付属カフェの午後(前)
セイジュ大神官は書棚に戻り、次の資料を探している所であったが、その訓練された感覚は、背後に接近して来た人物の気配を、即座に捉えた。
振り返ると、そこにはセイジュ大神官の親友が居た。とは言え、その親友の性質を良く知るセイジュ大神官は、あからさまに額に手を当て、困惑の溜息を付いて見せるのみである。
――風のゴルディス卿。
洗練された長袍ファッションに身を包む、背の高い男だ。腰まで届く程のストレートの黒髪、銀色の目。
お忍び中らしく器用に気配を抑えているが、見る者が見れば、即座に大型竜体の竜人と知れる。高身長に対して痩身の故か、中性的なまでに細く見える腰は、女性よりもいっそ妖艶である。
ゴルディス卿は、セイジュ大神官の胡散臭げな眼差しを、モデルさながらの完璧な微笑みで迎えた。いつもながら、男ですら見惚れる程の美貌だ。その芸術的なまでに麗しい笑みは、危険なまでの誘惑パワーを持っていると言える。
「何で、いつも私を連行するんだ」
「貴殿が私との議論に付いて来れる第一人者だからだよ、セイジュ殿」
ゴルディス卿はセイジュ大神官の腰に手を回した。その仕草が色っぽく、セイジュ大神官は落ち着かない。
「そろそろ、ボーイズラブの噂が出かねないところだ。いい加減、控えてくれないか? ゴルディス卿」
ゴルディス卿はニヤリとした。壮絶な色気のある笑みだ。中堅と言える年齢層に入ってなお、中性的な均整の美を失わない彫りの深い顔立ちだけに、接近されると、その迫力に圧倒されてしまう。セイジュ大神官も顔立ちは悪くないのだが、ゴルディス卿の醸し出す妖怪的な美に比べると、やはり一般人の範疇に入るのだ。
――こやつ、本当に妖怪から生まれて来たんじゃ無いだろうな……
そんな失礼な事を、本気で検討し始めるセイジュ大神官であった。
ゴルディス卿は、大型竜体に生まれ付いた者ならではの信じがたいまでの怪力を発揮し、セイジュ大神官を大図書館の付属カフェに連行した。
カフェ入口のところでゴルディス卿は、殊更に色っぽい仕草で、幾分か背丈の低いセイジュ大神官のあごに手を触れた。そして、ゴルディス卿はセイジュ大神官の耳元に、優しくキスをするかのように口を寄せた。
その「意味深な場面」に目を見張っていた、大図書館の付属カフェの利用客の一部――お年ごろの女子会グループ(特定ジャンルの文芸サークルの方々)が何を思ったかは、此処では言わないでおこう。
「親愛なるセイジュ殿、我々の《宝珠》の適合率は80%ラインだ。我々が男と女の組み合わせだったら、今ごろは《宿命の人》同士として、めでたく結婚していた筈だ。今宵は男同士で素敵な一夜を過ごしてみようじゃ無いか、フフフ」
セイジュ大神官は、すっかり苦り切っていた。
偶然ながらゴルディス卿とは、各種エーテル魔法陣の分析や鑑定を扱う学問分野の方で、長年、机を並べた同窓だ。付き合いも長くなり、ゴルディス卿の性質については表も裏も熟知するようになって来たものの、セイジュ大神官は、いまだにこの男の言動に振り回されてばかりなのだ。
「ゴルディス卿が言うと、冗談も冗談に聞こえないんだ。人目のあるところで、なおさら誤解を招くような言動をするのは止めてくれたまえ。貴殿の背中には真っ黒な翼が生えていると、私は確信しているよ」
「心外だな、セイジュ殿。私は《風霊相》生まれだから、純白の翼持ちなんだが」
「ゴルディス卿に関しては、私は本気で《宿命図》のお告げを疑っているんだ」
セイジュ大神官の強い主張により、窓際の端のテーブルでのティータイムになった。初夏の季節に相応しい、軽やかな雰囲気の衝立で仕切られており、プライバシー保護のための軽いホワイトノイズ魔法も掛かっている。
――なお、セイジュ大神官は、重要な事実に気付いていなかったという事を述べておこう。この「見えるようで見えない、見えないようで見える」という曖昧なシチュエーションは、下心タップリの観察者の脳内イメージを、余計に掻き立てるという結果になったのである。
「言っておくがゴルディス卿、《宝珠》の適合率は確かに最も決定的な基準なんだが、実際の恋人関係となると多様になるんだ。全てはプロセス、時間展開の積み重ねだよ」
ゴルディス卿は楽しそうな顔で、セイジュ大神官の議論に耳を傾けている。洗練された仕草でティーカップを手にしている様は、今すぐに宮廷社交界に放り込んでも違和感が無いレベルだ。
――そう言えば、こやつ、宮廷社交界の出身だった……
セイジュ大神官は理由の無い頭痛を感じながらも、《風》のゴルディス卿――王宮側、つまり敵側の分子にして、宮廷社交界の貴公子――が此処に居る理由について、改めて考えを巡らせた。
ゴルディス卿は、一言で言えば「変人」だ。その中性的な妖しいまでの美貌は、幼体の頃から、或る種の変態の異常な関心の対象になって来たと言う。男性にしては長い髪は、竜体由来のドラゴン・パワーも関係があるが、宮廷画家(初老の男性)に命がけで「その美しい髪を切らないでくれ」と頼み込まれ――いや、脅迫されたのが主な理由である。
セイジュ大神官は、『変態こそ芸術の真髄』なる名言(にして妄言)を残したと言う、宮廷画家の想像上の首を、脳内でギリギリと締め上げた。ゴルディス卿の優れた芸術的素養には感心させられるが、同時に、そのくだんの宮廷画家が、ゴルディス卿を「変人」に育て上げたのは確実なのだ。
宮廷社交界のかなり上の方で、ゴルディス卿が関わる色恋沙汰から発展した私闘があった。性別の詳細は言わないでおこう。その事件の詳細は伏せられたものの、宮廷画家が一枚かんでいたのは確からしく、宮廷画家は『一身上の都合』により辞職。
程なくして始まった王宮と神殿の対立を幸いとしたのかどうか――両親および一族の決定により、アカデミー学生と言う名目の『連絡係』として、厄介払いも同然にゴルディス卿は此処に来た。
もっとも、王宮と神殿の話し合いは決裂し、竜王都争乱が続いている今、ゴルディス卿の『連絡係』としての存在意義は無くなっている訳だが……首脳部の対立が政界の暗闘レベルに留まっていた頃、両親を含め一族にかなり犠牲者が出たので、ゴルディス卿が王宮側に戻る理由もまた、それ程あるという訳では無いのだ。
当時、まだ青年と言える程に若かった頃のゴルディス卿の心の奥に、何が去来したのかは、セイジュ大神官を含め、他人の知るところでは無い。
宮廷社交界よりは居心地が良いのか、ゴルディス卿は居座り続けている。
――その気になれば、大型竜体を持つ竜人の一人として、かの猛将ラエリアン卿と同じように、宮廷の重臣としての華々しい活躍も可能だろうに、つくづく、欲の薄い「変人」だ。或いは、宮廷社交界の裏の歪みを散々見て来て、嫌になったのだろうか。
セイジュ大神官は少しの間、ラエリアン卿の鍛え抜かれた格闘家のような体格を思い浮かべた。あやつが前線に竜体で出て来た場合は、50体以上の上級武官レベルの竜体を揃える必要があると聞く――
いずれにせよゴルディス卿が、「知の殿堂」たる大図書館を気に入っているのは確かだ。ビックリするような額の寄付金を大図書館に出して来たという事、純粋な学究生活が続いているという事があり、神殿側は、ゴルディス卿の存在を黙認している状態である。
セイジュ大神官は、そっと親友の表情を窺い見た。想像以上に怜悧な頭脳の持ち主であるらしいが、時として硬質な光を宿してきらめく銀色の目は、その内心を容易には映し出して来ない。
改めて考えてみると、この男が、数奇かつ過酷な運命に翻弄されたのは確かなのだ。だがゴルディス卿は、危うい政治的立場に追い込まれながらも、その高度な政治的判断力と巧みな政治的手腕を振るって、自分の居場所を獲得したのだ。そして今は、飄々としているように見える――
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セイジュ大神官とゴルディス卿のティータイムの会話は、いつしか、《宿命図》と《宝珠》の鑑定に関する専門的な議論になっていった。
――《宝珠》は竜人の《宿命図》の心臓部にある相である。大陸公路の全種族のうちでも、特に一夫一妻制の習慣のある種族に共通する、特徴的なパーツだ(獣人ウルフ族は、《宝珠》を持つ種族である事が知られている)。
《宝珠》相は、特に「陰・陽の星」、つまり、より原初的な星々――光明星と暗黒星の群れで構成されているという点で、特異的である。通常、我々が観測しうる空間において、ほぼ完全な真球となる配列をしており、この真球の中心点が、位相幾何的に「時軸」に一致している。《宝珠》の相は、この「時軸」を中心としてスピンし、独特の恋愛運を紡ぎ出す。
厳密にいうと、《宿命図》や《宝珠》は、我々の通常の時空に存在する幾何学的構造体では無い。《宝珠》のスピンは、我々が思い描くような回転とは違う。通常の時空での《宝珠》の1回転は、《宝珠》空間では表面と裏面が2交代しつつ回転するため、総合4回転になる。
数学的な意味での想像力の跳躍が必要になるが、話を分かりやすくするために、3次元立体の真球を2次元平面の真円と見立ててみよう。すると、《宝珠》の原理は、白黒で塗り分けられた独楽だと考える事が出来るのだ。
白黒2色のみで塗り分けられた独楽が回転すると、その面に、見かけ上、多彩なカラーや模様パターンが現れたように見える。
《宝珠》も、また同じだ。《宝珠》が時軸の周りを独楽さながらに回転すると、光明星と暗黒星の群れが、その人ならではの、特徴的な彩りを生み出す。
「《宝珠》が適合する」「《宿命の人》同士」というのは、カップル候補となる2人の《宝珠》相を白黒で塗られた独楽と見立て、時軸の上で2つの独楽がクルクル回転した場合に、光明星と暗黒星、つまり陰・陽の星々がバランス良く、お互いに足りない色や形を上手く補い合っているかどうか――で、大枠が決まる。
言ってみれば、《宿命の人》同士が構成する二重の《宝珠》相は、絶妙な様相を保ちつつ、時の円舞曲を踊っているような物である。人によっては、理想的な二重像を《花の影》と言ったりする。勿論、各々のスピン速度、交差する角度、見かけ上の濃淡パターンや補色パターンの組み合わせなど、計算項目が多いので、《宝珠》占術は意外に難しい。
――そこまでの前提を確認し、ゴルディス卿は口を開いた。
「そもそも、その《宝珠》を回転させるには、《宿命図》が、命ある魔法陣として稼働していなければならない訳だ。生命の根源たる《宿命図》を稼働させるのに必要なエーテル量というのは、計算できるだろうか?」
セイジュ大神官は笑みを浮かべた。窓の外では、まばゆい昼下がりの陽光が、緑濃い葉影の間で、キラキラと揺れている。
「それは難しい問題だな、ゴルディス卿。人工生命は深遠なる謎だよ。《宿命図》は、万物照応の因縁の糸――運命の軌道を紡ぎ出す魔法陣でもあるが、あらゆる運命の軌道を動かすのに必要なエーテル量でさえ『宇宙的規模になるだろう』以外には分からない。これは計算の不可能性と言うか――不完全性定理の領域でもある」
ゴルディス卿は「ふむ」と満足げにうなづいてお茶を一服すると、更にツッコミを重ねた。
「とは言え、貴殿を含めて上級魔法神官の連中は、『上級占術』を使って、我々のような凡人の運命を、或る程度は左右しているのだろう」
「ゴルディス卿の場合は、凡人とは到底、言えないな」
セイジュ大神官はそう切り返しながらも、『上級占術』に関する指摘については、認めた。
「いわゆる健康運、恋愛運、金運については、『上級占術』で或る程度は動かせる。ただし、結果は個人の器によるところが大きいんだ。成就祈願と変わらないよ」
セイジュ大神官は、数年前『上級占術・匿名相談コーナー』で、恋愛相談に乗っていた事を説明した。
「とある男女カップルは、《宝珠》適合率が50%ラインでね。親友フェーズから恋人フェーズへのシフトを相談しに来た。交際の実績次第では適合率80%くらいまでは行く可能性が見込めたから、恋愛運を強化しておいた事がある。順調に行けば、今ごろは婚約を考えている頃合いの筈だ。順調に行けば、な」
ゴルディス卿は、無言で眉を跳ね上げた。セイジュ大神官は、それが疑問のサインである事を熟知していた。
「星々の配置は必ずしも確定的な物では無いんだ。ドラマチックな恋愛を成就させるためには、時の試練による個人の成長は必須だよ、当たり前だろう」
「貴殿は顔に似合わずロマンチストだな、セイジュ殿」
セイジュ大神官は、からかい半分の含み笑いを返してやった後、お茶を一服した。
一見、皮肉屋そのもののゴルディス卿にしても、竜人に生まれ付いた者の常として、唯一の《宿命の人》を求めているのだ(対象となる性別については、個人次第だから何とも言えないが)。大物クラスの方が数が少ない分、その辺りの感覚は鋭敏になりやすい。
「まあ何だ、《宿命の人》だろうが何だろうが、ちゃんと出逢って、告白と交際から始めない事には、何も始まらんな」
セイジュ大神官は一旦そう切り上げると、ゴルディス卿と共に、仕切りの方を振り向いた。




