第80話 囚われた二人
レイモンドは、ある店の前で足を止めていた。
「これは……」
目の前の店は、すでに営業をやめて久しいようだった。
扉は色褪せ、壁や看板はところどころ朽ちている。
窓には埃が積もり、長い間、人の出入りがなかったことを物語っていた。
胸の奥を、嫌な予感が鋭くよぎる。
「まさか……!」
レイモンドは踵を返し、駆け出した。
ユティナたちと別れた店へ。
人混みをかき分け、息を切らしながら店先へ戻る。
――だが、そこにあの老人の姿はなかった。
「っ……!」
嫌な予感が確信へと変わる。
レイモンドは勢いよく店の扉を開け放った。
「ユティ!!」
叫び声が、薄暗い店内に響く。
しかし――そこにユティナも、ロクサーナの姿もなかった。
あるのは、床に倒れ込むカナリーの姿だけ。
「カナリーさん!?」
レイモンドは慌てて駆け寄り、その身体を抱き起こす。
その瞬間、店の異様さに気づいた。
棚には商品ひとつ置かれておらず、店内は不自然なほど静まり返り、まるで最初から“店として機能していなかった”かのようだった。
「カナリーさん、大丈夫ですか!?」
「う……うぅ……レイモンド……殿下……」
カナリーは苦しげに目を開くが、その顔色は青白く、呼吸も浅い。
「一体、何があったんです!?」
レイモンドの問いに、カナリーは震える声で答えた。
「ロクサーナ様と……ユティナ様が……」
そして彼女の口から語られた出来事は――
レイモンドを、絶望の淵へと叩き落とすには十分すぎるものだった。
⸻
揺れる馬車の中。
薄暗い荷台には、両手を後ろで縛られ拘束されたユティナとロクサーナの姿があった。
「それにしても、流石っすねボス! 老人を使って誘い込むなんて、普通は思いつかねえ!」
一人の男が感心したように声を上げる。
「はっ、誰だって“老人が人攫いに加担してる”なんざ思わねぇからな」
そう言って鼻で笑ったのは、ドレッドヘアーの大男だった。
「しかも、警戒心を解きやすいように、いかにも気の良さそうなジジイを使った。あれなら、貴族のお嬢様だろうが簡単に油断する」
自慢げに語る男に、周囲のならず者達が下卑た笑みを浮かべる。
「そしてノルド、お前もよくやった」
男――盗賊団の頭領、ボーレック・ガルバは口元を歪めた。
「街中で、目的の貴族令嬢を見つけてきやがった。大手柄だぜ」
「ありがとうございます、ボス!」
ノルドは嬉しそうに顔を綻ばせる。
自分が認められたことが、たまらなく誇らしいのだろう。
「これで、“ボーレック盗賊団”の名も、もっと上がるってもんよ!」
馬車の中に荒々しい笑い声が響く。
――ボーレック・ガルバ。
かつては聖王国と帝国の国境付近で、旅人や商人を襲っていた盗賊だった。
しかし、冒険者ギルドから討伐対象に指定され、仲間たちは次々と討たれた。
生き残ったボーレックは、このツァリスへと流れ着き、再びならず者を集めて盗賊団を結成し、旅人や商人を襲っていた。
そして、ボーレックは今回、とある依頼者の仕事を請け負っていた。
大貴族レブン公爵の令嬢、ロクサーナ嬢を誘拐する依頼を。
そして、ボーレックはその貴族令嬢を攫うために二つの手段を用意していた。
一つは、街の外で奇襲を仕掛け、力ずくで連れ去る方法。
そしてもう一つは――老人や子供を利用して相手の警戒心を解き、あの店へ誘導した上で攫うという、卑劣極まりない手口だった。
前者はユティナの活躍によって阻止され、失敗に終わった。
だが、後者は見事に成功してしまったのだ。
「がははは! これだけ上手くいくなら、今後はこの手で人を攫って売り飛ばすのも悪くねぇなぁ!」
下卑た笑い声を響かせるボーレック。
ノルドもまた――そんな外道達の一員だった。
「叔父さん……盗賊団なんかに入ったんだ……」
ユティナは、信じられないものを見るような目でノルドを睨みつける。
「はっ、俺にはこっちの方が性に合ってたってだけだ」
ノルドは悪びれる様子もなく鼻で笑った。
そこに罪悪感など欠片もない。ただ“自分に合う生き方を選んだ”とでも言いたげだった。
もっとも、今さら叔父がどんな人生を歩もうと、ユティナにとってはどうでもいい。
だが、どうしても無視できないものがあった。
先ほどから、体が無意識に強張っているのだ。
自分では平静を装っているつもりでも、幼い頃に刻み込まれた恐怖が、“ノルド”という存在に反応してしまう。
(本当に……辛かったんだね、昔の私は……)
その時――
「おいおい、ノルドの言う通りじゃねぇか」
下卑た笑みを浮かべた男が、ユティナへと近づいてくる。
「随分いいツラしてる。またこりゃあ、上玉のガキだなぁ」
男はニヤつきながらしゃがみ込むと、遠慮もなく手を伸ばすと、スカートの中へ手を滑り込ませた。
「っ――」
スカートがめくれ、白い太ももが露わになる。
男はそのまま、品定めでもするようにユティナの脚を撫で回した。
その光景を前にしても、ノルドはまるで興味すらないと言わんばかりに無関心な態度を崩さない。
「ひひっ……やっぱ若い肌は違うなぁ。スベスベしてやがる」
「…………」
ユティナは露骨に顔を歪めた。
嫌悪、吐き気、肌を這い回るような不快感。
(……気持ち悪い……)
心の底から湧き上がる嫌悪感。
その感情に呼応するように――
(ユティナ……!)
頭の奥に、ルナの怒気を孕んだ声が響いた。
同時に、体の内側で膨れ上がる力。
静かに眠っていたはずの力が、怒りに反応するように脈打っていく。
(ダメ……!)
ユティナは咄嗟に意識を向ける。
(私は大丈夫だから。ルナ、落ち着いて……)
ロクサーナが人質に取られている以上、迂闊には動けない。
ルナの力は強すぎる。
もし暴走でもすれば、ロクサーナまで傷つけてしまう可能性がある。
加えて、下手に刺激すれば盗賊達がどう出るかも分からなかった。
盗賊達の様子から見ても、狙いがロクサーナであることは明白だった。
だから、すぐに命を奪われる可能性は低い――そう頭では理解している。
それでも、ほんの僅かでもロクサーナに危険が及ぶ可能性がある以上、動くことはできなかった。
だからこそユティナは、胸の奥で荒れ狂い始めたルナの力を必死に押さえ込む。
そして、盗賊の手はさらにユティナのスカートの奥へと伸び、下着へ触れる。
(なっ……!? こいつ……!)
「へへぇ……」
男の下卑た笑い声が耳障りに響く。
次の瞬間――するり、と嫌な感触と共に下着がずらされた。
「ちょっ……い、いや……!」
それを見て、震える声でロクサーナが叫ぶ。
「お姉ちゃん!?」
悲鳴にも似た声が馬車内に響き、不安と恐怖に染まった瞳がユティナへ向けられた。
「やめろ」
低く重い声が、馬車の中に響いた。
その一言だけで、男の動きが止まる。
「っ……!」
振り返った男は、ボーレックの鋭い視線に思わず肩を震わせた。
「これから“奴ら”に会うんだ。余計な真似はするな」
有無を言わせぬ声音に、男は慌ててユティナから距離を取った。
「す、すみません、ボス……」
気まずそうに頭を下げる男。
(ふぅ……危なかった……)
ユティナは内心で小さく息を吐く。
あと少し遅ければ、ルナを抑え切れなかった。
胸の奥では、今なお荒れ狂うような怒りが渦巻いている。
(ユティナ……)
ルナの声には、消えない怒気が滲んでいた。
(大丈夫……私は平気だから)
ユティナは必死に意識を落ち着かせる。
「お姉ちゃん……大丈夫……?」
不安そうな声。
見ると、ロクサーナが青ざめた顔でこちらを見つめていた。
怯え、不安に揺れるその瞳。
だからこそユティナは、無理やりにでも口元を緩める。
「うん、大丈夫だよ」
穏やかな笑みを浮かべながら、優しく答えた。
「心配してくれてありがとう、ロクサーナちゃん」
その言葉に、ロクサーナは少しだけ表情を和らげる。
――その時だった。
ガタン、と馬車が大きく揺れ、ゆっくりと停止した。
「ボス……着きました」
御者の男の声が響いたその瞬間、馬車の中の空気が変わった。
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