神殿付属ノ大図書館
――神殿街区のメインストリート内、付属アカデミー「知の殿堂」。
この付属アカデミーが「知の殿堂」という二つ名を頂くのは、竜王都最大の規模を誇る大図書館があるからだ。竜王都最大の規模――すなわち竜王国最大の規模である。最も古い建築部分や蔵書の類は、古代の竜王都創建の時代にまでさかのぼり、今や博物館的な価値すら認められている。
竜王都争乱が始まって既に数年経過しているが、それでも遠路はるばる、他種族のアカデミー遊学中の学生たちがやって来ている所だ。
元々は、王宮関係者も神殿関係者も区別なく出入りしていたが、今は、神殿が「王宮関係者では無い」と判断した者しか出入りできない。
王宮関係者ではあるがアカデミー遊学中であるために、アカデミー周辺への立ち入りを許可された――という竜人学生たちも少なくない。遊学中は、戦闘への参加を含む過度な政治活動は禁じられており、治安維持に関わる武官や魔法使いの監視下に置かれている。
――大図書館の受付ロビーからは、若い緑に輝く街路樹が並ぶ、前庭が見える。街路樹に仕切られたその向こう側を横切るのが、神殿街区のメインストリートだ。学生寮を含め様々な商店があり、朝の早い時間帯から物資や人々の輸送を担う大型の三本角車や中小型の荷車が、多くの学生や神官、役人たちと共に行き交う。
このメインストリートを挟んで、大図書館と医療院は隣接していた。そして、神殿中央部に向かって少しばかり距離を歩いた先に、高級レストランや御用達の店が並ぶ、神殿の門前プロムナードが広がっていた。
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大図書館の広々とした受付ロビーには、常灯と案内板を兼ねた大天球儀が幾つも配列されている。
この大天球儀は、無色透明の魔法素材で出来た球体だ。数人の子供がスッポリ収まれる程のサイズである。
台座の上に浮かぶようにセットされた球体――大天球儀は、実際の天球の回転に合わせてゆっくりと回転する仕掛けを持っている。天球の星図をリアルタイムで発光表示するようにもなっており、夜間は、この発光が常灯の役割をするのだ。
大天球儀を魔法の杖で操作すると、施設案内図に変化する。更に特定の方法で操作すれば、竜王国の地図も――大陸公路の全体の地図も――表示できる(ただし、機密保護が掛かっている部分は曖昧な映像になる)。
常灯と案内板を兼ねた、この魔法インテリアは、ユーモアと洒落を込めて、特に『アストラルシア(星の光輝)』と呼ばれている。
ちなみに大図書館に限らず、神殿や街区役所や平原エリアの公民館など、一定以上の規模を持つ公的な施設のロビーには、必ず、このタイプの大天球儀がある。ただし規模によって設置可能な数が増減するので、小さな施設では、1個しか置いていない所も多い。
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――その日の、昼下がりの刻。快晴だ。大図書館の受付ロビーには、学生たちや、蔵書がお目当ての利用客たちが多くたむろしている。
受付ロビーで最も壁際にある大天球儀の横には、床タイル単位ごとに転移魔法陣がセットされた一列がある。そのうち1つの転移魔法陣が、先ほどから稼働していた。その魔法陣がセットされている床タイルのボンヤリした白い光と、ヒュルヒュルという風音は、「使用中」のサインだ。
転移魔法陣の上を白いエーテル光が一巡して立ち上がり、白い柱のようになる。やがて白い柱が微細なエーテル粒子となって空中に分解していく。転移魔法陣スペースには、いつの間にか、魔法の杖を携えた一人の竜人男性が佇んでいた。
余りにも日常的な出来事だ。最も近くに居た一般人でさえ、転移魔法陣から新しく人が湧いて来た事には、ビックリしていない。だが、その新入りの男の正体を知れば、誰もが、それなりにビックリしたであろう。
転移魔法陣から出て来た、中堅といった年齢層の男は、気楽な街着姿だ。簡素な上衣とズボン。だが、長いスリット裾を持つ文官風の羽織の特殊な紋様を見れば、《地》の上級魔法神官と知れる。うなじで一つにまとめた背中までのアッシュグリーン色の髪、黒緑色の目、思慮深そうな顔立ち。
《地》の上級魔法神官は、早速、最寄りの大天球儀を魔法の杖でつつき、大図書館の蔵書案内を閲覧し始めた。
彼は疑問顔になって暫し首を傾げた後、顔なじみの司書が居る受付コーナーに接近して行く。
先程から《地》の上級魔法神官の存在に気付いていた司書――若手ベテランの女司書でもある――は、既に受付嬢の顔をして待ち受けていたのであった。
若い女司書は、標準的なアッシュグリーン色の髪を軽やかなシニヨンに巻き、事務女官として指定されている定番のタッセル付き花簪を装着している。女官仕様の堅実な下裳。竜王国の紋章入りの、カッチリとした蔽膝は、男女問わず正式な公務員である事を示すものである。
春の空のような柔らかな色の目をした女司書は、訳知り顔で口を開き、他の人には聞こえないような小声を掛けた。
「こんにちは、セイジュ大神官。どんな資料をお探しでしょうか?」
「超古代の人類の政治交渉の内容とか、獣王国の多族間の政治交渉のあらましをまとめた物は、あるかな? 特に領土紛争の類をどうやって片付けたか――という事例があれば良いが」
女司書は、手持ちの半透明のプレートを魔法の杖でつつき始めた。女司書の持つ半透明のプレートが、目の回るような速度で、蔵書情報を繰り出して行く。一昔前であれば、もっと情報処理スピードの遅い、魔法の水晶玉を撫で回しているところである。
女司書の蔵書検索は、いつものように手際が良かったが、長引いていた。内容が内容だけに――特に、超古代の物は尚更に――数が少なく失われた部分も多いため、資料としてお勧めできるレベルかと言うと、怪しい物があるのだ。
「流石の『風のユーリー』嬢でも、こればかりは難しそうだね」
セイジュ大神官は、諦めたような苦笑いを浮かべていた。ユーリー司書は顔をしかめてブツブツと呟いていたが、それは不快のためでは無く、脳の中で更に大量の記憶が引き出され、回転しているからだ。
「セイジュ大神官、本日の御用は推察するに、先日の上級魔法神官会議の議題に関して、新しい提案として出て来た内容――ラエリアン卿との講和、というか、竜王陛下との和議――と関係していると思われますが、如何です?」
「まあ、そうなんだが……何だ、緊急会議だったのに、既に巷に詳細が出回ってるのか?」
「そうでも無いです。実のところ、昨夜の女子会……食事会で、ウラニア女医の所の研修医スタッフから聞いたばかりなんです。たまたま同期の親友でして」
ユーリー司書は、そこで言葉を切り、しかめ面になった。
「まぁ途中でカン違いのおニューの下級魔法神官サマの乱入があって、食事会の後半は結局、ハチャメチャでしたけど。最近の新人は変なのが多いですねぇ、昨日あたり王都に来たばかりの新人だそうですけど、何だかしつこくて、イヤんな印象でしたよ。入院患者の個人情報なんてペラペラ喋るもんでも無いのに、親友に強い酒ドンドン飲ませて聞き出そうとするんですから」
ユーリー司書は暫しプリプリしていたが、そこで、そそくさとキマジメな顔に戻った。そのままセイジュ大神官を眺め、更に言葉を続ける。
「――おほん、話がそれて失礼いたしました。講和もしくは和議の提案の件ですね。目下、最悪のタイミングなので、ラエリアン卿は聞く耳を持たないだろうって事で却下されたそうですが、『再検討に値する』と、出席者全員で一致したそうですね。提案者が、えっと……《水》の上級魔法神官のロド……何某さんとか言う、若手のイケメンさんで、今後注目の人材だとか」
セイジュ大神官は、疲れたような笑みを浮かべてうなづいた。
「今は、珍しく『バーサーク危険日』が詰まっているんだ。ライアス神官とエルメス神官の開発した占術方式の正確さには定評がある――1か月も経たないうちに、次の『バーサーク危険日』が到来すると言う予測が発表されて、大騒ぎになったよ。今、上級魔法神官の若手たちが、グループごとに数日かけて慎重に計算検証をしているが、まぁ間違いは無いんだろうな。過激派なみの熱血の神官たち《神龍の真のしもべ》グループは、『計算検証だけじゃ生ぬるい』と言ってるがな」
ユーリー司書は察し良く、うなづいた。手には既に魔法の杖を構えており、『地獄耳』その他の盗聴魔法を防ぐための、ノイズ暗号を周辺に施している。それも図書館の静謐を保つためのホワイトノイズである。
「注目の占術方式ですね。現在の『バーサーク危険日』予測の的中率は、70%をレコードしているとか」
ユーリー司書は優秀な聞き役だ。女官同士のクチコミ・ネットワークを持っていて色々な話を聞き込んで来るし、秘密とされた内容に関しては、口は堅い。セイジュ大神官は、深い溜息をついて苦笑いをし、更にボヤいた。
「前回の『死兆星』の相より、『争乱星』の相の方が強く展開する見込みだ。死亡率が低い割に、軍事作戦の成功率が上昇する。かの猛将ラエリアン卿が、この大奇襲のチャンスを逃す筈が無いからな」
ユーリー司書は訳知り顔で相槌を打ち、早速、聞き込んだ話を披露した。
「そして勿論、この重要情報は、ラエリアン卿に漏洩していますね。昨日、1人の学生が怪しい通信をした直後、居なくなったそうですし。変装が達者な上に、逃げ足が素晴らしく速かったそうで……また忍者ですね。神殿の『盾神官』が揃っていなければ、我々は既に『英雄公』ラエリアン卿の足元に、五体投地していましたね」
セイジュ大神官は、ちょっとの間、複雑な笑みを浮かべた――複雑な顔をする事しか出来なかったのだ。
ユーリー司書は、閃いた――と言った様子で、半透明のプレートを小脇に抱えながら立ち上がった。
「良さそうな書棚にご案内いたします、セイジュ大神官。政治交渉の事例集という訳には参りませんが、狙った内容には、かなり近いと思われます」
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――ユーリー司書は有能だった。
セイジュ大神官が案内されたのは、大陸公路の多種族の豪商たちの間で起きた、トラブル解決の事例をまとめた書棚である。各地の大市場には、商売に有利となるホットスポットがあり、それを巡って、豪商たちの間で、冒険者ギルドから雇い入れた用心棒――闇ギルドから派遣されたヤクザも含む――を使った私闘が多々発生する事があった。
「セイジュ大神官、こちらの棚が、諸王国の国境地帯に位置する大市場の事例をまとめた物です。双方の法律が入り乱れて難しい交渉となった事例が揃っていますので、今回の案件の参考になるかも知れません」
セイジュ大神官は適当に本の内容を確認し、微笑んだ。――確かに、大いに参考になりそうだ。
「ユーリー嬢の着眼点の鋭さには、いつも感心させられるよ」
「恐れ入ります。では、ごゆっくり、どうぞ」
ユーリー司書は柔らかな空色の目に会心の笑みを浮かべて、静かに立ち去って行った。
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セイジュ大神官は、精読の候補に挙がった幾つかの資料を書棚から取り出すと、近くの読書コーナーに腰を下ろした。
特定の資料と、書棚の本来の位置との間が一定以上の距離になると、『位置情報魔法』を併用した盗難防止用の蔵書タグが、そっと稼働し始める。隠密スタイルだから、ほとんどの一般人は気付きもしないのだが、流石に大神官としての魔法能力を持つセイジュにとっては、いつも「おッ」というくらいにはビックリさせられる現象だ。
結論から言えば、豪商の間で起きた数々のトラブル解決の模様は、読み物としても興味深い内容であった。
従来、神殿のトップ層は、『このような方針でやれ』『このような結果が望ましい』というような意見しか出して来なかった。ほとんどの外交実務は王宮から派遣された文官の担当となっていたのだ。
神殿が直接に外交案件にタッチし始めたのは、王宮側と対立した結果、神殿が関わった案件については、神殿が片付けなければならなくなったからである。流石にアカデミーが関わる案件が多いのだが、いざ、そうなってみると、神殿のトップ層の頭の古さが浮き彫りになって来たのが実情だ。
意外に自らが属する組織の問題点には、気付かない物だ。大神官長や特定の派閥を作っている高位の神官の間では、認識は浅いままだ。しかし、セイジュ大神官のように特定の派閥に属さず、飄々と独立を保っている神官の間では、『王宮側の主張も、或る程度は納得できる』という認識が、ジワジワと広がって来ていた。
――セイジュ大神官が、読書に没頭していた頃――
大図書館の受付に戻って行くところだった『風のユーリー』司書は、背の高い男と行き逢い、男の問い合わせに対応していた。いつものように半透明のプレートを魔法の杖でつつき、訳知り顔で回答する。
「セイジュ大神官でしたら、あちらの読書コーナーにいらっしゃるようです」
洗練されたファッションを身にまとった背の高い男は、軽くうなづくと、颯爽とした足取りで目的地に向かって歩き出した。




