第87話 ユティナが見抜いたもの
ユティナの荒い呼吸だけが、静まり返った森の中に響いていた。
その中で、大木を背に倒れ伏すヴァレリアを見つめながら、ゼーグルは言葉を失う。
「まさか……ヴァレリアが負けるとは……」
信じられなかった。
自分たちは『嘆くモノ』。
世界の裏側で暗躍する集団であり、そのメンバーは全員が実力者だ。
中でもヴァレリアはAランク冒険者に匹敵、あるいはそれ以上の戦闘能力を持つ。
そんな彼女が敗れた。
それも、目の前に立つ一人の少女に。
確かに最初から異様な子供だとは思っていた。
年齢に見合わぬ技量。
戦いの最中に成長しているかのような適応力。
だが、それでもヴァレリアを倒せるほどではない――そう判断していた。
事実、戦闘の大半はヴァレリアが支配していた。
あの少女に勝機など存在しない。
いずれ力尽き、蹂躙されるだけだと思っていた。
だが、結果はどうだ。
倒れているのはヴァレリア。
そして今も立っているのは、剣を握る少女だった。
ゼーグルにとって、これほど予想を裏切られた出来事はなかった。
いや――。
本当に恐ろしいのは、ヴァレリアを倒したという事実ではない。
あの少女が戦いの最中に急速な成長を遂げていたことだった。
そして、少女はゆっくりとこちらへ顔を向けた。
全身は傷だらけだった。
服は至る所が裂け、切り傷からは血が滲んでいる。誰が見ても満身創痍。
今にも倒れてしまいそうな姿だった。
それなのに、その瞳だけは、少しも死んでいなかった。
まるで全てを見透かすような静かな眼差し。
その視線を受けた瞬間、ゼーグルの背筋を冷たいものが走る。
(この子供は危険だ……)
直感だった。
今はまだ未熟だが、この歳でここまで戦い、なお立ち続けている。
たが、このまま生かしておけば――いつか必ず、自分達の障害となる。
(殺すなら……今しかない)
ゼーグルは静かに腰を落とした。その瞬間、周囲の空気が張り詰める。全身に纏った殺気が空間を震わせ、戦闘態勢へと移行する。
そして、一歩踏み込もうとした、その瞬間だった。
「……貴方達って、魔族?」
ぽつりと。
少女――ユティナの口から、場違いなほど静かな言葉が零れた。
その一言に、ゼーグルの動きが止まる。
その様子を確認するかの様に、ユティナは真っ直ぐにゼーグルを見据え、チラリと視線だけを倒れ伏すヴァレリアへ向ける。
――魔族。
その言葉は、ヴァレリアと戦いながらユティナが抱いていた疑問の答えだった。
それは、空間を使った攻撃。
魔法であるならば、どれほど熟練した術者であっても発動から現象が発生するまで僅かな時間差が生まれる。
それは無詠唱魔法であっても同じ。
だからこそ、あれほどの高速戦闘の中で、連撃と完全に同期させて空間攻撃を繰り出すことなど本来不可能なはずだった。
時間でも止めない限りは。
そして何より、ユティナはそこに魔力の流れを一切感じ取れなかった。
魔法を発動する際に生じるはずの魔法陣の展開もない。
ヴァレリアの攻撃は魔法の常識とは違っていたのだ。
(あれは……魔法じゃない)
戦いの最中、ユティナはそう結論付けていた。
そして、その確信は魔王だった頃の記憶へと繋がる。
忘れていた知識の断片を手繰り寄せた先で、ユティナは一つの答えに辿り着いた。
思い当たるものは、ただ一つ。
――異能。
そしてもう一つ。
ユティナは何度もヴァレリアへ魔法を叩き込んでいた。
しかし、その効果は驚くほど薄かった。
最初は魔装具による防御だと思っていた。
学園で使われているセーフティリングや、野外実習で配布された聖結界のネックレス。
あの類の装備ならば説明がついたのだが、それは違う様に思えた。
魔装具が発動すれば必ず反応が現れる。
魔装具から放たれる光や僅かな魔力の揺らぎ。
何らかの兆候が見えるはずだ。
しかしヴァレリアにはそれが一切なかった。
身に付けている様子もなければ、起動した痕跡もない。
ならば答えは一つ。
魔法への高い耐性を持っていると。
前世の記憶を持つユティナだからこそ、その特徴に思い当たる種族は一つしかなかった。
異能とも呼べる特殊な力を持ち、人間を遥かに凌ぐ身体能力。そして膨大な魔力を宿し、魔法を自在に操り、さらには魔法そのものに対して絶対的とも言える耐性を有する存在。
かつてユティナ自身が生きた前世の種族であり、今の時代では遥か昔に滅び去ったと伝えられている。
それでも目の前の二人は、その伝承に語られる魔族の特徴とあまりにも一致していた。
だからこそ、ユティナは確信する。
前世の記憶が導き出した答えは、ただ一つ。
――この者たちの正体は、魔族だと。
「ふ……お前のような子供から、その言葉が出るとは驚きだな」
ゼーグルは嘲るような笑みを見せるが、ユティナは動じない。
むしろ、その反応こそが答えだった。
「否定しないんだ……」
ゼーグルの視線が鋭くなる。
目の前の少女は魔族の存在を知っている。
それだけではない。自分たちの正体までも見抜いていた。
表情には出さなかったが、その事実にゼーグルは内心驚愕していた。
その動揺は僅かな反応の遅れとなって現れる。
結果として、ユティナの推測を肯定してしまった。
(まだ未熟か……)
ゼーグルは内心で己を戒める。
そして次に考えるのは、この少女をどうするかだった。
――いや、考えるまでもない。
結論は既に出ている。
今後、自分たちの障害となる可能性がある。
何より、魔族の存在と正体を知ってしまった。
生かしておく理由など一つもなかった。
「……やはり危険だな」
思考の果てに漏れた呟き。
その声はあまりにも小さく、ユティナの耳には届かない。
しかし、その身から放たれる空気は明確に変わった。
再び濃密な殺気が周囲を包み込む。
当然、ユティナもそれを感じ取ると、ぞくりと背筋を冷たいものが走った。
ユティナは即座に剣を構え、ゼーグルを睨み据える。
「俺たちが魔族だと知っているのなら――これも知っているだろう?」
ゼーグルが静かに手を掲げる。
その前方に、巨大な紫色の魔法陣が展開された。
幾重にも重なる紋様。
複雑に絡み合う魔力の回路。
ただ存在しているだけで周囲の空気を歪ませるほどの圧力を放っている。
「我々の異能は、力の一部に過ぎない」
ゼーグルの全身から膨大な魔力が溢れ出す。
うねる奔流となった魔力は魔法陣へと流れ込み、その輝きを増幅させていく。
「本当の魔族の力は――」
魔法陣が眩く輝いた。
「魔法だ」
瞬間、空気が震えた。
否、空間そのものが悲鳴を上げたかのようだった。
周囲を満たしていた空気が一変する。
圧倒的な魔力。
その場にいるだけで本能が警鐘を鳴らすほどの危険な力。
その異常な魔力に、ルナが反応する。
(ユティナ! まずいっ! あの魔法は危険だ! 私の魔法を――!)
ルナの切羽詰まった声に、ユティナも即座に理解する。
(だめっ! 間に合わない!)
ルナの魔法は強力だが、発動には詠唱が必要。
今からでは間に合わないと、ユティナは一瞬で判断する。
(ルナ! 私に聖力を貸してっ!)
そして、ゼーグルが静かに告げた。
「サンダーボルト・ジャッジメント」
天が鳴動する、次の瞬間。
轟ッ――!!
天より一本の巨大な雷が落ちた。
それは雷撃というより、天罰そのものだった。
眩い閃光が世界を白く染め上げる。
ユティナの姿は一瞬で光の奔流に飲み込まれた。
大気が震え、鼓膜を裂くような轟音が響き渡たる。
地面は衝撃に揺れ、周囲の瓦礫が跳ね上がった。
全ては一瞬。
だが、その一瞬だけで十分だった。
この魔法が常識外れの威力を持つことを理解するには。
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