番外編1 飴玉には、ご注意を!④
(……え? 何で私が、そこにいるの?)
目の前に広がる光景を見つめながら、ブレアは混乱していた。
何が起きているのか、まるで理解できない。
それもそのはずだった。
まさか、自分がユティナの作った飴――チェンジドロップによって、猫と身体が入れ替わっているなど、一体誰が想像できるというのか。
だが、少しずつブレアは、自分の置かれた状況を確認していく。
視界が妙に低い。
そして――
(……この手、私の手じゃない)
目の前にあるのは、人間の手ではない。
小さな肉球のついた、猫の前足。
恐る恐る身体を動かしてみる。
すると、四本の足が同時に動いた。
さらに、何かを喋ろうとして口を開けば――
「にゃー」
(…………)
ブレアは固まった。
そして、もう一度。
「にゃー」
(………………)
あり得ない、あり得ないはずなのに。
ここまで証拠が揃ってしまえば、否定のしようがなかった。
(も、もしかして……これって……)
ゆっくりと顔を上げると、そこにいたのは、自分の身体。
そして、その身体は四つん這いになっていた。
「にゃー!」
自分の身体が、必死に鳴き声を上げながら中庭を走り去っていく。
「…………」
ブレアは、ただ呆然とその後ろ姿を見つめるしかなかった。
そして、自分の身体が中庭から完全に姿を消した、その瞬間。
ようやく事の重大さを理解する。
(ちょ、ちょっと待って! 嘘でしょぉぉぉぉぉ!? 私の体ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?)
必死に叫ぶ。
だが――
「にゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
当然、その声が人間の言葉として誰かに届くことはない。
静まり返った中庭に響き渡るのは、ただ一匹の猫の悲痛な鳴き声だけだった。
そんな猫の身体と入れ替わってしまったブレアに、二人の生徒が近づいてきた。
アルマとマリアベルである。
「せ、先生、大丈夫ですか!?」
二人は慌てて黒猫のもとへ駆け寄る。
「え、えっと……本当に……ブレア先生、なのですか?」
マリアベルが、半信半疑のまま問いかける。
チェンジドロップの効果については知っている。
だからこそ、目の前にいる黒猫とブレアが入れ替わってしまったのだということも、頭では理解していた。
だが――。
「ニャァ……」
黒猫……もといブレアは、困ったように細い声で鳴く。
アルマとマリアベルは、思わず顔を見合わせた。
二人とも、心のどこかでは「違っていてほしい」と願っていたのだ。
けれど、その直前にブレアの身体になった猫が中庭を走り去っていく姿を目撃している。
どう考えても、望みは薄い。
「やっぱり……入れ替わってるよね……」
アルマが、ぽつりと呟く。
「え、ええ……。先ほど、ブレア先生が猫の様に中庭を走り去るのを見ましたので……恐らくは……」
マリアベルも、どこか遠い目をしながら答える。
二人とも、黒猫になってしまったブレアに何と声を掛ければいいのか分からない。
「……」
気まずい沈黙が流れる。
そんな二人の後ろから――。
「……あ、あはは……」
なんとも気まずそうな声が聞こえてきた。
二人が振り返ると、そこには、遅れてやって来たユティナが立っていた。
その顔には、明らかに「どうしよう……」と書いてあった。
そして、黒猫の姿になったブレアを見た瞬間――ユティナは慌てて言い訳を始めた。
「あ、あのあの! い、一応、時間が来たら飴の効果が切れて、元に戻るはずなんで……!」
必死に弁明するユティナ。
だが、そんな彼女の目には、目の前の黒猫の姿に、今にも怒鳴りつけてきそうなほど激おこ状態のブレア先生の姿が重なって見えていた。
そして、黒猫のブレアもまた、どうやら状況を理解したらしい。
「シャッ――!」
「ひぃっ!?」
黒猫が毛を逆立てて威嚇すると、ユティナは条件反射で一歩、二歩と後ずさる。
そんな二人の様子を見ていたアルマとマリアベルは、顔を見合わせる。
姿が猫になろうとも、どうやら二人の関係性だけは何一つ変わらないらしい。
「……はぁ」
二人揃って、同時にため息をつく。
そんな中、アルマが話を進めるようにユティナへ尋ねた。
「それで、エドナちゃんとクロエさんは?」
「あ、えっと……ブレア先生の体の方を追いかけてくれてる」
「では、私達もすぐに向かいますわよ」
マリアベルがすぐさま立ち上がる。
「時間が来れば効果が切れるとはいえ、あのまま放置するわけにもいきませんもの」
その言葉はもっともだった。
チェンジドロップの効果が切れるまでには、まだ時間がある。
猫になったブレア先生はともかく――問題は、ブレア先生の体に入った猫の方だ。
一体、どこへ走り去ったのか。
何をしでかすのか今のところ、まったく分からない。
何より、先ほど走り去っていったブレア先生の姿を思い出せば、事態の深刻さがよく分かる。
事情を知らない生徒からすれば、あれは間違いなく「ブレア先生」なのだ。
たとえ中身が猫だったとしても、事情を知らない生徒たちから見れば、ブレア先生が校内を奇妙な動きで走り回っているようにしか見えない。
それはもう、奇行以外の何物でもなかった。
そして、黒猫のブレアが突然、ユティナの頭へと飛び乗った。
「え?」
そして――
「シャーッ!」
まるで、『さっさと行け!』とでも言わんばかりに、ユティナを威嚇する。
ユティナは頭の上から伝わってくる、もの凄い圧を直ぐに感じ取った。
「は、はいぃぃぃ!」
そして、ユティナは慌てて駆け出した。
その頭の上には、黒猫となったブレア先生を乗せたまま。
「……行こうか、マリー」
「ええ、そうですわね」
二人も呆れたように顔を見合わせると、ユティナの後を追って走り出したのだった。
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