聴け、つねならぬ鐘鳴りいでぬ
3日間が過ぎ、更に念のための日程を過ぎて、エメラルドから青い円盤装置が外された。
入院してから、既に1週間ほど経っている。バーサーク毒は、想像以上に身体に疲労を与えていた。最初のうちは入浴しただけでもグッタリと疲れ果て、夜は夢も見ない程に深く寝入ったものであったが、食事が通常の物になって来ると同時に筋肉量も回復して来たのか、重量のある長持も動かせるようになって来た。
女性スタッフと共に往診に来た《地》のウラニア女医は、エメラルドの2度目の精密検査の結果を一通りチェックし、いつものように、いかめしい表情を向けて来た。
エメラルドは、ウラニア女医の表情の変化については何となくパターンを承知し始めていた物の、やはり、その一瞬は思わずギョッとした物であった。
「エメラルド隊士、結論としては、意外に被害が少なかったと言えそうですよ。前回の検査結果を踏まえて今回の検査結果を見る限りでは、バーサーク化のリスクは抑え込めましたから、新たなリスク要因が増えない限りは、恐らく大丈夫でしょう。傷の塞がり具合も良好ですし、近場を歩き回る程度であれば、許容範囲ですね」
ウラニア女医はテキパキと必要事項を告げると、やはり、いつものようにエメラルドの個室を速やかに出て行った。
後を任された女性スタッフ――もはや顔なじみと言って良い、いつもの食事係――が、「良かったですね」と言いながら、青い円盤装置を運搬ボックスの中に箱詰めした。箱詰めが終わると、女性スタッフはベルトに下げていた半透明のプレートを取り出し、内容を確かめつつ説明を始めた。
「今後は、退院までの間、私が治療師と食事係を務めますので、宜しくお願いしますね。まず最初にですね、次の『バーサーク危険日』が1ヶ月も経たずに来る事が分かってます」
エメラルドは思わず息を呑んだ。
「すごく間が詰まっているような気がするけど。前は3ヶ月とか半年ぐらいのペースだったのでは?」
「ええ、当たり年っていうか、当たり月っぽい感じですよね」
女性スタッフは、困ったように眉根を寄せて微笑んだ。
「ウラニア女医の見立てでは、エメラルド隊士の《宿命図》の状況が、その時までに安定するかどうかというのが分からないので、念のため拘束具を用意するとの事です。残留してしまった分のバーサーク毒が、新しい星々の相として、1ヶ月くらいで《宿命図》に定着するんですけど、エメラルド隊士の《宿命図》は、まだグラグラしてますから」
エメラルドは少しの間、首を傾げた。
「よく分からないけど《宿命図》ってグラグラしたりする物なの?」
「えぇまぁ、この青い円盤装置の副作用ですね。《宿命図》エーテル循環を限界近くまで加速してますから。バーサーク毒を急速排出できる代わりに、《宿命図》をえらい勢いで揺さぶってしまうんですよ」
「考えてみると、納得できるような気がするかも……」
エメラルドは武官としての訓練コースの一環で、流れの早い川に飛び込んで、その水の流れに翻弄された事を思い出した。あの時も、目が回ったり、身体の感覚が落ち着かなかったりして、川から上がった後も暫くの間、他の訓練仲間と共に、地面にへたり込んでいた物だ。
「ウラニア女医の今回の見立ては、後ほど神殿隊士の部門に報告しますので、退院直後の任務は、前線では無い何処かという事になると思います。後日、辞令が届くと思いますけど」
女性スタッフは説明を終えると、満面の笑みを浮かべ、半透明のプレートに挟み込んでいた封書を取り出した。
「エメラルド隊士宛ての封書です。これは、ボーナス入ってますね!」
エメラルドは封書を受け取り、早速開封した。
女性スタッフの予想通り、バーサーク竜を取り押さえた件に関する褒賞金が書面に記されていた。今回の対象が母子だった事もあり、少し上乗せされた金額となっている。書面の中央にエメラルドの魔法署名で有効になる金融魔法陣がセットされてあり、これを動かして金額情報を魔法の杖に移行すれば、受け取りは完了だ。確かに授受が成立した事を保証する立会人は、女性スタッフである。
そして、見慣れない書状が同封されていた。複雑な縁取りパターンが施された、高級な書状だ。
――この度、4大神官長の連名において、1体のみでバーサーク竜1体を取り押さえたという実績を評価し、『剣舞姫』の称号を授与する。授与式の日程は追って通知する――
エメラルドの読み上げを聞いていた女性スタッフが目を丸くした。
「すっごいじゃ無いですか! 士爵クラス認定に次ぐ名誉ですよ! この授与式って、4人の大神官長から直接、祝福を受けるんですよね。新しい近衛兵の叙任式の時みたいな感じで」
*****
その日は、更に嬉しい事があった。
昼食になる少し前、恋人のロドミールが入院中のエメラルドのお見舞いに来たのだ。上級魔法神官ともなると諸般多忙が日常であり、神殿に何日も詰めているのが普通だ。
ロドミールは、エメラルドが包帯だらけの身体でストレッチをしているのを見て、最初はギョッとしたような顔になったものの、すぐに濃い水色の目を嬉しそうにきらめかせた。
「思ったより元気そうでホッとしたよ」
「上級魔法神官が扱う『上級占術』って凄いのね。さっき、傷の塞がり具合も良いと言われて……ロドミールが『健康運』の項目の強化をしてくれたお蔭だと思うわ」
ロドミールとエメラルドは、いつものように頬に親愛の口づけを交わした。ロドミールが、簡易ベンチに早変わりした長持に腰を下ろすと、エメラルドは早速、長持から取り出していた野営用ティーセットで、ささやかなお茶を淹れた。
「あのね、今日、ビックリするような書状が来たの。見て」
エメラルドは、先ほど来た『剣舞姫』称号授与の書状をロドミールに見せた。ロドミールは惚れ惚れした様子で書状に見入った後、エメラルドに心配そうな眼差しを向けて微笑んだ。
「4大神官長の連名か……今は無理できないから、体力の回復次第だね。ストレッチも良いけど、ゆっくり療養しろよ」
ロドミールは複雑な笑みを浮かべていた。エメラルドが危険に身をさらす事を本分とする職業に就いている事で、恋人としては心配の種が尽きないのだ。エメラルドとしては、「心配かけてごめんなさい」としか言いようが無い。
お茶を一服したロドミールは、ふと思いついた様子でエメラルドを見直した。
「確か、バーサーク毒が少しでも残留していると、《宿命図》の星々の相が微妙に変化するんだよ。また《宿命図》をチェックさせてもらって良いかな?」
「ええ」
以前のように、ロドミールはエメラルドの片手を取った。エメラルドの手相を読むような格好で、丁寧に《宿命図》を透視して行く。ロドミールがもう一方の手に持っている魔法の杖の先端部が、やはり神秘的な青い光をまとい始めた。
通常の《四大》エーテル魔法を発動している時のようなシッカリした光では無く、向こうが透けて見えるような透明な光だ。そして、ロウソクの炎のようにチラチラと揺らめいたり、ボンヤリとした光輪がユラユラと現れたり消えたりする。
――こうして見ると、透視魔法を使っている時の光は、不思議な感じがする……
エメラルドは、その妙に心惹かれる有り様を、じっと眺めていた。この光は青いけれども、ラベンダー色であれば、あの《暁星》が、最後の一瞬の中を揺らめいているような感じかも知れない。
やがて、ロドミールは戸惑ったように息を呑み、顔を上げて来た。
「エメラルド、《宿命図》の相が少し不安定なんだけど、それについては何か言われなかったか?」
エメラルドは少し首を傾げた後、すぐにピンと来た。――女性スタッフが、そういう事を説明していた。
「ああ……あの青い円盤装置の副作用みたい。限界近くまでエーテル流束を加速したから、そのせいでグラグラしてるって説明を受けたの。次の『バーサーク危険日』までに《宿命図》が安定するかどうか分からないから、念のため拘束具を着けておく事になるみたい。知らない事って一杯ある物なのね」
ロドミールは、はたと気が付いたように「あぁ、そうだった」と言いながら頭に手をやった。どうやら、他にも考える事で頭が一杯で、失念していたらしい。
「出張から戻ったら戻ったで、忙しいんじゃ無い? ロドミールこそ、無理はダメよ」
「私は大丈夫だよ。忘れてないかな、エメラルドは今、重傷者の筈なんだが」
エメラルドは、思わず吹き出し笑いをした。――と。不意に真昼の鐘の音が耳に飛び込んで来た。
「もう真昼の刻ね。ロドミールは昼食は、まだ?」
「まだなんだけどね。この後、すぐ用件があるから、また出掛けないと」
ロドミールは暫しエメラルドの髪を触れた後、「じゃ、また後でね」と言い残して、個室を出て行った。
――カシャン。
まだ続いている真昼時の鐘の音の中、エメラルドの耳は、聞き慣れない物音を捉えた。
(長持から、何かが落ちた……?)
エメラルドは野営ティーセットを片付けた後、長持の周りを調べ始めた。物音の正体は、すぐに見つかった。ロドミールの落とし物だ――エメラルドは、それを拾い上げた。
神殿の一角にある『上級占術・匿名相談コーナー』の割当チケット――「未使用」。
割当チケットを眺めているうちに、エメラルドの脳内に、数年前の記憶がよみがえった。交際期間が長くなり、そろそろ《宝珠》適合率を見てもらおうという事で、当時はまだ下級魔法神官だったロドミールと一緒に、恋愛相談に行った時の記憶だ。
(確か、ロドミールとの《宝珠》適合率は50%――親友ラインだったけど、じっくり考えて交際すれば、80%まで適合していく筈だから、大丈夫だろう、と言われたんだった……)
いずれにせよ「未使用」チケットだ。割り当てられた日時は、2週間後の午後の刻となっている。倍率が高いから、入手するのは意外に大変な筈だ。ロドミールの物か、ロドミールに預けた他人の物かはともかく、「大事な忘れ物ですよ」という一報は入れておくべきだろう。
――それに……と、エメラルドは思案した。リハビリがてら、その辺を歩き回れるのだ。エメラルドの脳内には、セレンディと赤ちゃんドラゴンのファレル君の顔が思い浮かんだのであった。




