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申請魔法 〜その魔法は、詠唱ではなく「書式」で世界を動かす〜  作者: nanananaca
第一章 申請魔法のはじまり

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第5話 同じ世界を視る者

「……あなたにも、見えるの?」


その言葉を絞り出した直後、アイリスは意識を失い、羊皮紙の光もふっと消えた。

港の人々は倒れた少女のことなど気に留めず、救われた船の接岸に歓声を上げている。


「……大丈夫、じゃないよな」


深い息を吐き、レオンは荒い息を吐く少女をそっと背負い上げた。

日差しの強い石造りの港町を歩き続け、広場の片隅にある大きな木陰を見つける。首から下げていた自分の鞄を地べたに敷き、少女の頭を慎重に横たえた。


年齢は十六、七歳ほどだろうか。

陽に焼けた小麦色の肌に、肩口で揺れる亜麻あま色の髪。飾り気のない旅装束には、幾重にも布を当てて縫い直した痕跡があった。


傍らに転がる背丈ほどもある筒状の地図ケース。

革は擦り切れているが、念入りに油が塗られ、大切に扱われてきたことが一目で判明する。


「……お忍びの貴族様では無さそうだな」





海鳥たちの羽が夕暮れの朱に染まる頃、少女の指先がぴくりと震えた。

細い指。だが、爪の隙間には炭やインクが染み込み、幾重にも線を描き続けてきた者特有の黒い汚れが残っていた。


晶坑しょうこうで過酷な炭掘りを続け、泥とすすが染み付いた自分の手。

そして、紙の上で世界を記述し続け、炭で汚れた彼女の手。同じ平民の出なのだろう。


虚ろだった少女の瞳が、ゆっくりとレオンを捉えた。


「……あなた、さっきの」


慌てて起き上がろうとする少女を、レオンは優しく手で制した。

「まだ寝てた方がいい。水でも飲むか?」


枕にしていた鞄から革の水筒を取り出し、差し出す。

だが、少女は水筒には目もくれず、身を起こしてレオンの胸ポケットを凝視した。


「あなたも……あの光が見えるのよね?」


レオンが言葉を詰まらせると、少女はどこか自嘲気味に、けれど屈託のない笑みを浮かべた。


「警戒しなくても大丈夫。わたしは怪しいものじゃない……いや、いきなり光が見えるか聞くなんて十分怪しいか」


ころころと表情を変えると、最後は笑顔で固定された。

「ごめんごめん! わたしは、アイリス。見ての通り、ただのしがない地図描きだよ」


相手の出方を窺うように、レオンは短く応じた。

「……おれはレオン。ベルグラードの晶坑で炭を掘ってる、ただの平民だ」


レオンはアイリスの手元へ視線を落とす。

「さっきの……防波堤のやつ、魔法なのか?」


「実は、わたしにもよく分からないんだ。いつの間にか使えてたから……だからなのか、すぐ元に戻っちゃう」


アイリスは膝の上の古びた羊皮紙を、愛おしそうに撫でた。

「本当に……“一瞬だけ”なんだよね」


自分を顧みず他人のために限界まで力を振るった少女へ、レオンは素直な思いを切り出した。


「……あの光のことだけど、見えるようになったのはつい最近なんだ。だから、あまり深く聞かれても答えられないと思う」


一呼吸置き、レオンは真直ぐに彼女を見つめる。

「でも、もしかしたら何か分かるかもしれない。……さっきの紙、見せてもらえないか?」


アイリスは目を丸くしたが、拒むことなく膝の上の羊皮紙を広げて見せた。


しかし──。


どれだけ凝視しても、そこには港の複雑な図面や線が細かく描かれているだけだった。

胸元の『原典筆オリジン』も静まり返り、微塵も反応しない。


(この紙は、違う……のか? じゃあ、さっきの光はいったい……)


レオンは俯いたまま紙を返した。

「……ごめん。やっぱり、おれには何も分からなかった」


「ううん、いいよ」


アイリスは優しく笑って羊皮紙を丸めた。

「今まで、あの光が見えた人なんて一人も居なかったから……ちょっとだけ、期待しちゃっただけ」


会話が途切れ、気まずい静寂が流れる。

レオンは膝を叩いて立ち上がった。


「じゃあ……そろそろ、おれは行くよ。人を探してるんだ」

「そうなんだ。見つかるといいね」


アイリスは木陰に座ったまま、手を振って見送ってくれた。





広場を離れ、レオンは胸元の筆を握り締めながら思考を巡らせた。

(あの光は、ミレナの時やゴーレムを書き換えた時と同じ気配だった。なのに、どうして何も反応しなかったんだ……?)


答えは出ない。

レオンは思考を切り替え、本来の目的である『旅商人』の聞き込みを開始した。


だが、大きな商会に属さない流しの商人の足取りは酷く曖曖あいまいで、尋ねても返ってくる言葉は芳しくない。


「アイツらは大体みんな胡散臭うさんくさいからな」

「まともな出元の奴らじゃないよ」


夜が更け、情報収集を諦めたレオンは、宿代を節約するために港の乗船待合所へと向かった。


「あっ……」


薄暗い待合所の長椅子に腰掛けていた人物が、顔を上げる。

使い古された大きな地図ケース。亜麻色の髪。アイリスだった。


「レオン……? また、会ったね」

「……こんなところで何してるんだ? アイリスはこの街に住んでいないのか?」


「うん。実はわたしも、人探しをしていて……」


アイリスが苦笑いを浮かべた、その時だった。


──ガシャァァァン!!


深夜の荷揚場の方から、何かが激しく破壊される轟音と悲鳴が響き渡る。


「おい! 荷崩れだ! 下敷きになってる奴がいるぞ!」

「だめだ、ウインチの鎖が噛み合って動かねえ! 早く人を呼べ!」


アイリスの顔から血の気が引いた。

弾かれたように立ち上がると、「助けなきゃ!」と叫んで荷揚場へと走り出す。レオンも後に続いた。


現場では、巨大な木箱の山が崩れ落ち、鉄製のクレーンアームが数人の作業員を地面に押し潰していた。人間の力ではびくともしない質量。


アイリスは走りながら背中から羊皮紙をひったくるように広げ、炭筆を爆絶な速度で走らせた。


「【敷写トレース】……!」


世界が応じるように、黄金の光が弾ける。

崩落した鉄のアームと木箱がふわりと浮き上がり、空中でピタリと停止した。


「今のうちに、早く!!」


作業員たちが慌てて負傷者を引っ張り出す。

だが、巨大な質量を固定する負荷が、アイリスの身体を急速に蝕んでいく。


「う、あ……っ!」


激しい魔力の逆流に、アイリスは膝をついた。

「どうして……どうしていつも“一瞬”しか保てないの……っ!?」


彼女が涙を浮かべて悔しそうに叫んだ、まさにその瞬間だった。


レオンの『原典筆』が、またしても激しく脈動した──。


アイリスの魔法に引き寄せられるような強力な共鳴。

レオンの視界だけに、眩い黄金の光が溢れ出す。


アイリスが広げている羊皮紙の図面の上に、現実を規定する『仕様書』の文字がじわじわと浮かび上がってきた。


「──アイリス、紙を見るんだ!」


思わず叫ぶ。

アイリスは何度も紙を見返すが、その瞳には困惑しかなかった。


「なにも……なにも見えない!!」


彼女には見えていない。

だが、レオンの目にだけは、はっきりとその黄金の羅列が読めていた。


【原初命刻 第07号】

申請者:アイリス・アストレア本人に限る

権限識別:境界の描き手

解放詠唱:『エル・ラティア・ノア』

固定魔法:『ノア・フィクサ・テル』


レオンの瞳が大きく見開かれる。

「……っ、本人限定の申請書式……!?」


「解放詠唱……? 固定魔法……?」

「なんだよ、それ……」


レオンは息を呑み、黄金の文字を凝視した。

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