第79話 街中での罠
ブレアが教会を後にする――少し前のこと。
ユティナたちは、先ほど起きた“イレギュラー”な出来事――ユティナの叔父との遭遇で乱れた空気を振り払うように、再び街を散策していた。
「……そろそろ、お腹すいたなぁ」
ぽつりと零したユティナの言葉に、カナリーが周囲を見渡す。
「もうお昼には丁度いい時間ですね。ですが、この辺りに飲食店は……」
石畳の通りには雑貨屋や衣服店は並んでいるものの、食事処らしき店は見当たらない。
「どうやら、この近辺にはなさそうだな……」
レイモンドも辺りを見回しながら小さく呟く。
そんな時だった。
「お嬢ちゃんたち、観光かい?」
不意に掛けられた声に、一同が振り向く。
そこに立っていたのは、穏やかな笑みを浮かべた老人だった。柔らかな物腰で、どこか人当たりの良さそうな雰囲気を纏っている。
「あ、はい。まぁ……そんな感じです」
ユティナが少し曖昧に答えると、老人はにこりと笑った。
「なら、ちょっと覗いていかないかい? 今ちょうど、いいアクセサリーが入ったところでね」
老人はすぐ傍の店を指差す。
店先には色とりどりの小物や装飾品が並び、女性客が好みそうな可愛らしい雰囲気が漂っていた。
「アクセサリーだけじゃないさ。お嬢ちゃんたちが気に入りそうな雑貨も色々取り揃えてるよ」
「どうされますか? 昼食の前に見て行かれますか?」
カナリーがそう尋ねると
「どうしようかしら……でも、アクセサリーかぁ……」
ロクサーナの目がぱっと輝く。
そして次の瞬間、ユティナの袖をきゅっと掴みながら身を乗り出した。
「ねぇ、お姉ちゃん! 行ってみようよ! 私、お姉ちゃんとお揃いのアクセサリー欲しいな!」
無邪気に笑うロクサーナ。
その言葉に、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ――。
「ふふ、それもいいかも」
ロクサーナの言葉に、ユティナも自然と笑みを浮かべる。
「では、参りましょうか」
カナリーがそう促した、その時だった。
「それはそうと、お前さん達、昼食をとりに行くみたいじゃったが、食べる場所は決まっておるのか?」
老人が思い出したように口を開く。
「いえ、これから探そうと思いまして」
今度はレイモンドが答えた。
「なら、オススメの店があるぞい」
「本当ですか?」
ユティナが目を輝かせると、老人はゆっくりと通りの先を指差した。
「ああ。この先の角を曲がったところに、“ヤマネコ亭”という店がある。評判のいい人気店じゃよ」
レイモンドは老人が示した方向へ視線を向ける。
「ただ、人気の店じゃからな。行くなら早い方がええ」
「じゃあ、先にご飯食べに行く?」
ユティナが提案すると、老人は「ふむ」と頷いた。
「それなら、誰か一人先に店へ行って席を取っておくといい。そうすれば、お主たちも買い物が終わった後、すぐ飯にありつけるじゃろうて」
「確かに……それが良さそうですね」
ロクサーナも納得したように頷く。
「では、私が先に参りましょう。お三方は後からゆっくりいらしてください」
カナリーがそう申し出た瞬間――
「こういう時は、男が飯の席を取るもんじゃ」
老人はどこか愉快そうに笑いながら、レイモンドへ視線を向けた。
「……確かに、それも一理あるな」
レイモンドは小さく苦笑しながら肩を竦める。
「ここは私が先に行って席を取っておこう。三人はゆっくり見てきてくれ」
「いいの、レイ?」
ユティナが少し申し訳なさそうに尋ねる。
「ああ、構わないさ」
そう答えるレイモンドに、老人は満足げに頷いた――。
「店の中には、きっとお嬢ちゃんたちが気に入りそうなものがあるよ」
老人は穏やかな笑みを浮かべたまま、店の奥へと視線を向ける。
その言葉に促されるようにして、ユティナたちはレイモンドと別れ、店の中へ足を踏み入れた。
だが、店内へ入った瞬間、ユティナは微かな違和感を覚える。
静かすぎる。
外から見えた華やかな雰囲気とは違い、中は妙に薄暗く、人の気配もない。
見渡してみても――
「あれ……?」
ユティナは小さく眉をひそめた。
「店の中……商品、全然置いてないんだけど……?」
棚は空。
雑貨も、アクセサリーも、一つとして見当たらない。
その瞬間だった。
(――これは……っ!?)
カナリーの表情が鋭く変わる。
空気が、おかしい。
そう気づいた時には――既に遅かった。
「動くな!」
低い男の怒声が店内に響く。
反射的に視線を向けたユティナたちの目に映ったのは――
「っ……!」
ロクサーナの首元へ、鋭いナイフを突きつける男の姿だった――。
「お、お姉ちゃん……」
ロクサーナの震える声が響く。
首元へ突きつけられた刃に、少女の身体は小刻みに震えていた。
「くっ……!」
ユティナは奥歯を強く噛み締める。
反射的に腰の剣へ手を伸ばしていた。だが――抜けない。
少しでも動けば、ロクサーナが危険に晒される。
その事実が、ユティナの動きを完全に封じていた。
カナリーも同様だった。
メイド服のスカートの下――両太腿に隠したナイフへ既に手を掛けている。
だが、そこから先へ動かせない。
一瞬でも刺激すれば、人質がどうなるか分からない。
重苦しい緊張が店内を支配する。
――その時。
店の奥から、さらに数人の男たちが姿を現した。
「とりあえず、その物騒なもんから手ぇ離してもらおうか?」
先頭に立っていた男を見た瞬間、ユティナの表情が凍り付く。
「……ノルド……叔父さん……」
そこにいたのは、先ほど別れたばかりのノルドだった。
「っ――」
心が大きくざわつく。
どうしてここにいるのか、何故こんなことをしているのか。
聞きたいことは山ほどあった。
だが、ロクサーナへ向けられた刃が、それら全てを押し潰す。
揺れる感情と思考の渦の中で、ユティナは何も言えない。
そして――
「……っ」
ユティナはゆっくりと剣から手を離し、カナリーもまた、静かにスカートの中から手を抜く。
ノルドの口元が、わずかに歪んだ。
――その時だった。
「上出来じゃねぇか、お前ら!」
突如、二人の背後から荒々しい声が響く。
「ボス!」
男たちが一斉に反応する。
その直後――
「っ……!」
鈍い衝撃音と共に、カナリーの身体が力なく崩れ落ちた。
「カナリーさん!?」
「カナリーっ!」
ユティナとロクサーナの悲鳴が重なる。
そこに立っていたのは、大柄な男だった。
燃えるような赤いドレッドヘアー。
鋭い眼光と獣のような威圧感を纏った男は、倒れたカナリーを見下ろしながら鼻を鳴らす。
(いつの間に……!?)
ユティナの背筋に冷たいものが走る。
突如現れたその男に、ユティナは強い警戒心を抱く。
だが同時に、倒れたカナリーへ視線を向けた。
微かに胸が上下している。
(あの様子なら……気を失っているだけ……)
ほんの僅かに安堵するが、それで状況が好転するわけではない。
(どうする……!?)
焦りが胸を締め付ける。
「動くなよ、ユティナ」
ノルドがニヤリと口元を歪めた。
「このお嬢様とどういう関係かは知らねぇが……傷つけたくはねぇだろ?」
ロクサーナの首元に押し当てられた刃が、僅かに食い込む。
「っ……!」
ユティナの身体が強張る。
その様子を見た赤髪の男は満足げに笑った。
「よし。依頼はこれで達成だ。さっさと撤収するぞ」
その号令と共に、男たちが一斉に動き出す。
だが、その中の一人が倒れたカナリーを見て口を開いた。
「このメイドの女はどうするんで?」
「あぁ? 放っとけ」
赤髪の男は興味なさげに吐き捨てる。
「目的はそこの貴族のお嬢様だ。……こっちの嬢ちゃんは特別ボーナスみてぇなもんだがな」
下卑た笑みを浮かべながら、ユティナを見た。
「あまり目立ち過ぎると、あいつらがうるせぇからな」
「へい、分かりやした!」
男たちはユティナとロクサーナを拘束し、そのまま店の奥へと連れ去っていく。
薄れゆく意識の中――カナリーは、かすかに顔を上げた。
「ロク……サーナ……様……ユティ……ナ……様……」
震える声は、誰にも届かない。
伸ばしかけた手も力なく床へ落ち――次の瞬間、カナリーの意識は再び闇へと沈んだ。
残されたのは、静まり返った店内と、倒れ伏すカナリーだけだった。
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