いだようだ」
セレンディは両手で口元を覆い、ホッとしたかのように大きく息を付いた。今まで、緊張で呼吸を止めていたのは明らかだった。
「――良かった……!」
他人事ではあるが、エメラルドも同じ思いだ。
凶相とされる相にも種類があるが、特に大凶星とされるだけあって、《争乱星》持ちは色々と苦労が多い。バーサーク化しやすい性質は、ほとんど天災のような物だ。竜人という種族全体としても、そのリスクをコントロールし切れているとは、まだまだ言えない状態である。
エルメス神官が補足説明をする。
「成体脱皮までの間に星々の相が成長するので、今の時点では確定的な事は言えませんけど、神官や魔法使いに向く感じですね。いずれにしても、色々な事を経験させてやって下さい」
赤ちゃんドラゴンは、エルメス神官が持っている半透明のプレートに興味津々で鼻を近付けた。エルメス神官は上手にいなし、ファレル君をボールのように丸めて転がす。ファレル君は新しい楽しみを発見し、キャッキャッとはしゃぎ出した。
セレンディが、その様子を意外そうに眺めた。
「エルメス殿は若いのに、幼体の扱いに慣れてますね?」
「えぇまぁ、師匠の小さなお嬢さんに、随分と鍛えられましたから……」
ライアス神官が困惑顔をして、弟子の頭を軽くはたいた。
――そう言えば。エメラルドは、ふと思いついた。
「普通は手の平から《宿命図》を透視するみたいですけど、竜体状態でも透視できるんですか?」
その質問に答えたのは、ライアス神官だ。
「基本的には、手の平でも何処でも読める。手の平は《宿命図》の情報が密集している場所だから、透視するのに便利でね。出生時の《宿命図》は翼から読み取る事になっている――成体でも翼から読む事は出来るが、手の平に比べると面積が大きくなるから、やはり時間が掛かるな」
――成る程。魔法でも、或る程度は物理条件に左右される訳だ。もしくは、身辺サイズのレベルでは、古典的な物理条件の方が支配的と言うべきか。
エメラルドは、ロドミールに『上級占術』の一種だと言う「健康運の強化」を施された事を思い出した。
「健康運や恋愛運、金運を動かす時も、手の平を通して『上級占術』というのを施すんですか?」
「そうだ。読み取りより格段に難しい――高度治療のレベルになるから、出来る者は限られるが。それに倫理といった面でも、微妙な要素を含んでいる。色々な影響を見極めた上で、それを施すかどうかを決める必要がある」
一区切りついたところで、エルメス神官が口を挟んだ。
「神殿の《盾神官》が、最高位の上級占術の使い手です。神殿の守護《四大イージス》――特に《風の盾》は、《死兆星》のような予期せぬ凶星の接近をも跳ね返すのですよ」
「それが、ラエリアン卿の怒りと疑惑を、尚更にかき立てている訳ですね……」
セレンディは複雑な顔をして微笑んだ。
「現在は、珍しく《風の盾》が揃っているそうですね。その人の名前は確か――」
――風のエレニス・シルフ・イージス。
神殿に属する神官は多く、何がしかの称号を持つ神官も少なくないが――イージス称号を持つ《盾神官》は、《四大》に応じた4人しか居ない。その4人のうちのトップだ。
誰が《盾神官》なのかは神殿の最高機密であり、4人の《盾神官》の顔を知る者は限られている。特に、《風の盾》の顔を公に知るのは《風》の大神官長なのだが、《風》の大神官長から最高機密を聞き出そう――という命知らずは居ない筈だ。
「そう言えば、エレニスとエルメスって、何だか名前が似てますよね」
エメラルドの投げた言葉に、エルメス神官は苦笑いして答えるのみだ。
「滅相も無いです、エメラルド隊士。名前が似てるだけの事ですよ。私が《風の盾》だったりしたら、今ここに、こうして居ないでしょう。そもそも《盾神官》が神殿を取り巻く凶運を如何にして察知して弾いているのかは分からないんですが、我々とは異なる、本能的な予見能力とか、超能力みたいなモノがあるんでしょうね」




