付属カフェの午後(後)
「盗み聞きの技術を教えた覚えは無いんだが、エレン君」
セイジュ大神官は驚きもせず、仕切りの脇に向かって、呆れた――といった調子で声を掛けた。
その仕切りの脇では、セイジュ大神官やゴルディス卿と比べて少し若い――ユーリー司書と同じくらいの――世代に属する《風》の上級魔法神官の男が、セルフサービスの茶を手に持って微笑んでいた。やや淡いアッシュグリーンの髪をうなじの下で1つにまとめた平凡な姿である。どちらかと言えば繊細な顔立ちで、透明感のある琥珀色の目が印象的だ。
「ユーリー司書が、セイジュ師匠がゴルディス卿に連行されて監禁されたと教えてくれたんですよ」
「連行し監禁したとは人聞きの悪い」
ゴルディス卿はそう言いながらも、面白そうにニヤリと笑みを浮かべた。余りの椅子を、年若いエレン神官に示し、歓迎の意を表す。
「ユーリー司書は神出鬼没だな。必要な時に必要な場所に、何故かいつも居て、まるで待ち構えていたかのように、必要な情報をポケットの中から出して来る――何でも無い事のように」
「彼女くらい守備範囲の広い司書は、貴重ですよ。何で事情通なのか分からないけど、女官同士のクチコミの伝搬力って、そんなに凄いんでしょうか」
エレン神官は、ひとしきりユーリー司書の能力に感心した後、自分で椅子を引いて来て、そっと腰を下ろした。
セイジュ大神官もまた、ユーリー司書の情報の早さに感心する1人だ。
「ストリートに出る不審者の情報などは、女性にとっては夜間の安全に直結するから、通常の物理法則を出し抜いて光よりも早く伝わるのかも知れん。1日前、1人の学生が怪しい通信をした後、見事な逃げ足を披露して、いきなり姿を消したそうだ。後で警備担当に確認してみるが、ほぼ忍者で決まりだろうな」
エレン神官は唖然として、「知りませんでしたよ」と、口をポカンと開けるのみであった。
*****
「問題の、その成就祈願とやらについて、私は深刻な疑惑を抱いているんだが」
ゴルディス卿は話題を戻して、茶を飲み干した。茶は、もう既にぬるくなっていたのだが、さほど気に留めていない様子である。
一番若いエレン神官が気を利かせ、セルフサービスのカウンターから新しいティーポットを取って来て、セイジュ大神官とゴルディス卿の茶を淹れ直した。
ゴルディス卿は軽く一礼してティーカップを手に取ると、卓上から香料セットを選び、目分量で好みのフレーバーを追加した。やはり宮廷社交界の出身と言うべきか、上品かつ芸術的な香り付けとなっている。恐るべき複雑な調合を涼しい顔でやってのけた男は、言葉を続けた。
「逆もまた真なりだ。私は、こう思っている。成就祈願の影響力が、実際に或る程度の影響力を持つならば、それを逆用する事も出来るのでは無いか――とな。そう……破局に到る『呪い』として」
セイジュ大神官とエレン神官は、同時にギョッとしたような顔になった。虚を突かれた形だ。
ゴルディス卿は、持ち前の観察力で2人の表情の変化をシッカリと読み取ったのであろう、銀色の目を鋭く光らせた。
まるで凍て付いたナイフのようだ――大物クラスならではの威圧に満ちた眼差しは、セイジュ大神官とエレン神官の腰を、魔法のように椅子に縫い付けた。2人は無言のまま、身動きできない。
ゴルディス卿は、ベルトからペン程の大きさに縮めていた魔法の杖を取り出すと、ペンのようにクルリと指先で回しただけで、その場に緻密な防音魔法陣を展開した。
――隠密レベルの魔法陣だ。本来は白く輝くであろう魔法陣のラインは、無色透明な不可視のラインと化している。《風魔法》に関しては、風のゴルディス卿はいつの間にか、上級魔法神官なみの腕前に達していた。
「健康運の強化が、生命線の増強に直結するのなら――その生命線を断つとされる大凶星《死兆星》の呪いが、有り得る。大凶星《争乱星》の呪いも、同じく有り得るのだろう……バーサーク化の呪いとして」
エレン神官が、うろたえた顔でセイジュ大神官を振り向く。セイジュ大神官は苦い顔だ。
「何をどう考えれば、そんな考えが湧いて来るんだ? ゴルディス卿」
「フフン……」
ゴルディス卿は、鼻先で笑って見せた。妖怪的な美を湛えた面差しだけに、いっそう迫力がある。口元には薄い笑みを浮かべているが、鋭い銀色の目は、笑っていない。
窓の外では、穏やかな青空のもと、昼下がりのまばゆい陽光が踊っていたが、その場だけ、急に氷点下の光景になったようだった。
「ライアス神官とエルメス神官の開発した新しい占術方式は、『バーサーク危険日』予測に対して、安定して70%の的中率を達成したと言うでは無いか。平均50%の的中率が続いたのであれば、偶然の範囲で収まるだろう。だが、70%の的中率が3回以上も繰り返された――しかも、80%の的中率を射程範囲に収めた――となると、何らかの根拠があると考えなければならない」
そこでゴルディス卿は一息つくと、ティーカップを手に取り、優雅に一服した。
「かの猛将ラエリアン卿は、自他ともに認める『筋肉脳』だが、英明なる現在の竜王の、側近中の側近と言われるだけの能力はある。タダの『ごり押しバカ』だと侮っていると、いずれ痛い目を見るのは神殿のトップ連中だ。竜王の指示か、ラエリアン自身の決定かはともかくとして、彼らがこれ程までにスパイ活動に力を入れているのは、『バーサーク危険日』予測の恐るべき的中率と、それがもたらす可能性に既に感づいているからだ、分かっているだろう」
セイジュ大神官は目を細めた。思慮深そうな黒緑色の目には、警戒心が浮かんでいる。
「言っておくがゴルディス卿、ふざけた陰謀論は止めてくれたまえ。そもそも、今の竜王都争乱は、我々神殿の側が仕掛けた物では無いんだ。『禁断のバーサーク化魔法』の開発のために、上級魔法神官が紛争を目論んだのでは無いかとの巷の噂は、根拠の無い代物だ」
ゴルディス卿は、銀色の目を刃物のように閃かせ、間を置かずに鋭く切り返した。
「そうだろうとも。内乱の長期化による我が竜王国の弱体化を喜ぶ竜人は居ない――仮想敵国の鼻薬を嗅がされて思考停止した連中か、善良な竜人を装って『ふざけた陰謀論』を振りまいた闇ギルドの者でも無い限りな。だがセイジュ殿、こういう『ふざけた陰謀論』であっても、案外、真実を射抜いているという可能性は、有り得るのだ」
ゴルディス卿は更に、『バーサーク危険日』では無い日にバーサーク竜が発生したと言う、ここ最近の事件を持ち出した。
「問題の武官のバーサーク化には、異常に強い――不自然なまでの強さの――《争乱星》が関わっていたそうだが、その《争乱星》が、果たして本当に天然の物だったのかどうか、疑わしい所だな。ウラニア女医は優秀な女医だが、隠し事が多過ぎる。何なんだ、あの完膚なきまでに黒塗りされた医療報告書は」
ゴルディス卿の目には、深い不信の念が宿っている。
セイジュ大神官は、呆れた――と言ったように首を振った。
エレン神官は、年長の2人の丁々発止に圧倒されたまま、無言を続けている。
「疑い深すぎるのはゴルディス卿の短所と言うべきか、長所と言うべきか……」
鋭い銀色の眼差しを避けるような形で、セイジュ大神官は眉間を揉み始める。ひとつ溜息を付いた後、セイジュ大神官は、ゴルディス卿を説得するかのように、強い調子で続けた。
「確かに、あの報告書は黒塗りが多かったが、記述があっただろう、『先天性の《争乱星》』だったと。《宿命の人》たる伴侶が、今までバーサーク化を押し留めていた――《宝珠》は《宿命図》の心臓部だから、その影響力は決定的だ。ウラニア女医は虚偽報告はしない。彼女は、その辺りは極めて厳格な人だ」
ゴルディス卿は目を細めた。相変わらず目は笑っていない。どうだかな――と言わんばかりだ。
「ウラニア女医の厳格さについては、今のところは同意しよう。だがな、セイジュ殿……」
ゴルディス卿は、そこで深い溜息を付いた。銀色の目から、大物クラスならではの威圧感が消えた。代わりに憂いの表情が浮かぶ。常にハッキリとモノを言うこの男にしては珍しく、暫し口ごもっていた。
ゴルディス卿は緑濃い葉が揺れる窓を見やると、誰に言うとも無く呟く――
「――権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する――超古代の書物に残されていた、古い箴言が引っ掛かる。神殿は、果たして、このままで良いのか否か……」
その呟きに反応したのは、エレン神官であった。
「新しい占術方式の開発とか、神殿のやり方には、問題があるという事ですか?」
「全般的にな。やり方――と言うよりも、その権力の在り方、と言った方が正確だが。頭のイカれた神殿内部の過激派《神龍の真のしもべ》グループの、狂信的な自民族中心主義者の如き言動が、神官の全員に伝染しないと、言えるのか?」
ゴルディス卿の眼差しは、見えない何かを見通そうとでもするかのように、窓の外を射抜いている。
「そもそも、神殿の聖所に住まうとされる絶対不可侵の象徴――《神龍》とは何だ? 何重もの秘密の扉の奥にある、そのような調べようもない代物が、真実、神であり権力の根源だと言うのか? かくも迷信そのものの《神龍》の何が、大神官長の面々だけで無く、神殿の《盾神官》たちをして、全力を挙げて守護するに値する――と、決心させるのだ?」
エレン神官は、その繊細な琥珀色の目に狼狽を浮かべていた。無言のまま、ゴルディス卿の横顔に琥珀色の眼差しを注ぐのみである。
ゴルディス卿は、まだ明確な焦点となる物を見い出していないのか、その視線の先は、窓の外の何処かをそぞろに移り続けている。
セイジュ大神官もまた、心の奥底に違和感を抱き始めた1人だ。だが、まだ答えは無い――
*****
ゴルディス卿はティータイム席の窓を通して、暫し外を眺めていたが、やがて面白そうな顔になった。ゴルディス卿は、大型竜体の竜人ならではの卓越した視力をもって、大図書館の付属カフェを取り巻く庭園の樹木の間に、複数の人影を見い出したのである。
「目下の注目の人材が、活躍中だな」
セイジュ大神官とエレン神官も、ゴルディス卿の視線の先を注目する。
カフェ庭園の庭木の間を歩いていたのは、3人だ。
先頭を行くのは、中高年と言って良い世代の《水》の上級魔法神官だ。頭の半分以上は白髪だが、にじみ出る威厳があり、足取りも確かである。その神官服の裾には、上級魔法神官の服には無い大きな縁取りパーツがある――神殿トップの4人のうち1人、《水》の大神官長なのだ。
その脇には、《地》の下級魔法神官の制服をまとった若い女性が控えている。濃紺の目をした相当の美人だ。見るからに先頭を行く《水》の大神官長の秘書を務めているのであろうと予想できる。
一番後ろに居て、《水》の大神官長の話に応じているのは、《水》の上級魔法神官の制服をまとった若い男だ。遠目にも目立つ眉目秀麗な容貌で、濃い水色の目が印象的である。
「セイジュ師匠、あの方は《水》の大神官長ミローシュですね。脇に居る若い女性は、ミローシュ殿の令嬢の……地のティベリア嬢。ここ最近、《水》の大神官長の直属の秘書として、神殿に勤め始めたとか……」
弟子エレン神官の指摘にセイジュ大神官はうなづき、最後を行く若い男をしげしげと眺めた。
「最後の男の方は、前の会議で良い提案をして来た彼だな。水のロドミール……」
ゴルディス卿は無言のまま、ニヤリと笑みを浮かべ、窓を少し開けた。ペン程の大きさの魔法の杖をクルリと回すと、微かな風の流れに乗って、3人の会話が届いて来るようになった。
――《水》の大神官長ミローシュは、誰かに内容を聞かれているとは全く気付いていない様子で、最後尾を付いて来るロドミールに声を掛けている。
「ロドミール君、わざわざ付いて来てもらったのは他でも無い。この前の『竜王との和議』に関する提案の件で、改めて評価したかったからだよ。時期が悪くてあのような結果になったが、実際は我々、大神官レベルでは、ロドミール君の案には随分、考えさせられている」
ロドミールは穏やかに微笑み、「恐れ入ります」と一礼した。ロドミールの身のこなしは洗練された物で、ティベリア嬢は感心の眼差しを向けている。
「今はまだ若すぎるが――ロドミール君、その豊富な国際経験は貴重なものだ。順調に実績を積んで行ってくれたまえ。そう遠くない将来、私の名で大神官に推薦したいと思っている」
ロドミールは、まさか此処まで自分が高く評価されるとは思っていなかったのであろう、無言で目を見開いていた。暫し呆然とした後、慌てて再び一礼すると言う有り様である。
ミローシュ大神官長は足を止めて、若者の様子を微笑ましく眺めた後、「さて」と、おもむろに口を開いた。
「今日はもう一つ、大事な話があるのだが……詳しくは、私のカフェルームで話そう」
ミローシュ大神官長は、ユーモアたっぷりに話のさわりを明かしてロドミールを仰天させ、「驚いただろう?」などと、からかっている。若者いじりは、年寄りの楽しみだったりするのである。
そして男女3人は、庭木の奥へと歩み去った。そこには、大神官長向けの、専用のカフェルームがあるのだ――
エレン神官は目を丸くして、ゴルディス卿の方を見やった。隙を突いた形になったとは言え、大神官長にさえ気づかれない程の隠密レベルの《風魔法》と言うのは、大したものだと言える。
「……『地獄耳』魔法ですか。これはまた……」
ゴルディス卿は、人の悪い笑みを浮かべた。盗み聞きした事に対して、良心の呵責を全く覚えていないのだ。
「期待の若手を大神官に抜擢とは、ミローシュ猊下も見る目があるじゃ無いか」
ゴルディス卿の批評には、いつもの3倍以上の皮肉が満載されている。セイジュ大神官は、ヤレヤレと言ったように首を振るばかりであった。




