番外編1 飴玉にはご注意を!②
「う……私は……」
薄く目を開けながら呟いたのはエドナだった。
その瞬間、額にひんやりとした感触が触れる。
冷たくて心地よい。
優しく撫でるようなその感触に、エドナの意識は少しずつ浮上していく。
「大丈夫?」
聞き覚えのある声。
エドナはその声の主を確かめるように、ゆっくりと目を開いた。
「ユティナ先輩……? えっと……私……」
視界に映ったのは、心配そうに覗き込むユティナの顔。
そして気づく。
自分はベンチに横になり、ユティナに膝枕されていた。
本来のエドナなら、その状況だけで鼻血を噴きかねない。
だが今は、頭がぼんやりしていて、それどころではなかった。
「……あ」
徐々に記憶が繋がっていく。
鼻血、大量出血、そして先輩達の入れ替わり。
「あ、あの……! 私、鼻血を大量に出して……それで……先輩方が入れ替わって……あれ……?」
エドナの表情が固まる。
「あれって……夢だったですの……?」
再び、額にユティナの手が触れた。
「いいえ。夢ではありませんわ」
「へ……?」
声は確かにユティナだが、口調がまるで違う。
頭が追いつかない。
「私はマリアベルですわ」
「え……? で、でもユティナ先輩じゃ――」
混乱するエドナに、ユティナ――いや、マリアベルは静かに告げる。
「今の私はマリアベル。……それに、エドナさん、それは貴女も同じでしょう?」
「え……? それって、どういう……?」
嫌な汗が背中を伝う。
マリアベルは、ゆっくりと微笑んだ。
「だって貴女の体……」
「私の、体……?」
「スライムですもの」
「スラ……イム……?」
エドナは恐る恐る自分の体を見下ろした。
そこにあったのは、人の体ではなかった。
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?」
――ゴッ!!
「痛っ!」
「あ痛ぁっ!!」
鈍い音と共に、額に激痛が走る。
エドナは涙目になりながら額を押さえた。
「……あれ?」
恐る恐る自分の体を確認する。
「か、体……!? なってない……! スライムに……なってない……!」
異常なしの、その事実にエドナは大きく安堵する。
「はぁぁ……夢かぁ……」
数秒の沈黙。
そして――
「って紛らわしいんですのぉぉぉぉぉっ!!」
盛大なツッコミが中庭に響き渡った。
すると、そのすぐ隣から弱々しいうめき声が聞こえる。
「のぉぉぉぉぉぉ……」
視線を向けると、ユティナが額を押さえながら空を仰いでいた。
どうやら絶叫と同時に飛び起きたエドナの頭突きを、真正面から受けたらしい。
「あ……え、えーと……ユティナ先輩……?」
不安そうに声を掛けるエドナ。
だが――
「大丈夫、エドナちゃん?」
振り返った先にいたのは、アルマ、マリアベル、クロエの三人だった。
皆、どこか心配そうな表情でエドナを見つめている。
「えっと……私……」
まだ状況を整理できていないエドナに、アルマが苦笑混じりに説明を始めた。
ユティナが持ってきた謎の飴。
それを食べた結果、アルマ達の体が入れ替わったこと。
そして騒ぎの最中、ユティナの暴走によってエドナが興奮しすぎ、大量の鼻血を出して倒れてしまったこと。
現在は、休ませるためにベンチで寝かせていた――という流れらしい。
「そ、そうでしたの……」
記憶が繋がり、エドナの顔がみるみる赤くなる。
「その……皆さん、ご迷惑をお掛けしましたの……」
エドナは勢いよく頭を下げた。
だが、マリアベルは呆れたようにため息を吐く。
「貴女が謝る必要はありませんわ。元を辿れば、そこの問題児が変な飴を持ってきたせいですもの」
じとっとした視線がユティナへ向けられる。
「うっ……」
ユティナは気まずそうに目を逸らした。
すると今度は、クロエが静かに頭を下げる。
「私も少々調子に乗ってしまいました。申し訳ありません、エドナさん」
「そ、そんなっ!」
まさかクロエに謝られるとは思っていなかったのか、エドナは慌てて両手を振った。
「わ、私が勝手に興奮して鼻血を出しただけですし……! それに、もう大丈夫ですから!」
「全く……貴女は……」
マリアベルは頭を押さえながら呆れ返り、視線をユティナに向ける。
その視線に居たたまれなくなったのか、ユティナは困ったように苦笑した。
「あはは……ごめんね、エドナちゃん」
「い、いえ! 本当に気にしないでくださいですの!」
エドナはぶんぶんと首を振る。
「確かに、先輩方が入れ替わった時はびっくりしましたけど……その……楽しかったですし……」
途中で少し視線を逸らす。
もちろん、“普段は見られない先輩達の一面を堪能できた”などとは口が裂けても言えない。
「はぁ……けど、大事にならなくて良かったですわ。それよりもユティナさん……」
一先ず落ち着いたと判断したマリアベルが、改めてユティナを鋭い目で見る。
「その飴、一体何なのか説明してくださるのですよね?」
マリアベルの鋭い視線を受け、ユティナは居心地悪そうに頬を掻いた。
「あー……あはは。実は、その……ちょっとした遊び心で作ってみたんだけど……」
言いながら、チラリとアルマへ視線を向ける。
その仕草だけで、アルマは大体の事情を察した。
(ユティ……まさか、あの魔法で作ったの……!?)
思わず顔を引きつらせるアルマ。
その反応を見たユティナは、露骨に視線を逸らした。
飴そのものは、普通に作ったものだった。
だが、その時にふと、あることを思いついたのだ。
正確には、「思いついた」というよりも、「魔王だった頃の記憶が蘇った」と言ったほうが近い。
かつて魔族の間で流行した、とあるアイテム。
それは――体を入れ替える飴だった。
特に子供たちの間で流行していたもので、当時のユティナにとっても、どこか懐かしい思い出の一つだった。
そして、その懐かしさから、つい出来心でアイテムクリエイションの魔法を使用し、普通に作った飴を元にして、記憶の中にある効果を付与した。
そうして完成したのが、今ここにある、体を入れ替える飴、「チェンジドロップ」だった。
一応、飴そのものは無事に完成した。
問題は――本当に効果が発揮されるのかどうか。
いくら記憶を頼りに作ったとはいえ、実際に使ってみなければ分からない。
そこでユティナは、アルマたちに飴を食べてもらい、その効果を確認しようとしたのだ。
つまり――。
(本当に効果が出るか、みんなで実験しました)
ということなのだが、そんなことを、この状況で正直に言えるはずもない。
だからといって何も説明しないわけにもいかない。
ユティナは余計なことを口走らないよう注意しながら、最低限の説明だけを始めた。
ユティナが持ち込んだ飴、『チェンジドロップ』は、同じ飴を食べた者同士の魂を、一定時間だけ入れ替える効果を持つ特殊な飴だ。
ただし、複数人で食べた場合は入れ替わりの相手は完全にランダム。
さらに奇数人数で食べた場合、一人だけ入れ替わりが発生しない者が出る。
今回、五人で食べた結果、エドナだけが入れ替わらなかったのはそのためだった。
つまりエドナは、見事に『ハズレ枠』を引いたのである。
「本当に……こんな物騒な物、どうやって作ったのか……」
呆れ半分、感心半分といった様子で呟くマリアベル。
「あー……それはー……」
ユティナの視線が、すっと泳いだ。
その様子を見たアルマは、すべてを察したように肩を落とし、小さくため息をつく。
(まぁ……そうなるよね)
作り方については、アイテムクリエイションによって生み出したものだ。
当然、ユティナに説明できるはずがない。
そもそも、どうやって作ったのかと聞かれても、「魔法で作りました」などと正直に答えられるわけもなかった。
そんなユティナの様子を見て、マリアベルも追及するだけ無駄だと判断したのだろう。
「……まぁ、いいですわ」
そう言って、マリアベルは呆れたように息を吐く。
「とにかく、今後この物騒な飴は学園に持ってこないことですわ。こんなもの、トラブルの元にしかなりませんもの」
「あはは……はい。すみませんでした……」
素直に頭を下げるユティナ。
エドナもクロエも、マリアベルが作り方についてそれ以上追及しないのを見て、
(……これは、あまり触れないほうがいい話なのかな)
と察したのか、それ以上は何も聞かなかった。
――ただし。
クロエだけは、別の意味でその飴に興味を抱いていた。
魔道具を作る者として、どうしても気になってしまうのだ。
「魂を入れ替える飴……ですか」
クロエは顎に手を添えると、真剣な表情で考え込み始める。
「非常に興味深いですね……」
その瞳には、先ほどまでとは明らかに違う光が宿っていた。
「理論上は、魂と肉体の結び付きを一時的に切り離し、その間だけ別の肉体へ移動させている……ということになりますが」
ぶつぶつと呟きながら、頭の中で仮説を組み立てていく。
「もし魂そのものに干渉しているのだとすれば、必要になる魔力は……いえ、そもそも魂を認識するための術式が……」
完全に研究者の目だった。
もはやユティナ本人の存在すら忘れ、飴の仕組みを解明することに夢中になっている。
そして、そんなクロエとはまた別の意味で、その飴に強い関心を寄せている少女が一人。
エドナだった。
彼女は頬をほんのり赤く染めながら、誰にも気付かれないように胸の前で手を握る。
(も、もし……またみんなでその飴を食べることになったら……)
脳裏に浮かぶのは、先ほどの出来事。
そして――
(……次は、私にもチャンスが……!)
密かに期待を膨らませ、エドナの頬はさらに赤くなっていく。
当然ながら、そんな彼女の思惑など、当然ながら誰も知る由はない。
そして、そんな空気の中。
「あ、あのさぁ……」
気まずそうにユティナが口を開く。
「それで……まだ、あるんだよね。飴玉」
そう言って、懐からもう一つ、飴玉の入った袋を取り出した。
「勿体無いからさ……もう一回、みんなで……最後に……」
「食べませんわよっ!」
「食べないよっ!」
マリアベルとアルマが、ほぼ同時に全力で拒絶する。
二人の声が重なり、中庭に響き渡った。
――どうやら、二度目はないらしい。
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