第92話 カルノーラと小さな聖霊獣
ユティナが誘拐事件に巻き込まれている頃。
レディア聖院女学園の中等部では、聖霊獣と契約を交わした生徒たちを対象とした、初めての聖魔法の授業が行われていた。
「はい。では、皆さん。準備はいいですか?」
訓練場に響く、凛とした女性の声。
声の主は、高等部で聖魔法の授業を担当する教師。
そして現聖女、オルラリア・パーカーである。
そのオルラリアを前に、三人の少女が横一列に並んでいた。
アルマ・シェルフィード。
マリアベル・ランカスター。
そして、カルノーラ・マイティニアス。
本日の午後、三人だけは他の生徒たちとは別の授業を受けることになっていた。
「皆さんは先日の野外実習で、無事に聖霊獣との契約を終えました」
オルラリアは三人を見渡し、穏やかな笑みを浮かべる。
「聖女になるための第一歩を、ようやく踏み出したと言っていいでしょう」
先日の野外実習。
そこで三人は、それぞれ聖霊獣との契約を果たした。
そして今日から始まるのは、その聖霊獣から授かる聖力を用いた、本格的な聖魔法の訓練だった。
聖魔法。
それは、聖女にとってなくてはならない力である。
教会に属する者の中にも、聖魔法を扱える者は少なからず存在する。
しかし、聖女が扱う聖魔法とは、その力の規模が大きく異なる。
聖魔法とは、祈りと信仰を聖霊へ捧げることで授かった「聖力」を用いて行使する魔法だ。
そして、その聖魔法を扱う上で最も重要となるのが――どれだけの聖力を扱えるかということである。
本来、人間が聖霊から授かることのできる聖力は、非常に少ない。
だからこそ、聖女は聖霊獣と契約する。
聖霊獣は、その身に膨大な聖力を宿している。
契約によってその大きな聖力を借り受けることで、通常の聖職者とは比較にならないほど強力な聖魔法を行使することが可能になるのだ。
しかし、聖霊獣から聖力を借りるだけでは、聖魔法を扱うことはできない。
聖力はそのままでは制御することが難しく、行使するには自身の魔力を媒介として、形を与える必要がある。
つまり、聖女にとって魔力量は非常に重要な要素となる。
強力な聖魔法ほど、必要となる魔力も大きい。
その為、聖女には高い魔力量を持つ者が多く、さらに聖力を自在に操る過程で培われた高度な魔法制御能力を有している。
その結果、聖女は一般的な魔術師と比べても、非常に高い魔法技術を持つ傾向にある。
故に、この学園で聖女の資格を得られなかった者の中には、その優れた魔法技術を活かし、魔術師の道へ進む者も少なくない。
そして、聖魔法には、攻撃、回復、結界、解呪―大きく分けて四つの系統が存在する。
そのどれにも共通しているのは、聖属性を持つ魔法だということ。
中でも回復、結界、解呪において、それは絶大な力を発揮する。
祈りや信仰によって得られる聖力を源とする聖魔法は、何かを傷つけるためというよりも、人々を守ることに長けた魔法なのだ。
もちろん、攻撃魔法としても決して弱いわけではない。
特に魔物を相手にした場合、その力は大きく発揮される。
魔物の体内には、瘴気が宿っている。
聖魔法には、その瘴気を浄化する力があるため、魔物に対して非常に高い効果を発揮するのだ。
逆に言えば、人間を相手にした場合、その浄化の力は本来そこまで大きな効果を持たない。
しかし、聖霊獣が持つ「固有聖魔法」は、その常識から外れている。
聖霊獣が扱う聖魔法には、通常の聖魔法とは比較にならないほど強力な攻撃能力を持つものも少なくない。
聖属性による浄化だけではなく、純粋な破壊力そのものが桁違いなのだ。
そのため、聖霊獣の固有聖魔法ともなれば、「魔物には効くが、人間にはそれほど効果がない」という聖魔法本来の性質など、もはや関係なくなってくる。
それほどまでに、聖霊獣が持つ固有聖魔法は特別なものだった。
もっとも、その力を自由に扱える聖女は、ほとんど存在しない。
聖霊獣の固有聖魔法を使役するためには、通常の契約とは異なる「隷属契約」が必要となるからだ。
聖霊獣と対等な契約を結ぶ聖女はいても、隷属契約まで結べる者はほとんどいない。
それほどまでに、聖霊獣との隷属契約は特殊なものなのである。
そんな聖魔法の基礎を、今日、三人は学ぶ。
そして、今回の授業で行われるのは、その中でも基礎中の基礎だった。
オルラリアは三人を見つめると、静かに告げる。
「今日は皆さんに、契約した聖霊獣を呼び出してもらいます」
告げられた言葉に、カルノーラの肩がわずかに強張った。
(は、初めての聖魔法の授業……。わ、私に……本当にできるのかな……)
胸の奥から、不安が込み上げてくる。
もともとカルノーラは、内向的で人付き合いが得意な性格ではない。大勢の前に立つだけでも緊張してしまう彼女にとって、今回の授業は特別だった。
通常の魔法授業ではなく、聖霊獣と契約を果たした者だけが受けることを許される、特別な聖魔法の授業。
自分がその場にいるという事実だけでも、カルノーラにとっては信じられないほどの出来事だった。
しかし、緊張の理由はそれだけではない。
視線を少しだけ横へ向けると、そこにいるのは、アルマ・シェルフィードとマリアベル・ランカスター。
どちらも同じクラスの生徒ではあるが、カルノーラにとっては雲の上の存在だった。
アルマは学年一位の成績で、聖国の侯爵家令嬢。
そして、マリアベルは学年二位にして、帝国の公爵家令嬢。
対して、自分はただの男爵家の娘。
もちろん、この学園において貴族としての身分で優劣があるわけではない。
それでも、幼い頃から身についた意識というものは簡単には消えない。
(やっぱり……私とは住む世界が違うよね……)
そう思ってしまうほど、二人はカルノーラにとって遠い存在だった。
特に、人との距離の取り方が苦手なカルノーラにとって、大貴族の令嬢である二人へ自分から話しかけることなど、とてもではないができなかった。
もっとも、アルマに関しては例外だった。
彼女は身分など気にしない気さくな性格で、カルノーラにもよく声をかけてくれる。
しかし、問題はカルノーラ自身だった。
緊張で上手く言葉が出てこず、いつも会話は途中で終わってしまう。
決してアルマが壁を作っているわけではない。
ただ、自分の方が勝手に距離を感じてしまっているのだ。
一方で、マリアベルに対してはまた別の意味で近寄り難さがあった。
最近では取り巻きを連れている姿を見なくなったものの、少し前まで彼女の周囲には常に多くの令嬢達がいた。
その圧倒的な存在感は、カルノーラにとって「自分とは違う人間」だと思わせるには十分だった。
だからこそ、そんな二人と共に受ける聖魔法の授業は、カルノーラにとって大きな重圧となっていた。
(私……本当にここにいても良いのかな……)
そんな不安を抱えながら、カルノーラは授業に臨むのだった。
「皆さんは、すでに聖霊獣との契約を交わしています。つまり――今、この瞬間も貴女達の内に宿っているのです」
オルラリア先生はそう言うと、そっと自身の胸元へ両手を重ねた。
「体の奥に……彼らの存在を感じることはできますか?」
その言葉に、カルノーラも恐る恐る胸へ手を当てる。
(わ、私の中に……聖霊獣が……?)
聖霊の儀以来、まだ姿を見たことのない存在。
けれど確かに、自分と繋がっているという感覚だけはあった。
「聖霊獣は、貴女達の想いに応えてくれます」
オルラリア先生は優しく微笑む。
「さぁ、姿を見せてほしいと……心から想うのです」
カルノーラは祈るように両手を組み、ぎゅっと目を閉じた。
(お、お願い……! 出てきて……私の聖霊獣……!)
必死に願う。
それは祈りというよりも、もはや懇願だった。
自分にも、アルマ達と同じように力があるのだと証明したかった。
しかし、どれだけ願っても、どれだけ強く想っても、カルノーラの前に、聖霊獣が姿を現すことはなかった。
「……」
静寂が流れるそんな中で、カルノーラの横では、
「出てきて、トリス」
アルマが静かに声をかけると、次の瞬間、彼女の足元に淡く輝く魔法陣のような紋様が浮かび上がった。
「来なさい、ヒプノ」
続けて、マリアベルの前にも同じように光の紋様が現れる。
そして、二人の契約した聖霊獣が、それぞれの主の前へと姿を現した。
その光景を見たオルラリア先生は、思わず目を見開く。
「素晴らしいです……!」
感嘆の声が漏れる。
「まさか、こうも容易く聖霊獣を呼び出せるとは……。流石、学年トップに位置するお二人ですね!」
オルラリア先生は心から感心した様子で二人を称賛する。
「そ、そんな……ありがとうございます……」
「あ、いえ……オルラリア先生のご指導が素晴らしかったからですわ」
アルマとマリアベルはそう答える。
しかしカルノーラは、二人の様子に僅かな違和感を覚えた。
喜んでいるようには見える。
というより、どこか戸惑っているような。
まるで、この状況を素直に受け止められていないような表情だった。
(……?)
カルノーラには、その理由が分からなかった。
だが、アルマ達にとってはそれは、無理もないことだった。
何故なら、ユティナの護衛訓練の一環として、アルマ達は事前にブレア先生から簡単な特訓を受けていたのだ。
聖霊獣の呼び出し方はもちろん、魔力を媒介とした聖力の制御方法。
そして、初歩的な聖魔法の使い方など、聖魔法に関する基礎を、既に一通り教わっていた。
つまり、今回の授業で扱われている内容は、アルマ達にとって既に一度経験しているものだったのである。
しかし、それを周囲に話すことはできない。
ユティナの護衛訓練が秘密裏に行われている以上、「既に習いました」などと言えるはずもない。
そのためアルマ達は、まるで今日が初めての授業であるかのように振る舞い、何も知らない生徒として授業を受けなければならなかった。
だからこそ、オルラリア先生に褒められても、素直には喜べなかったのだ。
むしろ、どこかズルをしているような、そんな後ろめたささえ感じていた。
もちろん、そんな事情を知らないカルノーラからすれば、二人の反応が妙に映るのも無理はない。
(……何だろう?)
カルノーラはしばし二人を見つめ、疑問を抱くが、すぐにその考えを振り払う。
今は、そんなことを気にしている場合ではない。
自分はまだ、聖霊獣を呼び出せていないのだから。
(やっぱり……アルマさんも、マリアベルさんも凄い……)
目の前で堂々と聖霊獣を従える二人。
それに比べて、自分は……。
(私なんて……)
自然と俯いてしまう。
まただと、いつものように、自分と他人を比べてしまう。
カルノーラの胸に、悔しさと不安が静かに広がっていった。
そんなカルノーラに、オルラリア先生は優しく声を掛ける。
「マイティニアスさん、焦らなくても大丈夫ですよ。貴女の中には、ちゃんと聖霊獣がいます」
「は、はい……。で、ですが……どうすれば、私の前に聖霊獣が現れてくれるのか……」
俯きながら、不安そうに呟くカルノーラ。
そんな彼女に、オルラリア先生は穏やかな笑みを向けた。
「マイティニアスさん。『願う』のではなく、『想う』のです」
「想う……?」
「ええ。聖霊獣に会いたい。貴女の中にいる聖霊獣と、ちゃんと向き合いたい――そう、心から想ってください」
オルラリア先生の言葉に、カルノーラは顔を上げる。
「そうすれば、きっと貴女の想いに応えてくれますよ」
「願うのではなく……想う……」
オルラリア先生の言葉を確かめるように、カルノーラは小さく呟いた。
そして、ゆっくりと目を閉じ、静かに息を吸い、心を落ち着かせる。
今まで自分は、聖霊獣が現れてほしいと、ただ必死に願っていた。
自分もアルマやマリアベルのように、聖霊獣と契約しているのだと証明したい。
けれど、今は違う。
カルノーラは胸の奥に意識を集中させる。
(ブラウニー……)
心の中で、その名を呼ぶ。
(あなたに……逢いたい)
その瞬間だった。
カルノーラの右太ももに刻まれた、茶色の聖印が淡く輝き始める。
「……え?」
カルノーラの目の前に、淡い光が集まり始めた。
光はゆっくりと渦を巻き、やがて一つの紋様を形作っていく。
そして、ぽんっ。
小さな光とともに、そこから一体の聖霊獣が姿を現した。
掌に乗るほどの小さな身体に、茶色い毛並み。
そして、その背には小さな羽が生えている。
羽を持つ、熊の聖霊獣。
「……あ……」
カルノーラは目を見開いた。
「で、出来た……」
その声は、驚きと喜びで震えていた。
目の前にいる小さな聖霊獣は、カルノーラを見つめる。
そして、嬉しそうに小さな羽をパタパタと動かすと、そのままカルノーラの肩へと飛んでいった。
「……ブラウニー……」
肩にちょこんと座った聖霊獣を見つめ、カルノーラの表情が綻ぶ。
「ふふ……」
思わず、小さな笑みがこぼれた。
「凄いよ、カルノーラさん!」
「無事に呼び出すことができて、本当に良かったですわね」
アルマとマリアベルから、思いがけない賞賛の声が飛んでくる。
「え……あ……」
突然声を掛けられ、カルノーラは戸惑ったように二人を見る。
「……ありがとう……」
少し恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに答えるカルノーラ。
そんな三人の様子を、オルラリア先生は微笑ましそうに見守っていた。
やがて、静かに手を叩く。
「はい。それでは、皆さん無事に聖霊獣を呼び出すことができましたね」
その声に、三人はすぐにオルラリア先生へと向き直る。
「それでは、次のステップへと移りましょう」
こうして、聖霊獣を呼び出すという最初の課題を終えた三人は、再び聖魔法の授業へと戻っていく。
その後も、オルラリア先生による聖魔法の授業は滞りなく続いていくのだった。
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