第86話 研ぎ澄まされる剣閃
「さぁ――もっと楽しもうぜぇ♪」
ヴァレリアは不気味に身体を揺らしながら、一歩、また一歩と前へ進む。
そして――地を蹴った。
その瞬間、ユティナもまた、ほぼ同時に駆け出す。
(空間を使って、自分の体の一部を瞬時に移動させる攻撃……。止まれば、格好の的だ)
脳裏に刻まれたのは、先ほどの異様な攻撃。
腕だけが“消えた”かと思えば、次の瞬間には別の位置から刃が飛んでくる。常識外れの戦闘術。ならば――。
(止まらずに攻め続ける!)
ユティナは加速魔法を発動。
身体が弾けるように加速し、一瞬でヴァレリアの側面へ回り込む。その勢いのまま剣を振り下ろした。
だが――。
「見えてるぜぇ〜♪」
ギィンッ!!
重い金属音。
ヴァレリアは振り向きもせず、短剣でユティナの一撃を受け止めていた。
「……っ!」
ユティナの瞳が揺れる。
(私のスピードに、ついて来てる……!?)
ヴァレリアは口元を歪め、獰猛に笑った。
「油断でもしてりゃ別だけどよぉ? 自分より弱い相手に、簡単に遅れを取るほど甘くねぇんだわ♪」
それでも、防御姿勢へ入ったヴァレリアの僅かな隙を、ユティナは見逃さなかった。
即座に左手へ魔力を集中させると、赤く輝く魔法陣が掌の前に展開された。
「ファイヤーボール!」
至近距離から放たれた灼熱の火球が、ヴァレリアの懐で炸裂する。
炎が一気に膨れ上がり、ヴァレリアの身体を包み込んだ。
しかし――。
「あはははっ! いい火加減だなぁ、おい♪」
炎の中から聞こえてきたのは、苦鳴ではなく愉悦の笑い声だった。
燃え盛る炎の中でなお、ヴァレリアは笑っている。
その姿に、ユティナの背筋を冷たいものが走った。
(やっぱり……ほとんど効いてない……)
常軌を逸したその気配に、ユティナの思考がほんの一瞬だけ揺らいだ。
そして、その“僅かな揺らぎ”こそが致命的だった。
「動き、止まってんぞ?」
(ユティナ!)
ルナの叫びに、ユティナの反応が一瞬だけ遅れる。
「しまっ――!」
次の瞬間。
空間が歪み、その裂け目から現れたヴァレリアの短剣が、背後からユティナの背を鋭く切り裂いた。
「っ……うぅ!」
焼けるような痛みが走る。
だが、ヴァレリアはそこで止まらない。
まるで獲物を追い詰める獣のように、途切れることのない連撃を叩き込んでくる。
「ほらほらぁっ!」
鋭い斬撃が次々とユティナを襲う。
受ける、躱す、弾く。
それでも、防ぎ切れない刃が肌を掠め、赤い線を刻んでいった。
(この女……速いっ! さっき迄とは違う……!)
常人なら視認すら困難な速度。
それに加え、空間移動による死角から織り交ぜた変則的な攻撃。
完全に防戦一方だった。
「あははははっ! もう終わりかぁ?」
ヴァレリアは心底楽しそうに笑う。
その瞳にあるのは、勝利への執着ではない。
相手を傷つけ、追い詰めることそのものを愉しむ、狂気じみた愉悦。
「いい顔になってきたじゃねぇか……その必死なツラァ!」
ギラついた瞳がユティナを舐め回すように見据える。
「自分が強ぇって思ってる奴ほどよぉ……追い詰められた時の顔が最高なんだよぉ!」
鋭い斬撃が連続で奔り、火花が散る。
「ガキぃ、テメェが強いってのは認めてやる。だから、私にもっといいツラ見せてくれぇぇぇ!!」
ユティナは辛うじて剣で受け流すが、防ぐたびに腕へ重い衝撃が突き刺さった。
「ほら、もっと足掻けよォ!!」
さらに短剣が唸り、横薙ぎ、突き、斬り上げ、そして、死角からの斬撃。
息をつく暇すらない猛攻。
「ああ……たまんねぇなぁ!! これだから戦いはやめられねぇ!!」
狂喜に満ちた声が響く。
対するユティナは、一歩、また一歩と押し込まれていく。
致命傷こそ避けているが、浅い裂傷は確実に増えていた。
気付けば衣服のあちこちが赤く染まり、その傷の数が戦況の苛烈さを物語っていた。
呼吸は乱れ、体力も削られていく。
(ユティナ……!)
ルナの声に焦りが滲む。
(分かってる……!)
ユティナは浅く息を吐き、ヴァレリアの動きを凝視する。
(落ち着け……敵をよく見るのよ……!)
これまで、ユティナは幾度となく格上や強敵などの相手と戦ってきた。
それは、魔王だった頃にまで遡る。
何度も死を目前にし、その度に生き延びてきた。
圧倒的な力の差、絶望的な状況。
それでも乗り越えられたのは、決して諦めず、冷静に勝機を探し続けてきたからだ。
相手を観察し、癖を見抜き、僅かな綻びを拾う。
己の経験、知識、技術、使えるもの全てを使って、生き残ってきた。
なら、今はどうだ。
魔王ではなく、落ちこぼれと呼ばれる聖女候補。
かつてのような圧倒的な力は、もう存在しない。
だが――。
(経験も知識も、消えたわけじゃない……!)
積み重ねてきた戦いの記憶は、今もこの身に刻まれている。
ならば、今回も必ず糸口はある。
ユティナは意識を研ぎ澄ませる。
ヴァレリアの高速で放たれる斬撃の嵐の中、踏み込みの癖、視線の揺れ、空間を裂く直前に生まれる微かな違和感、ユティナは冷静に情報を拾い続けていた。
(後は――この体を、追いつかせるだけ……!)
そして少しずつ、ヴァレリアの動きに、対応し始める。
そして、斬撃を紙一重で避け、ヴァレリアの動きを見極める。
さらに、空間移動による死角からの奇襲は、視線の揺れ、不自然な動作、そして空間に走る微細な違和感や歪みから出現位置を先読み。
まるで、ヴァレリアという存在そのものを読み切っているかのように。
こうして、ユティナの受け流しの精度が、目に見えて上がっていく。
ヴァレリアの笑みが、僅かに歪んだ。
(こいつ……動きが……)
先ほどまで追い詰められるだけだった少女が、戦いの中で急速に適応している。
その事実に、ヴァレリアは初めて薄い苛立ちを覚え始めていた――。
ヴァレリアの空間移動による死角からの斬撃。
これまでユティナは、そのすべてを辛うじて躱し、あるいは防いできた。
だが、少しずつ流れが変わり始めていた。
見えていないはずの一撃に、身体が追いつく。
再び放たれた死角からの斬撃を、ユティナは振り返ることすらなく躱した。
「……っ!?」
ヴァレリアの表情が僅かに歪む。
(な……何だ、このガキ……!)
動揺を振り払うように、ヴァレリアは再び空間移動による攻撃を発動する。
瞬間、背後に必殺の軌道。
――だが。
ギィンッ!!
ユティナの剣が、寸分違わずその一撃を受け止めた。
「なっ……!?」
さらに、そのまま力任せではなく、“流す”ように剣を弾く。
衝撃が空間越しに伝播し、ヴァレリア自身の腕へ跳ね返った。
「ぐっ……!?」
体勢が崩れるその一瞬を、ユティナは見逃さなかった。
(今だ……!)
ユティナは地面を強く踏み込んだ。
加速魔法を発動する。
瞬間、彼女の姿が掻き消える。
ヴァレリアの背後へ回り込み、そのまま鋭い斬撃を放つ。
だが――。
キィンッ!!
ヴァレリアは振り向きざまに短剣で受け止めた。
(こいつの速度は、もう見切っている……!)
ヴァレリアの口元が歪む。
(この程度の速さで、私に攻撃を当てられるかよ!)
しかし。
「……っ!?」
その瞬間、ユティナの姿が再び消えた。
直後、別方向から斬撃が飛来する。
ヴァレリアは反射的に防ぐが、それで終わらない。
右、左、背後、そして斜め上。
四方八方から次々と剣閃が襲い掛かる。
キィン!! ガギィンッ!!
激しい金属音が連続して響き渡る。
(なっ……!?)
ヴァレリアの表情が歪む。
(速くなってやがる……!?)
最初は対応できていたはずの速度。
だが、斬撃を重ねる度に、ユティナの動きがさらに鋭く、さらに速く変化していく。
先程までとは完全に立場が逆転していた。
今、防戦一方に追い込まれているのはヴァレリアの方だった。
「くっ……!」
受け切れず、ユティナの剣が次々とヴァレリアの身体を掠め、斬り裂いていく。
浅い、だが確実に傷が増えていく。
(どうなってやがる……!)
ヴァレリアは歯を食いしばる。
(これじゃ……反撃の隙すらねぇ……!)
一方で、ユティナの感覚は極限まで研ぎ澄まされていた。
もっと速く、もっと先へ。
足運び、重心移動、瞬間的な身体強化。
そして、加速魔法を発動する絶妙なタイミング。
その全てが戦闘の中で最適化されていく。
まるで戦えば戦うほど完成されていくかのように。
その圧倒的な成長速度に、戦いを見ていたゼーグルも目を見開いた。
「ヴァレリアが……押されている……だと……?」
生と死が交錯する極限の攻防。
ヴァレリアとの死闘は、ユティナの奥底に眠っていた“戦いの記憶”を徐々に呼び覚ましていく。
かつて、魔王として剣を振るっていた頃の感覚。
その記憶に呼応するように、感覚は研ぎ澄まされ、思考は加速していく。
戦いの中で、全てが噛み合っていくのが分かった。
ユティナには、ヴァレリアの僅かな筋肉の動きだけで、次に放たれる攻撃が手に取るように理解できる様になっていた。
まるで未来を先読みしているかのような感覚。
故に、ヴァレリアが刃を振るうよりも早く、ユティナの剣がその軌道を塞いでいく。
そして、ついに見える。
自らの斬撃が、完璧に届く瞬間を。
ユティナは、さらにその先へと踏み込む。
(――ここだ)
刹那、一閃。
鋭い斬撃がヴァレリアの身体を斜めに深く斬り裂いた。
「がはっ……!?」
鮮血が舞う。
「ば、馬鹿なっ……!?」
大きく体勢を崩すヴァレリア。
ユティナはその隙を逃さなかった。
一気に間合いを詰め、そして――。
「はぁぁぁっ!!」
身体強化によって極限まで威力を高めたストレートパンチが、ヴァレリアの顔面へ直撃した。
「ぶはっ――!?」
鈍い衝撃音が響く。
凄まじい破壊力に、ヴァレリアの身体はまるで砲弾のように吹き飛んだ。
背後の木へ激突――。
だが勢いは止まらない。
一本、二本、三本――次々と木々を貫きながら、森全体を揺らすほどの轟音が響き渡る。
ドゴォォンッ!!
最後に大木の幹へ叩きつけられたヴァレリアは、そのままずるりと力なく崩れ落ち、地面へ倒れ込んだ。
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