第4回:三人目のゲーマーと、置き去りの恐怖
「……どうしても、勝てない」
白雪が、コントローラーを握りしめたまま、血を吐くような声を漏らした。
画面の中では、俺たちの分身である勇者パーティが、禍々しいオーラを放つ隠しボス「絶望の化身・ギガデス」の前に転がっている。
聖域(部屋)を構築してから、体感でどれほどの時間が経っただろうか。
俺と佐藤は、この時間の止まった楽園で、ありとあらゆる娯楽を貪り尽くしてきた。
だが、今、俺たちの前に立ちはだかっているのは、ゲーム史上最凶と謳われる三人協力プレイ推奨のレイドボスだった。
「佐藤、これ無理よ。二人じゃ手数が足りない。私が回復に回ったら攻撃が止まるし、あんたが防御に専念したら削りきれない。……どうしても、あと一人の『まともなヒーラー』が必要だわ」
「……だよな。NPCのAIじゃ、この超絶ギミックには対応できない。……でも、ここは二人きりの聖域だぜ? 三人目なんてどこにも――」
俺は言いかけて、部屋の片隅にある「モニター」に目をやった。
そこには、現実世界『二時十分十二秒』の、俺のアパートの廊下が映し出されている。
静止した世界。だが、そこには一人、ちょうど「俺の部屋のインターホンを押そうとして、指を伸ばしたまま固まっている男」がいた。
竹田。
俺と白雪の共通の友人であり、かつては共にネトゲの最前線を駆け抜けた、ギルド界隈では名の知れたトップヒーラーだ。
おそらく、連絡の取れなくなった俺たちを心配して(あるいは単に暇つぶしに)訪ねてきたのだろう。
「……ねえ、佐藤。見なさいよ、あの指。あの角度。あれは間違いなく、最速のレスポンスでヒールを飛ばす男の指だわ」
「……白雪、お前。まさか、竹田を引きずり込もうってのか?」
「だって、このままじゃ先に進めないじゃない! ここは時間の止まった楽園なのよ? 竹田君をちょっとだけ借りて、ボスを倒したら一秒で現実に戻してあげればいいじゃない。彼にとっても、悪い話じゃないはずよ」
白雪の瞳は、もはやゲームへの執着でギラギラと輝いている。
俺もまた、ゲーマーとしてのプライドが「三人目の不在」を許せなかった。
「よし……。一瞬だ。一瞬だけ、竹田を借りるぞ」
俺たちは、事務的な慣れを持って「手続き(セックス)」を済ませると、一秒だけ現実世界へ帰還した。
アパートの廊下。指を伸ばしたまま静止していた竹田の肩を、俺はガシッと掴んだ。
「よう、竹田。悪いが、ちょっと世界を救うのを手伝ってくれ」
「えっ、さ、佐――」
竹田が驚愕の声を上げる暇もなく、俺はスキルの再発動条件をクリアする。
視界が反転し、ホワイトアウト。
次の瞬間、竹田は、大量のカップ麺の空き殻とゲーミングデバイスに囲まれた「真っ白な異常空間」へと放り出されていた。
「な……何なんだよここ!? 佐藤!? 白雪さんも!? 何だそのスウェット、何だそのポテチの山は! ここはどこだ! 宇宙船か!?」
「落ち着け竹田。説明は後だ。まずはこのコントローラーを持て。ジョブはヒーラー。作戦は『いのちだいじに』だ!」
「はあ!? お前、何を言って――」
そこからの数時間は、まさに阿鼻叫喚のレイドバトルだった。
状況が飲み込めないままコントローラーを持たされた竹田だったが、さすがは元トッププレイヤー。目の前のボスのあまりの理不尽さにゲーマー魂が着火したのか、次第に「おい佐藤! バフが切れてるぞ!」「白雪さん、左からくる即死攻撃避けて!」と、見事な采配を振るい始めた。
そして、ついに。
凄まじい閃光と共に、隠しボス「ギガデス」が霧散した。
画面に躍る『CONGRATULATIONS!!』の文字。
「よっしゃぁぁぁぁぁ!!」
俺と白雪は、ハイタッチをして歓喜に沸いた。
竹田もまた、達成感に肩で息をしながら「……やった、のか? 俺、インターホン押そうとしただけなのに……」と呟いている。
「ありがとう竹田! おかげで三年間(体感)の宿願が果たされたよ!」
「三、三年……? 何言ってるんだよ……。おい、もういいだろ、帰してくれ! 意味が分かんないんだよ、この状況!」
竹田が半泣きで、部屋の出口であるドアへ駆け寄る。
だが、当然ながらドアはびくともしない。
「開かない……!? なんだよこれ、どうやって開けるんだよ!」
「……ああ、それな」
俺と白雪は、急速に冷え切った顔で、竹田の後ろ姿を見つめた。
「竹田。この部屋から出るためのルールを教える。……脱出するには、二人一組で『行為』を完遂しなきゃいけないんだ」
竹田の動きが、ピタリと止まった。
「…………は?」
「つまり、俺と白雪が致せば、俺たちは出られる。だが……その場合、お前はここに『置き去り』になる」
竹田の顔が、みるみるうちに青白くなっていく。
「……待て。じゃあ、俺はどうすれば出られるんだ? まさか、俺が、お前か白雪さんのどっちかと……?」
「そうなるわね。でも、ごめんなさい竹田君。私、あんたとは無理だわ。友情が深すぎて、性的対象として見ることが一ミリも不可能なの」
「俺だって嫌だよ! 男同士で手続きなんて、この聖域が汚れちまうだろ!」
竹田はガタガタと震えながら、真っ白な壁を見渡した。
「じゃ、じゃあ、どうなるんだ? お前ら二人がヤって外に出たら……俺は?」
「お前はここに一人。俺たちがまた戻ってくるまで、永遠に近い時間を過ごすことになる。外の時間じゃ一秒だけど、中では……まあ、精神が壊れるには十分な時間だろうな」
竹田は絶望のあまり、床に崩れ落ちた。
「そ、そんなの……生き埋めと同じじゃないか! 頼むよ佐藤、俺、協力しただろ! 回復頑張っただろ! お前らだけ逃げるなんて、そんな非人道的な……!」
「分かってる。だから、実験してみる価値はあると思ってな」
俺は白雪を連れて、ベッドへと向かった。
「今から、俺たちが脱出する。竹田はここで待ってろ。……一秒後、俺たちが戻ってきた時に、お前がどうなってるか。それが、この部屋の『置き去りルール』の証明になる」
「待て! 置いていくな! 行かないでくれぇぇぇ!!」
竹田の必死の叫びを背中に受けながら、俺と白雪は最短速度で「手続き」を済ませた。
ドアのロックが外れる。
俺たちは一瞬だけ、現実世界(二時十分十三秒)の廊下に出た。
そこには、まだ「俺の部屋の前に立っている竹田」はいない。当然だ。彼は今、部屋の中にいるのだから。
俺は即座にドアを開け、聖域(部屋)へと戻った。
――そこには、部屋の隅で体育座りをし、虚空を見つめながらブツブツと独り言を呟いている竹田の姿があった。
「……ひ、光が。光が多すぎる。白。白しかない。……佐藤? 白雪さん? ……あ、あああああ!!」
竹田は俺たちの姿を見るなり、這うようにして駆け寄ってきた。
「戻ってきた……! 戻ってきたぁぁぁ!! 怖かった、怖かったんだぞ! お前らが消えてから、時計もない、音もない……三時間! 三時間も一人だったんだぞ!」
「……三時間か。外では一秒だけど、中では三時間。置き去りにされた側には、ちゃんと時間が流れるんだな」
白雪が事務的にノートにメモを取る。
「竹田君、実験協力ありがとう。これで分かったわ。この部屋は、複数人を引きずり込めるけど、脱出の組み合わせ次第で『特定の人間だけを隔離』し続けられる。究極の独房としても機能するってことね」
「そんなサイコパスみたいな分析はやめろよ! 帰してくれ! 今すぐ帰してくれ! もうボス攻略なんてどうでもいい、俺は自分の部屋で、普通の時間軸で生きたいんだぁぁ!!」
竹田の精神は、たった三時間の孤独で完全に崩壊寸前だった。
俺たちはさすがに少しだけ申し訳なくなり、今度は竹田を含めた「三人での脱出方法」を模索することにした。
「……仕方ない。竹田、お前を連れて出るには、俺か白雪のどっちかが、お前と『手続き』をするしかないんだが……」
「……嫌よ。絶対に嫌。いくら竹田君が良いヒーラーでも、それは別問題」
「俺だってゴメンだ! ……あ、そうだ! 三人で同時に致せばいいんじゃないか!?」
そこから始まったのは、コメディを通り越した、地獄のような「脱出シミュレーション」だった。
誰が、誰と、どういう順番で「手続き」をすれば、全員が無事に外(二時十分十四秒)に出られるのか。
「まず、佐藤と白雪さんが致して、一回外に出るでしょ。で、一秒後に戻ってきて、今度は佐藤と俺が致して……いや、それだと白雪さんが置き去りになるのか?」
「そうよ。それに、佐藤が連続で手続きするのは体力的にも……ねえ?」
「じゃあ、白雪さんと俺が!? いや、それは白雪さんが拒否してるし……。待てよ、じゃあ、俺はどうやっても最後の一人になるじゃないか!!」
竹田の叫びが、真っ白な部屋に虚しく響く。
結局、俺たちは数時間をかけて(もちろん中での時間だが)、最も効率的で、かつ「誰も心を壊さない」脱出スケジュールを編み出した。
それは、俺と白雪がまず外に出て、大量の「お詫びの高級寿司」を買い込み、戻ってきてから、竹田を接待し、最終的に「非常に気まずい、目隠しをした状態での三者間事務的手続き」を敢行するという、世にも奇妙な儀式だった。
「……手続き、完了」
「……生きた心地がしなかったわ」
「俺、もうヒーラー引退するわ……」
現実世界、二時十分十五秒。
アパートの廊下で、竹田は泥のように崩れ落ちた。
彼はそのまま、一度も振り返ることなく、全速力で夜の闇へと消えていった。
おそらく、二度と俺の部屋のインターホンを押すことはないだろう。
俺と白雪は、廊下で残された高級寿司の折詰を手に、顔を見合わせた。
「……ねえ、佐藤」
「なんだ」
「やっぱり、ここは二人きりがいいわね。他人が入ると、……なんというか、その、コストが高すぎるわ」
「……同感だ。せっかくの聖域が、あいつの悲鳴で台無しだった」
俺たちは、静かになった聖域へと戻り、誰にも邪魔されない自由を噛みしめるように寿司を頬張った。
だが、この「置き去りルール」の発見は、俺たちの心に一つの楔を打ち込んだ。
もし、いつか俺と白雪の間で、どちらかが「出たい」と思い、どちらかが「残りた」いと思った時。
この部屋は、どちらかにとっての天国になり、どちらかにとっての「永遠の孤独」を強いる地獄に変わるのではないか。
そんな不安をかき消すように、俺はゲームの電源を入れ直した。
外の世界は、まだ二時十分十六秒。
俺たちの時間は、あまりにも過剰に、そして歪に積み重なっていく。




