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申請魔法 〜その魔法は、詠唱ではなく「書式」で世界を動かす〜  作者: nanananaca
第一章 申請魔法のはじまり

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第7話 ガラスの港

石造りの港町リーヴァに朝日が差し込む頃、荷揚場にあげばは異様な興奮に包まれていた。


「おい、見ろよ……」

「本当に昨日の夜から、一度も戻ってないぞ」


一晩が明けてもなお、崩落したクレーンの鉄アームと木箱の山は、重力を忘れたかのように同じ位置で静止し続けていた。


呆然と立ち尽くすアイリスの周りには、昨夜助けられた作業員やその家族が集まっている。


「ありがとうな、お嬢ちゃん。あんたのおかげで、この人が助かった」

「本当に、ありがとう……!」


差し出される温かい手。

これまで「欠陥地図描き」と嘲笑ちょうしょうされ続けてきた彼女の瞳に、あふれ出た涙がこぼれ落ちた。


「あ、ううん……わたしは……」


アイリスは言葉を詰まらせながら、差し伸べられた幾つもの手を両手でぎゅっと握り返した。

レオンは少し離れた建物の陰から、静かにその光景を見つめていた。





騒ぎが落ち着いた頃、二人は静かな診療所の裏手、運河に面した日陰にいた。


アイリスはふと首を傾げた。

「……でも、固定したものって、どうやって解除するんだろう。あのままじゃ、まずいよね?」


試しに、描いた紙を指先でなぞるが変わらない。

「……描いた紙を破ってみるとか?」


紙を破った瞬間──

次の瞬間まで空中で止まっていた鉄アームが、重力に従って轟音を響かせて落下した。


アイリスは静かに頷きながらつぶやく。

「……誰も近くにいなくてよかった」


レオンは、怪訝そうにアイリスの顔色を確かめる。

「それより、体は本当に平気なのか」


「うん。いつもなら、一回使うだけで一日中頭が痛くて動けなくなるのに……本当に、信じられない。ねえ、レオン。昨日のあれ、一体何だったの?」


アイリスは膝の上の羊皮紙を不思議そうに見つめた。

「俺にも分からない……アイリスの紙に浮かんだ文字を伝えただけだから」


「私にしか、できない……」

「昨夜皆んなを救ったのは間違いなく──アイリス、君の魔法だよ」


レオンが立ち上がり、きびすを返す。

「あ、待って! レオンはこれからどこに行くの?」


「人探しの続きだよ。今日は骨董市こっとういちがやってるみたいだから、そっちに聞き込みに行く」


「えっ、奇遇だね。私も骨董市に用事があるの。一緒に行こうよ」


並んで歩く二人の影が、運河の水面にゆらゆらと揺れた。





リーヴァの骨董市は、運河沿いにびっしりと立ち並ぶ露店で形成されていた。

西へ傾き始めた陽が水面をきらめかせ、ガラス細工や古時計、真鍮しんちゅうの魔導具を鮮やかに照らす。


「わあ……! 見てレオン、あの古時計、歯車が星の形になってる!」


アイリスはあちこちの露店へ目を輝かせて吸い寄せられていく。


「……じゃあ、俺はあっちを見て回ってるから」

「うん! また後でね!」





「お、坊主。目がいいな」


立ち寄ったガラス細工の露店で、店主が声をかけた。

レオンの視線は、光に透かすと深い青色に輝く、小さなガラス細工に留まっていた。


「妹さんかい?」


「……」


レオンは頭の中に浮かぶ妹の笑顔を思い浮かべ、小さく頷いた。

「そうか。じゃあ、綺麗に包んでやるよ。大事な人に渡すまで落とすなよ」


店主が柔らかな布と紙で丁寧に包み、手渡してくる。

「ああ、助かる」


小さな包みを、壊れ物を扱うように慎重に懐へ仕舞い込んだ。





それから数時間。


「片足を引きずり気味に歩く、仕立てのいい外套がいとうを着た、妙に口の上手い旅商人を知らないか」


レオンは旅商人の特徴を粘り強く尋ね歩いた。

やがて、古地図を扱う老店主が顎を撫でた。


「それなら多分、バルツってやつだな。あいつなら数日前にここで大量の仕入れを終えて、西へ向かったはずだ」


その時──。


背後で硬い地面に何かが落ちる音が響いた。

振り返ると、アイリスが買い込んだ画材道具を散らばらせたまま、立ち尽くしていた。


「今の人物って……レオン、あなたも旅商人を探してたの……?」


大きく目を見開くアイリス。

「私も……ずっと、その人を捜して旅をしてたの。私の魔法を知る手がかりを持ってるかもしれないから」


「ああ。今回、俺がリーヴァに来た目的だ」


予期せぬ目的の一致に、二人は言葉を失った。


レオンは老店主に視線を戻す。

「それで、そのバルツってやつは西へ向かったんだな?」


「西の『ロザリア地方』はいま避難民が増えて物資が不足してる。保存食や毛布、薬を馬車に積み込んでやがったよ」


「ロザリア地方」「避難民」──

その言葉を聞いた瞬間、アイリスの顔からすっと血の気が引いた。


「アイリス?」

「……え? あ、ううん……」


急に視線を彷徨さまよわせるアイリス。

「……別に。なんでもない。ちょっと歩き疲れちゃっただけだから」


「俺は一度、村へ戻る。荷物を整理して、妹の様子も見ておきたい」


「そっか……。ロザリア地方に行くなら、ここからは逆方向だもんね」


アイリスは下を向き、爪の隙間が炭で汚れた指先を小さくいじった。

「わたしは、もう少しこの街で調べてみるよ。夕方まで、歩き回ってみる」


「……そうか。じゃあ、今度こそさよならだ」


レオンが踵を返すと、アイリスは何かを言いかけるように手を伸ばしかけ──静かに引いた。





港町を見下ろすリーヴァ神殿の鐘楼しょうろう

窓辺から港を見下ろす神官が、静かに水晶へ指先を添えた。


「……こちらリーヴァ神殿」


水晶が淡く白く発光する。

「例の少年を確認しました。レオンという名です。現在、ヴェルフォード村へ向けて出発した模様です」


光が静かに消えた。





一人残されたアイリスは、夕涼みの海風が吹き抜ける港に佇んでいた。

温かい感謝の言葉。自分を認めてくれた人々の笑顔。ここにとどまれば、「一人前の地図描き」としての平穏な暮らしが手に入る。


アイリスは、背中に回した大きな地図ケースを両腕でぎゅっと抱きしめた。

擦り切れた革の感触が、去っていった背中と、置き去りにしてきた過去を呼び覚ます。


ぽつりと、風の中に決意を落とした。

「……ごめんね……お父さん、お母さん。でも、わたしやっぱり──」


目を開くと、アイリスは散らばった荷物を抱え直し、街道へ向かって弾かれたように走り出した。





レオンを乗せた乗合馬車が、乾いた蹄の音を立てて街道を進む。

車窓から遠ざかる港町を見つめ、レオンは懐のガラス細工と胸元の『原典筆オリジン』の感触を確かめた。


その時だ。


「待って……っ! 待って、レオン……!!」


引き裂くような叫び声。

振り返ると、大きな地図ケースを背負ったアイリスが、何度も足をもつれさせ、泥だらけになりながら全力で馬車を追いかけてきていた。


転がるように走る彼女の姿に、御者が馬車を止める。

アイリスは肩を激しく上下させ、涙目のまま客車にすがりついた。


「はっ……はぁ……っ……レオン……!」


「どうしたんだ?」


馬車を降りたレオンへ、アイリスは衣服の裾をぎゅっと握りしめてすがりついた。

「お願い……」


声を震わせる。

「お願いだから……ロザリア地方へ行くなら、私も連れて行って」


「何があったんだ、急に。俺と一緒じゃなくても行けるだろ」


あかね色の陽光が二人の影を長く引き延ばす。

アイリスは深く俯き、溢れそうになる涙を堪えながら呟いた。


「……ロザリアには、私の故郷があるの。もう、帰る場所なんて残ってないけど……案内くらいなら出来ると思う」


夕刻の光が、彼女の濡れた頬を静かに照らし出していた。

アイリスが正式に旅の仲間となり、ここから物語は新たな舞台へ向かいます。


「続きを読んでみたい」と思っていただけましたら、ブックマークや★で応援していただけると、とても励みになります。


次回、第8話「戦火の報せ」。物語が大きく動き始めます。

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