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申請魔法 〜その魔法は、詠唱ではなく「書式」で世界を動かす〜  作者: nanananaca


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第1話 神聖魔法を申請した少年は、存在しない魔法を授かった

「おにぃちゃん……手が、つめたい、よ……」


かすれた声が、湿った狭い寝室の空気をかすかに震わせた。

ベッドの上で横たわる九歳の妹、ミレナ。着古した麻の寝巻きから覗く小さな肩は、息を吐くたび痛々しく上下している。胸元には、レオンが野原で摘んで作った小さな『白い花の髪飾り』が、弱々しく揺れていた。


「……大丈夫だ。すぐ、温かくなるからな」


レオンは考えるより先に膝をつき、ミレナの手を両手でそっと包み込んだ。

指先から伝わってくるのは温もりではない。じんわりと肌を侵食しんしょくしていく、冷ややかな石のような硬さだった。


黒眠病こくみんびょう』。


喉が食べ物を受け付けなくなり、身体の端から少しずつ感覚が失われ、やがて眠るように呼吸を止める病だ。


ミレナは激しい痛みに肩を強ばらせながらも、レオンの顔を見ると、泣きそうな表情を必死に引っ込めて薄く笑った。


「……泣かないで、お兄ちゃん……」


一人になると痛みに耐えかねて布団の中で震えているくせに、レオンの前では絶対にその顔を見せない。


「……レオン。もう、普通の食事も水も、胃を通らんよ」


部屋の隅、ランプの薄明かりの中に立っていた老医師が、小さく頭を振った。

使い古された薬草嚢やくそうのうを縛る革紐かわひもが、キュと寂しい音を立てる。


「あの子の体を繋ぎ止める手段は、もう一つしか残っておらん」


「……神聖魔法、ですね」


レオンは包み込んだミレナの手に、ほんの少しだけ力を込めた。


人を癒やす『神聖魔法士』。

その座を占めるのは、魔導枢軸都市まどうすうじくとしエル=フィリアの貴族や、大聖堂に太いパイプを持つ大商人たちだ。


十五歳になれば、誰しもが神殿の『天啓盤てんけいばん』に触れ、生涯の職能ジョブを申請する。だが、そのための「公式申請書」は、一家族が数ヶ月暮らせるほどの金で取引されていた。


(……俺のこれからなんて、どうなったっていい)


胸ポケットの硬い紙の感触。

食糧庫から食べ物を盗み出した罪の重みを感じながらも、レオンの足はすでに神殿へと向かっていた。





神殿の石床は、足裏から身体の芯まで冷え切らせるほどに冷たかった。


「……これ、お願いします」


差し出されたレオンの手は、土と汗で汚れていた。

受付の神官は、出された紙を一目見て鼻で笑う。角の折れた粗末な羊皮紙ようひし


だが──そこに並ぶ文字の配列とインクの配置は、神殿の最高級申請書すら凌駕するほど恐ろしい精度で整えられていた。自分のことなら字すらまともに書かない少年が、灯火の下で血を吐くような思いで書き上げた【神聖魔法】の完璧な書式。


後ろに並んでいた同年代の少年たちが、顔を寄せてヒソヒソとささやき合う。


「おい……あの紙、なんだよ。便所紙みたいだぞ」

「どこから盗んできたんだ? 平民が買えるはずないだろ」


嘲笑ちょうしょうの混じった視線が刺さる。

だが、レオンは自分の格好や侮辱など、端から目に入っていなかった。正面の巨大な石盤──《天啓盤》だけを直視していた。


「手を乗せなさい」


神官の指示に従い、両手を石盤へ滑らせる。

ツルリとした冷徹な手触り。直後、視界全体がまばゆい白光によって塗り潰された。


(誰でもいい……! 俺の命も、これからの人生も全部差し出すから……ミレナを助ける力をくれ……!)


──ゴォォォォン。


重い音が神殿内に木霊こだました。

盤面に定着しかけていた【神聖魔法】の光文字が、不規則にゆがみ始める。

青白い光が音もなく溶け崩れ、見たこともない複雑な記号へと組み替わっていく。


「書き換わっている……!? バカな、天啓盤の記録が変質するなど……!」


神官の顔から血の気が引く。

文字盤の上に定着したのは、歴史の書物にも存在しない、どこか奇妙に角ばった文字列だった。


「職能付与──《申請魔法》。……『Lv』の概念すら……空白だ。存在しない……!?」


通常、職能を授かった者の前には『鉄の剣』や『初歩の魔導書』が光とともに現れる。

しかし、レオンの手元には何も残されなかった。


「……与えられる装備もなしか。ただの欠陥職だな……」


神官が吐き捨てると、周囲が一気に騒がしくなる。


「欠陥職じゃねえか! 平民が分不相応な真似をするからだ!」


その時、神殿の重い扉が乱暴に叩き開けられた。


「おい、レオン!」


入ってきた地主の男が、村長とともに歩み寄ってくる。


「見損なったぞ! お前、昨夜食糧庫から干し肉と芋を盗み出していったそうだな。神に拒まれたのも当然の報いだ!」


罪の濡れ衣を突きつけられても、レオンは言い返しもしなかった。己の名誉を守る言葉など頭に浮かびもしない。ただ、妹を救う手が消えたことだけを思って唇を噛み締めた。その時──。


「レオン! 急げ、ミレナの容態が……!」


飛び込んできた老医師の叫びに、レオンの身体は言葉を聞くより速く泥を蹴っていた。

夕闇の小道を、ただ狂ったように走り抜けた。





部屋のドアを押し開けると、濃密な死の気配が満ちていた。

ベッドの上で、ミレナの胸が浅く、途切れ途切れに揺れている。


「嘘だろ……ミレナ! 目を開けてくれよ……!」


床に額を押し付け、声を上げて泣き崩れた。

その時、医師がレオンの胸元を指差す。


「……レオン。その胸ポケットのものは……なんだ?」


涙を拭い視線を落とすと、見たこともない黒い軸のペンが挿さっていた。


【──利用可能書式を照会しています】


「……利用可能? なんだこれ……」


「……待て! それが神殿の『装備』なら、質屋に入れれば本物の神聖魔法士を呼べるかもしれん!」


医師の言葉に身を乗り出し、机の上の雑記紙にペン先を叩きつけた。

だが──ガリッ、と乾いた音が響くだけで、インク一滴すら出ない。


「なんで書けないんだよ!? こんなもの……こんなものっ!」


レオンは黒い軸を床へ叩きつけた。

カツン、と乾いた音が響き、転がっていく。


「……レオン。もう、やめなさい。……最期くらい、側にいてやりなさい」


老人は静かに首を振り、部屋を出て行った。





静寂が戻った小さな部屋。

レオンは床に座り込み、もう一度ミレナの手を両手で挟み込んだ。髪飾りの白い花に涙が落ちる。


(嫌だ──)


理屈も、損得も、未来もどうだっていい。

目の前のこの命を、手放したくない。


(誰でもいい……! 神様でも、悪魔でも、この世界のルールでも何でもいいから……ミレナを助けてくれ!!)


──その瞬間。


ジチ、と左手首の皮膚が熱を帯びた。

袖の下で眠っていたあの薄汚い痣が、服を透かすほど蒼白く光り、複雑な幾何学の紋様となって浮かび上がる。


同時に、床の黒い軸に金の光が巡り、ペン先が美しく繊細な白銀の羽根の形へと変貌していった。


脳裏に、直接言葉が叩き込まれる。


『──原 典 筆』


『──申請者の、明確な意思を確認。緊急受理体制へ移行します』


「……書式……?」


レオンは弾かれたように立ち上がり、ペンを握ると机にすがりついた。

引き出しからひっぱり出したのは、昔騙されて買った擦り切れた羊皮紙の切れ端。


発光する左手首をかざし、

ペン先を近づけた瞬間──蒼いインクがじわりと滲み、

かすれていた枠線が鮮やかに像を結んだ。


【第■■号書式】

【名称:簡易治療】

【用途:栄養補給】

【対象:____】

【効果:____】


(ミレナを……!)


レオンの手が勝手に動き、完璧な精度で空欄を埋めていく。


【対象:ミレナ・アルヴェル】

【効果:黒眠病からの回復】


直後、紙が不気味な赤光を放ち、頭の中に冷たい拒絶音が鳴り響いた。


『──却下。病名指定は書式外です』


「……くそっ! 病気を直接治せないなら……!」


レオンは即座に二本線で文字を塗り潰し、横へ新たな言葉を叩きつけた。


【効果:衰弱の完全停止、および栄養状態の正常化を維持】


息の止まるような静寂。

次の瞬間、赤光が厳かな青白い光へと反転した。


【──承認。第■■号書式を受理。執行を開始します】





寝室から、ミレナの小さく息を呑む音が聞こえた。

駆け込むと、ベッドの上で青白かった妹の頬にぽっと赤みが差していく。冷たかった手首に温もりが戻っていた。


「……おにぃ、ちゃん……?」


うっすらと目を開けたミレナは、胸元の白い花をキュッと握りしめ、困ったように笑った。


「……ね? ……お兄ちゃんは、大丈夫でしょ……?」


自分が死に懸けていたことすら忘れたように、いつもの言葉を口にする。


「ミレナ……! ああ……よかった……っ!」


腰を抜かしたレオンの視界の端で、光の文字列が更新される。


【執行中:第■■号書式(対象:ミレナ)】


その直後──ジッと左腕の皮膚が鋭く焼けるような熱を帯びた。

手首の紋様は静かに光を失い、元の目立たない痣へと戻っていく。だが、そのすぐ上の皮膚に──極細の刃でひっかいたような、読めない文字列が一本、新たな黒い傷痕のようにくっきりと刻み込まれていた。


「……文字……?」


腕をさすりながら袖を元に戻し、レオンは静かに手の中の筆を見つめた。


(……これが、俺の『申請魔法』)


手首の痣の意味も、腕に増えた傷のような文字の理由も分からない。

ただ、困っている誰かがいれば考えずに動いてしまう少年が、世界の理にペンを挿し入れた瞬間だった。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。


レオンの旅は、まだ始まったばかりです。


この世界には、まだ誰にも知られていない『書式』が数え切れないほど眠っています。


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