第74話 覚悟に応える者
「そうですか……ついに、覚悟を決められたのですな」
夜更けのレブン公爵邸。
静まり返った執務室には、レブン公爵とレイモンドの二人だけがいた。
「はい……ですので、どうかレブン公爵。私に、お力添えを」
静かに頭を下げるレイモンド。
――これこそが、彼がこの場を訪れた本当の理由だった。
王位継承。
だが現実を見れば、その道は絶望的と言ってよかった。
継承順位は低く、後ろ盾となる有力貴族もいない。
王座など、到底手の届かぬ場所。誰が見ても、レイモンドが王になる可能性は限りなくゼロに近かった。
それでも彼は決めたのだ。
ユティナが願う未来を守るために。
たとえ無謀だと笑われようと、この歩みだけは止めるつもりはなかった。
そして、その最初の一歩こそ――
聖王国屈指の大貴族であるレブン公爵を、自らの側へ引き入れることだった。
「ふ……殿下の申し入れ、しかと受け止めましたぞ」
低く響くレブン公爵の言葉。
その返答に、レイモンドは思わず目を見開いた。
まさか――ここまであっさり承諾を得られるとは思っていなかったのだ。
王位継承を巡る争いは、国の未来そのものに関わる。
それ故に、軽々しく誰かに与するような人物ではない。
ましてやレブン公爵は、王国でも屈指の影響力を持つ大貴族。
簡単に返事をするはずがないと、レイモンドは考えていた。
だからこそ彼は覚悟していたのだ。
今日のユティナとの面会をきっかけに、少しずつ信頼を積み重ねていくことを。
時間をかけ、誠意を示し、自分という人間を認めてもらう必要があると。
だが――その予想は、良い意味で裏切られた。
「……どうかされましたかな、殿下?」
不思議そうに問いかけるレブン公爵。
その声で我に返ったレイモンドは、なお驚きを残したまま口を開く。
「いえ……まさか、ここまで早く提案を受け入れていただけるとは思っていなかったので……」
隠し切れない動揺を滲ませるレイモンドに、レブン公爵はふっと目を細める。
まるで、その反応すら予想していたかのように。
「私は、殿下が王権を継ぐ覚悟をお持ちなら――元より、レイモンド殿下にお力添えするつもりでおりましたよ」
穏やかな声音だが、その言葉には揺るぎない確信が込められていた。
レブン公爵は以前から、レイモンドこそ次代の聖王に相応しい人物だと考えていた。
だが、レイモンドは妾の子。
その立場ゆえに王族内での地位は低く、本人もまた、自分には王位継承の資格などないと思い込んでいる節があった。
だからこそ、たとえ自分が望んだとしても、無理にその道を歩ませることは出来なかった。
王位継承とは、栄誉などではない。
時に血を流し、全てを背負う茨の道だ。
本人にその意思がない限り、他者が押し付けて良いものではなかった。
しかしレイモンドは、他の皇子、特に第一皇子とは決定的に違っていた。
彼は常に、民衆の目線で物事を見ていたのだ。
低い立場だったからこそだろう。
王宮の外へ出る機会も多く、民と触れ合う時間も長かった。
そのため民衆は、彼が妾の子であることを知りながらも、他の皇子達とは比べものにならぬほどの親しみと信頼を寄せていた。
王宮で露骨な迫害を受けていたわけではない。
それでも、周囲が向ける視線はどこか冷たかった。
言葉にならぬ疎外。
無意識の線引き。
きっと、数え切れぬほどの苦しみを味わってきたのだろう。
だからこそ彼は、人の痛みを知っている。
苦しむ者に寄り添えると、レブン公爵は、そう確信していた。
――この方ならばきっと、この国を正しい未来へ導いてくれる、と。
「……ありがとうございます」
静かに礼を述べるレイモンドに、レブン公爵はふっと笑みを深めた。
「それに、殿下へ手を貸す理由は他にもありますからな」
「他に……ですか?」
「父親として、娘の未来を願わぬ親などおりますまい」
その言葉には重みがあった。
「娘が幸せに生きられる未来を作る。それもまた、親の務めでしょう。……そして、それは我が娘となったユティナにも同じ事です」
「……レブン公爵」
レイモンドは思わず笑みを漏らす。
「どうやら、随分と彼女を気に入られたようですね」
「ええ」
レブン公爵は迷いなく頷いた。
「私だけではありません。ロクサーナは、まるで姉が出来たかのようにユティナへ懐いておりますし、シリメルも“娘が二人になった”と喜んでおります」
その言葉には、温かな家族の情景が滲んでいた。
そしてレイモンドもまた、胸の奥に静かな安堵が広がっていくのを感じていた。
「こんなにも温かな家族になれたのは――殿下やユティナのお陰ですな」
穏やかに目を細めながら語るレブン公爵。
その言葉に、レイモンドは小さく首を横に振った。
「いえ……私は特に何もしておりません」
「何を仰いますか」
レブン公爵は静かに笑う。
「殿下達がロクサーナを盗賊から助けてくださらなければ……今頃どうなっていたか分かりません。このような未来には、決して辿り着けなかったでしょう」
その言葉には、父親としての偽りない感謝が込められていた。
レイモンドもまた、あの時の光景を思い返す。
ロクサーナを襲っていた盗賊達は、ユティナが圧倒的な力で瞬く間に制圧したが、今思えば気になる点も多かった。
「……レブン公爵。あの盗賊達についてですが、最近になって現れるようになったのですか?」
その問いに、レブン公爵の表情が僅かに引き締まる。
「ええ。ここ数週間ほど前からですな」
彼の話によれば、盗賊団は突然この街周辺に現れ始めたらしい。
それ以来、周辺街道では被害が相次ぎ、商人や旅人が襲われる事件が後を絶たなくなっていた。
当然、冒険者ギルドにも討伐依頼は出されている。
だが――問題はそこからだった。
「既にBランクの冒険者パーティが討伐へ向かったのですが……討伐には至らなかったそうです」
「……Bランクでも、ですか」
レイモンドの表情が僅かに険しくなる。
Bランクパーティといえば、十分に実力者として通用する存在だ。
通常の盗賊団程度なら、苦戦する相手ではない。
それでも討伐出来なかった。
つまり――あの盗賊達は、単なる野盗ではない可能性が高かった。
そしてレイモンドは、ロクサーナが襲われていた時の光景を思い返していた。
彼女の護衛についていたのは、レブン公爵率いる領軍の兵士達。
ヒュラッセン領は、聖王国でも有数の豊かな大領地だ。
広大な土地に加え、沿岸部を抱える交易の要所でもある。
その繁栄ぶりは、他の大貴族達と比べても頭一つ抜けていた。
当然、それを守る領軍も精強だった。
レブン公爵の軍は、聖王国内でも一、二を争う実力を持つことで知られている。
鍛え抜かれた兵士達が揃い、練度も高いそんな兵士達が、ただの盗賊に敗れていた。
そこに、レイモンドは強い違和感を覚えていた。
「その……盗賊団は、有名な連中なのですか?」
問いかけると、レブン公爵は少し困ったように眉を寄せた。
「いや……そこまで名の知れた盗賊団ではありませんな」
そして、記憶を辿るように続ける。
「“ボーレック盗賊団”――どうやら以前は、聖王国と帝国の国境付近で商人や旅人を襲っていたようですが……元々、それほど大きな力を持つ盗賊団ではなかったらしい」
「……」
「事実、帝国側ではDランク冒険者パーティに追い詰められ、逃走したという記録も冒険者ギルドに残っております」
その話を聞き、レイモンドはさらに眉をひそめる。
おかしな話だった。
Dランク冒険者に追い詰められる程度の盗賊団。
それが何故、ヒュラッセン領の兵士を打ち破り、さらにはBランク冒険者パーティですら討伐出来なかったのか。
どうにも辻褄が合わない。
「実際、ロクサーナの護衛として付けていたメイドのカナリーから話を聞いたのですが……盗賊団の力は、明らかに異常だったそうです」
レブン公爵の言葉に、レイモンドは静かに思考を巡らせる。
だが、いくら考えても答えは見えてこなかった。
ただ一つだけ確かなのは。
この件は、単なる盗賊騒ぎでは終わらない――そんな不穏な気配があった。
「しかし……そんな盗賊団の一味を、ユティナが一人で倒したのだったか……?」
「え、ええ……。大聖女ブレア様の加勢もありましたが、殆どはハーリット嬢が……」
その瞬間だった。
「がはははははっ!!」
執務室に響き渡る豪快な笑い声。
あまりに突然の大笑いに、レイモンドは思わず目を瞬かせた。
「いやはや! 奇跡の魔法を扱うだけではなく、武にも優れておるとは! 将来が本当に楽しみですなぁ!」
満面の笑みで語るレブン公爵。
その姿に、レイモンドは苦笑を漏らした。
――これはもう完全に親馬鹿だ。
先ほどまで威厳ある大貴族として話していた男とは思えないほど、娘への愛情が隠しきれていない。
だが、その様子を不快には思わなかった。
むしろ、ユティナが本当に温かな家族に迎え入れられたのだと感じられ、どこか安心すら覚える。
「とはいえ……盗賊団への対処は急がねばなりませんな」
レブン公爵は表情を引き締める。
「ロクサーナが被害に遭った以上、私としても見過ごすわけにはいかん。今後は冒険者ギルドと領軍で本格的に対応するつもりです」
「そうですね……。早急に対策は講じた方が良いかと。微力ながら、私もお力添えを――」
だが、その申し出にレブン公爵は静かに首を横へ振った。
「いえ、それには及びません」
その声音には、領主としての強い責任感が宿っていた。
「この土地の問題は、この土地を預かる者が解決せねばならない」
「……」
「殿下は、せっかくこちらへお越しくださったのです。どうか、ゆっくりお過ごしください」
そして、ふと思いついたように笑みを浮かべる。
「そうだ。明日はユティナと共に、街を見て回られてはいかがです? 護衛も付けましょう」
「街を……ですか」
レイモンドは少し考え、やがて穏やかに頷いた。
「そうですね。では、お言葉に甘えさせていただきます」
そして続ける。
「それと、護衛は必要ありません。レブン公爵が治める土地です。治安の良さは、以前から耳にしておりますので」
その言葉に、レブン公爵は一瞬目を丸くした後、嬉しそうに笑った。
「……そう言っていただけるとは。領主として、これ以上嬉しい言葉はありませんな」
穏やかな声には、領民と領地への誇りが滲んでいた。
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