第73話 師匠と弟子
無事にレブン公爵との対面を果たしたユティナ。
その後、彼女は公爵から「ささやかな歓迎」と称した食事会へ招待されることになった。
参加者はレブン公爵夫妻とロクサーナだけ――本当に身内だけの小さな席だったが、その場は驚くほど温かな空気に包まれていた。
ロクサーナの目が治ったことを、公爵夫妻は改めて何度もユティナへ感謝する。
特にロクサーナはすっかりユティナに懐いてしまい、食事の最中も楽しそうに隣へ座っては、無邪気に話しかけ続けていた。
その光景を見つめるレブン公爵とシリメル夫人の表情は、どこか安堵に満ちている。
――失いかけていた娘の日常が、ようやく戻ってきた。
そんな想いが、二人の瞳には確かに宿っていた。
そして、賑やかだった食事会も終わり、夜。
レブン公爵家の客室には、先程までの明るい空気が嘘のように、重苦しい静寂が流れていた。
広い客室のベッドの上で、ユティナは正座し、静かに顔を伏せていた。
そして――その前に立つのは、腕を組み、見下ろすように睨みつけるブレア先生。
「貴女ねぇ……」
低く、よく通る声が静かに響く。
「ユニコーンの力を、無闇に人前で使うなと……何回、何回、私が言ったか……覚えているのかしらぁ?」
「うぅ……す、すみませんでした……」
肩をすくめ、小さく縮こまるユティナ。まさに絶賛叱られ中である。
「で、も……その……」
おずおずと顔を上げ、恐る恐るブレア先生の様子を窺う。
「ロクサーナちゃんが……可哀想で……その、少しでも……力に、なれたらなぁ……って……思って……」
言葉はだんだんと尻すぼみになり、最後にはほとんど聞き取れないほど小さくなる。
ブレア先生は、じっとその様子を見下ろしていた。
その視線に耐えきれず、ユティナは「うっ……」と息を詰まらせ、再び視線を床へと落とす。
――しかし。
いつまで経っても、次の叱責は飛んでこなかった。
「……はぁ」
やがて、深いため息がひとつ。
「まぁ……いいでしょう」
「えっ……いいんです!?」
ぱっと顔を上げるユティナ。その表情には、安堵と喜びが隠しきれない。
(やった……!説教が終わった……!)
そんな心の声が、そのまま顔に出ていた。
だが――
「ただし!」
ピシリ、と空気が張り詰める。
ユティナの背筋がびくりと伸びた。
「今回のことは見逃しますが……今後は絶対に気をつけること。いいですね?」
「は、はい……!」
今度は迷いなく、しっかりと頷くユティナ。
その返事を聞いたブレア先生は、わずかに表情を緩め――
小さく息を吐いたのだった。
「ただ――」
ブレア先生が、少しだけ声の調子を落とした。
「貴女の“誰かを助けたい”という思い……それ自体は、とても素晴らしいものです」
「え……?」
つい先ほどまで厳しく叱られていた反動で、ユティナはぽかんと目を瞬かせる。
まるで、豆鉄砲を食らったような顔だった。
「誰かのために力になりたい。助けてあげたい――その献身の心こそが、聖女にとって最も大切な資質です」
ブレア先生は、まっすぐにユティナを見つめる。
その視線は先ほどまでの圧とは違い、静かで、どこか温かさを帯びていた。
「今後、聖女を目指すのであれば……その気持ちを、決して忘れてはいけません」
「は、はい……分かりました」
背筋を伸ばし、今度は真剣な面持ちで頷くユティナ。
その返事に、ブレア先生は小さく息を吐いた。
「はぁ……本当に、世話の焼ける弟子ですね……」
呆れたような、しかしどこか柔らかさを含んだ声音。
しかし、『弟子』その言葉に――ユティナはぴたりと動きを止めた。
「え……? で、弟子……ですか……?」
思わずこぼれた、戸惑いの声。
これまでブレア先生から受けていたのは、あくまで指導だった。
ユニコーンと契約して以来、聖力や聖魔法の扱いを教わってはいたが、それは教師と生徒という関係の延長だと、ユティナは思っていた。
――けれど。
(……あれ?)
ふと、思い返す。
ブレア先生は、正式に授業を受け持っているわけではない。
学園では保健師として在籍しているに過ぎない存在だ。
それでも自分は、こうして個人的に指導を受け続けている。
(それって……)
そこまで考えて、ようやく腑に落ちる。
(……弟子、ってことになるの……?)
じわじわと実感が湧いてきて、ユティナは小さく目を見開いた。
ブレア先生は、そんな様子を横目に見ながら――
「今さら何を言っているのですか」
と、呆れたように肩をすくめるのだった。
「授業として教えているわけではありませんからね」
ブレア先生は、淡々とした口調で言う。
「これはあくまで、私が“個人として”教えているものです。そういう意味では……生徒というより、“弟子”に近い感覚ですね」
「弟子……」
改めて口にされると、どこかむず痒い響きだった。
ユティナは、ふと視線を落とす。
――弟子。
その言葉で、まるで連鎖する様に、ある事が頭の中に浮かぶ。
前世で、早くに両親を亡くした後、生きる術を教えてくれた人がいた。
名前も、顔も、記憶は少しぼやけているけれど、それでも確かにあった事実。
そして、ブレア先生の言った「弟子」という言葉が、どこかその記憶と重なった。
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。
同時に、くすぐったいような、気恥ずかしさも込み上げてきて――
「弟子……ですか……」
小さく呟く。
(……嫌な響きじゃ、ないかも)
――が。
(あ、でも……ブレア先生って、意外と厳しいし……)
ふと現実に引き戻される。
(怒ると、めちゃくちゃ怖いんだよねぇ……)
これまでの記憶が鮮明に蘇る。
説教、圧、そして――あの容赦ない制裁。
じわじわと、表情が曇っていくユティナ。
本人は無自覚のまま――
(うーん……できれば、もう少し優しい師匠が良かったなぁ……)
ぽつり、と心の中で呟く。
そして、はぁ……と、小さなため息。
――その瞬間。
「あらぁ〜? 私では不満かしらぁ〜?」
ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。
気づいた時にはもう遅い。
がしっ――!!
「いだだだだだっ!?」
ブレア先生のアイアンクローが、ユティナの頭を容赦なく鷲掴みにしていた。
ぐぐぐ、と無慈悲に力が込められる。
「い、いえ! そんな滅相もありません! ブレア先生が師匠で良かったなと心から思っております!!」
「へぇ〜……?」
にこり、と笑うブレア先生。
――目が、笑っていない。
「では、さっきの“ため息”は何についてのものか……聞かせてもらいましょうかぁ〜?」
「い、いえ、あれはその……不可抗力といいますか……!」
「貴女ねぇ?」
さらに力がこもる。
「大聖女が“自ら弟子を取る”なんて、本来はあり得ない事なのよ? 感謝されるならともかく、ため息をつかれる理由はないわぁ」
「す、すみませんでしたぁぁぁ!!」
全力で謝罪するユティナ。
その声は、見事に客室いっぱいに響き渡ったのだった。
「本当に、貴女という子は……」
呆れ半分、諦め半分――そんな溜め息混じりの声を漏らしながら、ブレア先生はユティナの頭からそっと手を離した。
「それよりも……」
続いたその声には、先程までの呆れだけではなく、隠しきれない不安と心配の色が滲んでいた。
ブレア先生は、今回レブン公爵と引き合わせた一件について静かに思考を巡らせる。
過程こそ予想外の連続だったが――結果だけ見れば、当初の想定以上のところへ着地している。
本来の目的は、ユティナをレブン公爵に会わせ、“ユニコーンの力”をある程度証明すること。
そして、その価値を示した上で、公爵家を後ろ盾として引き込む。
それがブレア先生たちの考えていた計画だった。
だが、最終的に出た答えは――
「それで……良かったのですか?」
ブレア先生は静かに尋ねる。
「レブン公爵の提案を受けて」
「ああ……養女の件ですか?」
ユティナは、特に気負った様子もなく答えた。
そう、ユティナがヒュラッセン家の養女になるという話。
しかも驚くべきことに、ユティナはそれをあっさり承諾したのだ。
「まぁ……流石に私も、事の重大さくらいは分かってますから」
そう言って、ユティナは少しだけ苦笑する。
「先生たちやレイが、私を公爵様に会わせようとしていた理由……詳しくは聞いてません。でも、“私のため”だってことくらいは分かります」
その裏には、きっと様々な事情があるのだろう。
ユティナ自身も、そこは何となく察していた。
自分が持つ“ユニコーンの力”。
それが特別で、そして危険なものだということを。
その力がもたらすのは、決して良いことばかりではない。
身分も、後ろ盾も持たない少女がそんな力を宿していると知られれば、必ず様々な思惑が集まる。
中には利用しようとする者も現れるだろう。
それが良い結果を招くのか、それとも悪い結果になるのかは分からない。
以前、保健室で先生たちが話していた。
――この力を巡って、“戦争”すら起こり得る、と。
そこまで考えて、ユティナは小さく息を吐く。
「だから、分かってるんです」
その声音は、普段より少しだけ大人びていた。
「私一人じゃ、この力は背負いきれないって」
だからこそユティナは、レブン公爵の提案を受け入れたのだ。
もっとも、この先さらに厄介事が起きれば、自分一人ではどうにもならないことくらい、嫌というほど分かっている。
そうなれば、目指している隠居スローライフ生活はますます遠のいてしまう。
ここ最近はブラック企業も真っ青な出来事ばかりが立て続けに起きているのだ。
これ以上は、何としてでも軌道修正したかった。
――それに、公爵の養女になれば、もしかして今後はお金に困らないのでは?と、そんな欲深い考えがふと頭をよぎったが、その瞬間に脳裏にアルマの呆れたような怒った顔が浮かび、ユティナは小さく首を振ってその考えを追い払った。
「……そうですか」
ブレア先生は静かに目を閉じ、小さく息を吐いた。
「それなら、私から言うことはもうありません」
そして、ゆっくりとユティナへ視線を向ける。
「少なくとも今回の結果は――貴女自身の行動が導いた、“最良の結果”だったと言えるでしょう」
「最良の……結果……?」
きょとんとするユティナ。
そんな彼女を見ながら、ブレア先生は続けた。
今回、ユティナが起こした行動。
それは誰かの指示を受けたものではない。
打算も、思惑もない。
ただ――目の見えないロクサーナを助けたい。
その一心だけで動いた結果だった。
もしこれが、単に“ユニコーンの力を証明するため”だけの行為だったなら。
誰かの指示通り、計画通りに力を見せていただけなら。
恐らく、ここまでの結果には至っていなかっただろう。
本来の予定では、ユニコーンを顕現させることでユティナの価値を示すつもりだった。
だが――結果は、それ以上だった。
ユティナは、自らの意思でロクサーナの目を治した。
奇跡を起こしてみせたのだ。
しかもそれは、見返りを求めたわけでもなければ、評価を得るためでもない。
ただ純粋に、ロクサーナを想った優しさから生まれた行動だった。
その光景を目の当たりにした時――
レブン公爵夫妻の中で、ユティナへの見方は大きく変わった。
“特別な力を持つ少女”。
そんな単純なものではない。
目の前にいたのは、誰かを救いたいと願い、その想いのまま奇跡を起こした少女。
それはきっと、公爵夫妻にとっても強く心を打たれるものだったのだろう。
「貴女は、自分で思っている以上に……人の心を動かす子なんですよ」
ブレア先生は、どこか誇らしげにそう呟いた。
その時――
コンコン、と静かなノックの音が部屋に響いた。
ユティナとブレア先生は、同時に扉の方へ視線を向ける。
「……?」
こんな時間に誰だろう。
そう思いながら、ユティナはベッドから立ち上がると、ぱたぱたと扉へ向かった。
そして、そのまま扉を開ける。
「はーい――」
言いかけた言葉が、途中で止まった。
扉の向こうに立っていたのは――
「ロクサーナちゃん……?」
つい先ほど、自分がその目を治した少女。
レブン公爵家の令嬢、ロクサーナだった。
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