待ち人、今ひとたび
エメラルドとセレンディは、『願わくば、高度治療のお世話になるのは、これで最後にしたいわね』と笑い合いつつ、高度治療室での朝食を済ませた。相変わらず栄養剤のみの食事である。通常の食事は、3日間を過ぎた後から始める事になっていた。
赤ちゃんドラゴンのファレル君は、未明の奮闘の疲れでウトウトしている所だったのだが、食事担当を務める若い女性スタッフが、やはり目をキラキラさせて『キャアキャア』言いながら構いたおしたので、ポテポテと歩いて見せたり、小さな翼をパタパタ動かして見せたりと忙しくなっていた。なかなかサービス精神のある男の子のようである。
「赤ちゃんドラゴンって、何を食べるのかしら?」
流石にセレンディは忙しすぎて、そこまでは勉強していなかったようだ。助けになったのは、やはり食事担当の若い女性スタッフである。
「此処で用意できますから心配は要りませんよ、セレンディ隊士」
若い女性スタッフは、ポテポテと歩いて来た赤ちゃんドラゴンをヒョイと抱き上げ、その白っぽい柔らかな鱗を堪能するかのように、撫で回した。初脱皮前の幼体の柔らかな鱗は、触り心地が良いのである。
「孵化直後から3日間は水だけで大丈夫なんです。多分、母体の回復タイムの関係でしょうけど――昔は我々は、水場の近くで出産していましたしね」
その内容は、エメラルドにも覚えがあった。女性の竜人の間では、この辺りの事は一般常識である。
女性スタッフの説明が続いた。
「その後は当分の間、水場に生える数種類の草の実が主食になりますけど、この種の草は、元々魔の山でもある竜王都では生えていませんので、山麓エリアや平原エリアから取り寄せる形になります。1ヶ月くらいで胃腸が完成して来ますので、その後は、我々の通常の食事内容に、徐々に慣らしていくと良いですね」
エメラルドは、いつか自分も母親になる機会があるかも知れないし、その時のために覚えておこうと、心に留めておいたのであった。
*****
――朝食後、エメラルドとセレンディ親子は、速やかに各々の個室に移された。
エメラルドは、3日間は青い円盤のお世話になる身だ。移動先の個室の壁にも、ウラニア女医の立ち合いの元、青い円盤が不思議なインテリアさながらにセットされる事になった。
エメラルドの主治医を務めるウラニア女医は、一度、バーサーク毒の排出ペースをチェックし、「全身重傷の有り様はともかく、エメラルド隊士は運が良い」と感心した。恐らく、『バーサーク危険日』を外れていた事が、プラスに働いたのだろうと言う事だった。
「私は、これから上級魔法神官の一人として緊急会議に出席しなければならないので、今日の往診は、この早朝1回で終わりです。昨夜のうちにエメラルド隊士の寮にある長持を持ち込みましたので、身の回り品の不足は無いと思いますよ」
ウラニア女医は、「何かあったらスタッフに言って」と言い残して、同伴していた女性スタッフと共に、忙しそうに去って行った。
エメラルドは枕を立てて半身を起こし、ベッド脇に置かれた黒い長持を、つらつらと眺めた。武官に標準支給される品である。
上下2つの平たいトランクボックスに分解できるスタイルで、クラウン・トカゲに積んで移動する事の出来る最大サイズだ。時には野営用の簡易テーブルや簡易ベッドとしても使える。軍規に従って身の回り品は全て、野営セットと共に長持に収納する事になっているので、急な異動や遠征、赴任に対応できる。そして今回のような、予期せぬ入院にも。
フタに取り付けた魔法署名付きの錠前のみが、エメラルドの趣味を反映したラベンダー色だ。退魔樹林の落ち葉から曜変天目の部分を切り取って作った、キラキラした虹色の造花の飾りが付いている。
――恋人は出張が多い人だ。もし昨夜、帰還していたとしたら、エメラルドの部屋の鍵が開いていて、しかも長持が消えている事に気付いて、ギョッとしたかも知れない――
久し振りに1人になったせいか、エメラルドはフッと恋人の事を思った。
その時、個室の扉からノック音が響いた。このノック音のパターンは――
「――ロドミール!」
まさに噂をすれば影、いや、念ずれば通ず。エメラルドは驚きのままに、枕元に置いてあった魔法の杖を手に取り、先ほど女性スタッフから支給されたばかりの『扉の開錠魔法陣』を空中に作成すると、扉に向かって投げた。
この1ヶ月ほど御無沙汰だった恋人のロドミールが、扉を開けて入って来た。転移魔法陣を慌てて使っていたのは明らかだ。《風》魔法の乱れに伴う突風を食らったのであろう、ロドミールの髪は乱れている。
「ああ、無事で良かったよ、エメラルド!」
ロドミールは濃い水色の目を潤ませ、ベッド脇に両膝を突いてエメラルドを抱擁した。その拍子に創傷が疼き、エメラルドは呻いた。
「済まん、バーサーク傷を受けていたって事を忘れてた」
「大丈夫。来てくれてありがとう、ロドミール」
エメラルドは息を詰まらせた。会いたくても会えなかった1ヶ月の間、積もった話も色々あるが、特にこの一昼夜は、色々な事が起こり過ぎていた――何から話したら良いのかも分からない。
ロドミールはエメラルドを見直すと、改めてギョッとしたような顔になった。
「そんなに痛かったか!? 涙が……」
「大丈夫よ。ホントに大丈夫。ただ、色々あったから……」
――そう言えば、此処に椅子はあっただろうか。エメラルドは改めて個室の中を見回し、「やっぱり」と息をついた。
「何が『やっぱり』なんだ?」
「此処には椅子が無いの、ロドミール。多分、寮のと同じくらい、狭い個室だからだと思うけど――そこに長持があるから、座って」
ロドミールは苦笑し、簡易ベンチさながらの長持に、そっと腰を下ろした。やや気分が落ち着いたのか、大きく溜息を付きながらも、乱れた髪をかき上げる。ロドミールは早速、高速回転中の青い円盤装置に気付き、ジッと見つめた。やがて、感嘆そのものの眼差しになる。
「――もしかして、主治医は地のウラニア女史?」
「良く分かるのね、ロドミール」
「お手本にしたくなるくらい見事な魔法陣が掛かってるからね。彼女はバーサーク傷の第一人者だし、ホッとしたよ」
エメラルドは改めて、青い円盤装置に目をやった。
――自分には、あらかじめ刻まれていた「医の聖杯」が回転している様子と、円盤の中心から出て来るペリドット色のエーテル流束が自分の両腕に連結されている様子しか見えないが……上級魔法神官レベルにしか分からないような、不可視の魔法陣が掛かっているらしい。
「そう言えば、ウラニア女医は先ほど、緊急会議に出席しなければならないって、忙しそうだったけど。ロドミールは大丈夫なの?」
「ああ、私は元々、出張から帰還する日程が早まっただけだから。上級魔法神官と言っても、若手のうちは、下級魔法神官と余り変わらないな」
ロドミールは自嘲的な笑みを浮かべた。広大な平原エリアの各所や、他種族の諸王国への出張が多く、神殿の中央部の動きからは、どうしても縁遠くなってしまう。上級魔法神官になったばかりではあるが、中央に詰めている同期に後れを取りつつあるのは、やはり気に掛かる事なのだ。
エメラルドにとっても、その辺りは理解できる部分だ。エメラルドが早くも上級武官として活躍できるようになったのは、皮肉な事だが竜王都争乱が勃発して、この数年のうちに急に経験値が積み上がったせいである。
エメラルドは微笑み、「大丈夫だと思うわ」と返した。
「たいていの竜人って、竜王都の城壁の中に閉じこもってしまう分、大陸公路の諸王国には無関心になりがちでしょう。外交ルートの維持だって重要な任務なんだし、見ている人は、ちゃんと評価してくれる筈よ」
エメラルドは、ロドミールが出張のたびに土産話として持って来る、大陸公路の諸王国の話題を聞くのが、いつでも楽しみなのだ。そこからロドミールとの交際が始まったと言っても良い。
「エメラルドは、ちゃんと見ていてくれる人の一人目だよ、多分」
ロドミールは朗らかに笑い、ウインクして来た。
「――ちょっと《宿命図》をチェックしてみても良いかな?」
エメラルドがうなづいて片手を差し出すと、ロドミールは、ライアス神官がやっていたように、手相を読むような格好で透視魔法を使い出した。ロドミールの魔法の杖の先端部が青く光り出す。
やがて、ロドミールは顔を上げた。
「さっき、『健康運』の項目を一時的に強化しておいたよ。『上級占術』の一種でね。バーサーク毒には効かないけど、その全身の重傷については、治りが早くなる筈だ」
「ロドミールが居ると、いつでも大丈夫な気がするわ」
「それは買いかぶり過ぎだよ。こんな事くらいしか出来ないんだから、これくらいしないとね」
そんな事を語り合っていると、ロドミールの魔法の杖が『ヒュルル』と音を立てた。《風》魔法を使った遠隔通信の呼び出しだ。
『――《水》の上級魔法神官ロドミール殿、緊急会議に来られたし』
ロドミールは首を傾げた。
「名指しで呼び出しが来るなんて珍しいな。今日の議題は大陸公路の諸王国とは無関係だった筈だけど」
「外交経験を踏まえての見解が、必要になったんじゃ無い?」
「頭の固い大神官の連中がそう考えたとしたら、ビックリだよ。ともかく急がなくちゃいけないようだ」
別れ際、ロドミールとエメラルドは、互いの頬に親愛の口づけを交わした。




