其の少女は鬼火なのか
ドミニクと別れたのち、クレイは茶屋を目指した。
魔法使いについて聞くには茶屋がうってつけだと思ったからだ。
住宅街の細い道を歩きながら、まずは人通りの多い道を探す。
こうした町なら、住宅街を通る大きな道沿いに、地元の人間が利用する店の一つや二つはあるはずだと踏んだのだ。
やがて家々の間から、先ほどよりも幅の広い通りが見えてきた。予想通り、通り沿いにはいくつかの店が並んでいた。
野菜を籠に積んだ店、軒先に日用品を吊るした雑貨屋。その間に、湯気の立つ釜を置いた小さな茶屋がある。
クレイは一度だけ周囲を確認してから、その店へ入った。
「いらっしゃい」
声をかけてきたのは、店の奥にいた中年の男だった。
店内には四つほど卓が置かれていた。客は多くない。入口近くで二人の男が話し込んでいるほか、窓際に老人が一人いるだけだ。
クレイはローブを深く被り直すと、通りから最も見えにくい奥の席を選んだ。
「何にする?」
「……茶を一つ」
「あいよ」
男は店の奥へ引っ込み、ほどなくして湯気の立つ器を持って戻ってきた。
卓に置かれた茶から、ほのかな香りが立ち上る。
「ありがとう」
代金を渡す。
男がそれを受け取り、戻ろうとしたところで、クレイは声をかけた。
「一つ、聞いてもいいか」
「ん?」
「町へ来る途中、土塀が崩れているところを見た」
「ああ」
それだけで分かったらしい。
「一昨日の騒ぎの跡だよ」
「騒ぎ?」
「鬼火が出たんだ。かなりでかい奴でな」
クレイはわずかに眉を寄せた。
「それが土塀を?」
「いや。壁を壊したのは魔法使いの方だ」
クレイの手が止まった。
「……魔法使いが?」
「ああ。知ってるか? 黒い羽織を着たお嬢ちゃんだ。鬼火を仕留めようとしてな。外したんだとさ」
黒い羽織。クレイは先ほど見たあの少女を思い出した。
羽織を着ていること自体は燈国では珍しくない。しかし黒い羽織を着た少女といえばそれだけで特徴になる。
「幸い、怪我人はいなかった。壁はご覧の通りだけどな」
「…………」
クレイは黙って茶に目を落とした。
怪我人はいない。鬼火だけが倒された。クレイはそれに強い違和感を覚えた。
「その魔法使いというのは、どんな人なんだ?」
「んー、どんなやつか。えーっと、真面目な問題児だろうか」
「真面目な......?」
クレイの怪訝な表情を見て、男は少し考えてから続けた。
「少し昔の話だ。あいつがここに来たばかりの頃、情緒が安定していなかったのか、色々やらかしたんだ。土塀を焼いたり、町長の家の一角を燃やしたり、ひどい時はあいつを捕まえにきた領主の守衛の腕を焼いたこともあったな。死人が今まで出なかったのが唯一の救いだ」
クレイは静かに聞いていた。しばしの沈黙ののち、口を開いた。
「......それは、恵まれているな」
その目には驚きとわずかな羨望があった。
クレイの半身には鬼火が宿っている。それゆえ、稀にその半身がクレイの人間の部分を飲み込もうとする時があった。
わずかな怒りや悲しみを種に膨れ上がり、その根源たるものを、排除しよう、飲み込もうと蠢くその衝動は、人でもあった彼自身にさえ御し切れるものではなかった。
それだのに、彼女はそれを完全な鬼火であるにも関わらず、人を一人も殺していないのか。
クレイにはとても信じがたいものであった。
しかし、この男には別の意味に聞こえたようだった。
「そうとも言えるかもな。一応、ここしばらくはそういうこともなくなっていたんだがな。一昨日またやらかしたわけだ。まあ今回は、事故のようなものだったようだが」
事故。
クレイは頭の中で反芻する。
クレイの知る鬼火は蛇のようなものである。
ひたすら貪欲に、目につくものを飲み込む。
完全な鬼火であれば、その貪欲さを抑えようなどという理性すら存在しないはずだった。
事実、クレイがその衝動に飲み込まれた時、自力でそれを止める術はなかった。
――なのに。
そこまで考え、クレイは思考を打ち切った。
これ以上考えたところで、答えは出ない。
意識の大半を占領している疑問をひとまず脇へ置き、もう一つの疑問を男に投げかける。
「......それで、真面目というのは?」
「ああ。あいつ、やらかすにはやらかすが、罪悪感だけは一丁前にあったようでな。毎日自分が壊してしまった土塀の様子を確認しに行ったり、町長の家の様子確認しに行ったりしていたな。手伝いも申し出たみたいだが、丁重に断られたそうだ。組み立て最中にうっかり火が出たりしたらみんな困るからな」
罪悪感?
クレイは完全に黙り込んだ。彼の人としての本能が叫ぶ。それは完全に人間の感情じゃないか。
「……魔法使いは、人間なのか?」
独り言のつもりだった。口に出したことに気づき、咄嗟に口をつぐむ。だが、遅かった。
「そうだろ。じゃなきゃ人の形なんてしてないし、あんな一生懸命働かない。まあ信じ難い話だがな。俺も最初にあいつの魔法を見た時は、同じこと思ったよ」
クレイは苦笑する。それはそうだ。みんなそう答える。
人型の鬼火はかなり珍しい。ほとんどの鬼火はそこに到達する以前に同族同士での共食いに遭う。人の姿をした鬼火など見たことはおろか、その存在すら知らないまま一生を終える者が大半だ。
聞いてしまった自分に呆れつつ、クレイは最後の問いを投げかけた。
「......この町で他に黒い羽織を着た少女は存在するか?」
答えはほとんど明白だった。
魔法使いが人間である場合、人型の鬼火が平然と町に存在しているはずがないのだ。
しかし、クレイは確信を必要としていた。そしてそれに応えるように、男は否定した。
「いや、いないんじゃないか? あいつは確かにすごいやつだが、誰も真似したいとは思わないだろう」
男はそう言って笑った。
それで十分だった。
「そうか、ありがとう。ご馳走になった」
クレイは残っていた茶を飲み干し、席を立った。
「あいよ、どうも」
男の声を背に、クレイは茶屋を後にした。
男はその背をしばらく眺めていたが、呼び止めることはなかった。
やがて空になった器を手に取ると、店の奥へと戻っていった。




