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落ちこぼれ聖女候補に転生した魔王は静かな隠居暮らしを目指す~今度こそブラックな人生はごめんです!~  作者: あんずのかおり


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第83話 恐怖を振り切る思い

目の前に広がっていたのは、最悪の光景だった。


ノルドはユティナの背後に立ち、その喉元へ鋭い刃を突きつけている。


「くっ……!」


レイモンドは奥歯を噛み締めた。


助けたい。


今すぐ奪い返したい。


なのに、人質を取られている以上、迂闊には動けない。


自分の無力さへの怒りが、剣を握る手に力を込めさせる。


カナリーもまた飛び出す機会を窺っていたが、ノルドは二人を強く警戒していた。


誰も動けず、重苦しい膠着状態だけが続く。


――だが、その中でユティナだけは、静かに行動へ移ろうとしていた。


(叔父さんはレイとカナリーさんに意識を向けてる……。今なら、逃げられるかもしれない……!)


ユティナはそっと足に力を込めた。


(ロクサーナちゃんがここにいないなら……もう、大人しく捕まってる理由なんてない……!)


ユティナは動こうとした。


――だが。


(……え? 体が、動かない……?)


まるで恐怖に縫い止められたように、身体が硬直する。


原因は、すぐに分かった。


叔父、ノルド。


幼い頃から植え付けられた恐怖が、身体の奥底にまで刻み込まれていたのだ。


ノルドが近くにいる。


それだけで、身体が本能的に怯えてしまう。


それほどまでに、彼が幼いユティナへ与えた傷は深かった。


(……何してるのよ、私!)


ギリ、と奥歯を噛み締める。


(今ここで立ち止まってる場合じゃないでしょうが……!)


「――っ!」


自分自身を叱咤するように、ユティナは大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


(恐れるな……! あんたは、もう昔のユティナじゃない……!)


その瞬間、ユティナの身体に魔力が奔る。


身体強化魔法エンハンス


強化された腕に一気に力を込めると、拘束していたロープが鈍い音を立てて弾け飛んだ。


「なっ――!?」


ノルドが目を見開く。


ユティナはその隙を逃さない。


自分を押さえつけていたノルドの腕を掴み、力任せに捻り上げる。


そのまま身を低く滑り込ませ、一気に拘束から抜け出した。


あまりに突然の反撃に、ノルドの動きが一瞬止まる。


「は……?」


一瞬の出来事に、ノルドが狼狽えるが、咄嗟に腕を伸ばし、ユティナを再び捕まえようとする。


だが、逆にユティナはその腕を掴み返した。


そのまま勢いを利用し、一本背負いへ移ろうとするが、ピクリと身体が止まる。


脳裏を過るのは、幼い頃から刻み込まれてきた恐怖。


逆らえば殴られ、怒鳴られ、支配される。


身体が本能的に怯んでしまう。


(違う……!)


踏み込んだ足に、再び力を込める。


(こいつは……私の叔父なんかじゃない!)


そして――ユティナは叫んだ。


「――っ、こんなクズ野郎のことなんか、知るかぁぁぁぁぁぁっ!!」


迷いを振り切る絶叫と共に、止まっていた身体が一気に動く。


そして、綺麗な一本背負いが完璧に決まった。


「ぐえぇっ!!」


鈍い音と共に、ノルドの身体が地面へ叩きつけられる。


そのまま白目を剥き、完全に昇天した。


「はぁっ……はぁっ……!」


肩で息をしながら、ユティナは倒れたノルドを見下ろす。


「ユティ……」

「ユティナ様……」


レイモンドとカナリーは、掛ける言葉を見つけられなかった。


ユティナはその場へ崩れ落ちるように座り込む。


だがその瞳には、もう以前の怯え切った少女の色は残っていなかった。


「ユティ、大丈夫か!?」


「ユティナ様!」


レイモンドとカナリーは、慌ててユティナの元へ駆け寄った。


「レイ……カナリーさんも……助けに来てくれて、ありがと……」


「いや、俺達は何も……。それより、無事でよかった……」


レイモンドは安堵したように息を吐く。


だが――ユティナの表情は晴れなかった。


どこか苦しげに顔を伏せ、小さく唇を噛む。


自分の中で何かを整理するように、短い沈黙が流れた。


そして――。


「……よし!」


迷いを断ち切るように、ユティナは勢いよく顔を上げた。


「私、ロクサーナちゃんを助けに行ってくる!」


そのまま立ち上がり、ロクサーナが連れ去られた方向へ駆け出そうとする。


しかし――。


「ユティ!? 一体どこへ行く気だ!?」


レイモンドは咄嗟にユティナの腕を掴み、その身体を引き止めた。


「ロクサーナちゃんを助けに行かなきゃ!」


「お、お嬢様はどこに!?」


カナリーは青ざめた表情で周囲を見渡す。


「黒いローブを着た二人組に連れて行かれたの! だから、早く追いかけないと……!」


焦りを隠せないユティナ。


今にも飛び出そうとする彼女に、レイモンドは強く言い聞かせる。


「ダメだ、ユティ! 一人で行くなんて危険すぎる!」


「でも――!」


「君をこれ以上、危険な目に遭わせる訳にはいかない!」


レイモンドの制止の声が、強く響いた。


「レイ……だけど……!?」


ユティナは、目の前に立つレイモンドを見つめた。


その表情に浮かんでいたのは、焦りでも怒りでもない――必死な想いだった。


それだけで伝わってくる。彼がどれほど自分を心配し、守ろうとしてくれているのかを。


胸が締め付けられる。


それでも攫われたロクサーナを、このまま放っておくことなど出来なかった。


「ごめん……レイ……。レイが、どれだけ私のことを心配してくれてるか、ちゃんと分かってる……」


ユティナは唇を噛み締めながら、それでも真っ直ぐにレイモンドを見た。


「でも……ロクサーナちゃんを、あのまま放っておけない……! 私、行かなきゃ……!」


その言葉に、レイモンドは苦しげに眉を寄せる。


ロクサーナが連れ去られた以上、一刻も早く動かなければならない。


ユティナがどれほど彼女を大切に思っているのかも、痛いほど理解していた。


だが同時に、ユティナの置かれている立場もまた、誰より理解している。


たとえ彼女が常人離れした力を持っていたとしても――これ以上危険に晒すわけにはいかなかった。


「……だが、それでも俺は、君を危険な目に遭わせたくない……!」


絞り出すようなレイモンドの声。


その胸中では、守りたい想いと、彼女の願いを尊重したい想いが激しくぶつかり合っていた。


――その時だった。


「レイモンド殿下!!」


鋭く響いたレブン公爵の声に、ユティナ達は反射的に振り向く。


レブン公爵達と交戦していたクローウェアウルフの一匹が、獰猛な唸り声を上げながら一直線にこちらへ突進してきていた。


「ユティは俺の後ろへ!」


レイモンドは咄嗟にユティナを庇うよう前へ踏み出した。


直後――クローウェアウルフが地を蹴り、鋭い牙と爪を剥き出しにして襲い掛かる。


「くっ……!」


レイモンドは即座に剣を抜き放ち、その猛攻を受け止めた。


重い衝撃が腕を痺れさせる。


だが、その一瞬の隙を逃さない。


「はぁっ!」


側面へ回り込んでいたカナリーの斬撃が、クローウェアウルフの脇腹を鋭く切り裂いた。


「ガウッ……!」


苦痛の唸り声を上げ、クローウェアウルフは大きく後方へ飛び退く。


低く唸りながら、獲物を見定めるように三人を睨みつけた。


レイモンドとカナリーは、ユティナを守るように前へ立つ。


「くっ……こんな時に……!」


剣を構えたまま、レイモンドは歯を噛み締めた。


「レイモンド様……このままでは、ロクサーナ様の救出が……」


カナリーの言葉に、レイモンドの表情がさらに険しくなる。


この場に足止めされれば、攫われたロクサーナを追うことは難しい。


だが、目の前のクローウェアウルフを放置して突破することもできなかった。


視線を巡らせれば、レブン公爵達も未だ魔物との激戦の最中で、こちらへ援護に来る余裕などない。


ならば、この場は自分達だけで切り抜けるしかない。


だが、時間だけが無情に過ぎていく。


そんな中、カナリーが決意を込めた声を上げた。


「レイモンド様……不躾な願いであることは承知しております。罰は後ほど、如何様にもお受けします。ですから……ロクサーナ様の救出を、ユティナ様に任せてはいただけませんか……!」


「……!」


その提案に、レイモンドは目を見開く。


だが同時に、理解していた。


今の自分達は、この場を離れられない。


ならば、クローウェアウルフを抑えている間にユティナが向かう――それが最も合理的な選択だ。


頭では分かっている。


しかしそれは、大切な少女を自ら危険な場所へ向かわせるということでもあった。


(俺は……)


胸の内で葛藤が渦巻く。


そして――レイモンドは、苦渋の末に決断した。


「ユティ……ロクサーナ嬢を……頼む」


搾り出すような声だった。


その言葉だけで、ユティナには伝わった。


レイモンドがどれほど悩み、迷い、それでも自分を信じて送り出そうとしているのかが。


だからこそ、ユティナは真っ直ぐ頷く。


「うん……分かった! ロクサーナちゃんの事は私に任せて! 絶対に助けるから!」


「ああ……頼む……」


「ユティナ様」


カナリーは構えを崩さぬまま声を掛ける。


「私の腰の剣を持っていってください」


「うん! ありがとう、カナリーさん!」


ユティナは素早くカナリーの腰から剣を抜き取る。


そして次の瞬間には、ロクサーナが連れ去られた方向へ駆け出していた。


遠ざかっていくその背を見つめながら、カナリーは小さく呟く。


「ユティナ様……どうか、ご無事で……。ロクサーナ様を、お願い致します……」


その祈りにも似た声を背に、ユティナは闇の先へと走っていった。

読んで頂きありがとうございます(*´∀`)♪

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