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落ちこぼれ聖女候補に転生した魔王は静かな隠居暮らしを目指す~今度こそブラックな人生はごめんです!~  作者: あんずのかおり


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第72話 大聖女ユティナ・ハーリット

レブン公爵邸――執務室。


重く張り詰めた沈黙が、その場を支配していた。


「……にわかには信じ難いな。しかし――ロクサーナの目を治した事実を考えれば……」


低く唸るように呟きながら、レブン公爵は執務机の向こうで腕を組む。


そして、ゆっくりと視線を一人の少女へと向けた。


その先にいるのは――ユティナ。


ソファーの端にちょこんと腰掛け、小さく身を縮めている。


(……うぅ、この空気……気まずいよぉ……)


逃げ出したい。


今すぐこの場から消えてしまいたい。


だが、その願いとは裏腹に、場の重圧がユティナの身体を縫い止めるように動かさない。


正面のソファーには、静かに腰をかけるブレア先生。


その様子はまさに“聖女”、その眼差しはいつになく鋭く、空気をさらに引き締めていた。


そしてユティナの隣では、レイモンドが公爵に向けて説明を続けている。


普段の柔らかな雰囲気は影を潜め、今はただ真剣そのものだった。


その一つ一つが、この場の緊張を際立たせる。


レイモンドとブレア先生は、レブン公爵へと事の次第をすべて説明した。


ユニコーンとの契約。


そのかつての契約者が――大聖女ソディナであったこと。


そして、その力が意味するものと、今後この事実がもたらすであろう影響まで。


語られる内容は、どれも常識を逸脱していた。


「……大聖女ソディナ様の……再誕……」


ぽつり、と。


レブン公爵の口から、信じ難い結論が零れ落ちる。


「……いや、生まれ変わり……か……」


その言葉に、最も大きく動揺したのは、他でもないユティナだった。


(え、ちょっと待って……何それ……? 大聖女の生まれ変わりって……)


一瞬、思考が止まる。


(いやいやいやいや――私、一応“魔王の生まれ変わり”なんですけどぉぉ!?)


心の中で全力で否定する。


だが当然、その叫びが誰かに届くことはない。


ただ一人、場違いな真実を抱えたまま――ユティナは固まっていた。


「世間一般では、大聖女ソディナ様がユニコーンと契約していた事実は知られておりません」


静かに口を開いたのはブレア先生だった。


「ですが……ユニコーンという存在は、今や“伝承の中の聖霊獣”。そんな聖霊獣と契約した聖女が現れたとなれば――」


一拍、間を置く。


その言葉の重みを、誰もが理解していた。


「世間は間違いなく……大聖女ソディナ様の再誕、あるいは生まれ変わりと捉えるでしょう」


室内の空気が、さらに一段沈む。


すると――その張り詰めた空気を断ち切るように、レブン公爵が静かに立ち上がった。


「……確かに、世間はそう捉えるのだろう」


低く、重みのある声。


「――それは、私も同じだ」


ゆっくりと歩み出す。その一歩一歩が、場の空気を支配していく。


やがて彼は、ユティナの前で足を止めた。


「貴女が見せた魔法は――紛れもなく奇跡だ」


その瞳に宿るのは、疑念ではなく、確信。


「誰一人として治せなかった、娘の目を――貴女は救ったのだから」


そして次の瞬間、レブン公爵は、迷いなくその場にひざまずいた。


「……え?」


あまりにも予想外の光景に、ユティナの思考が止まる。


「ハーリット嬢……いや――」


一瞬の間。


「大聖女ユティナ・ハーリット様」


名を呼び直すその声音には、最大級の敬意が込められていた。


「この度は、娘の目を救っていただいたこと――心より感謝申し上げる」


深く、深く頭を垂れる。


それは公爵という地位を持つ者が見せる、最上級の謝意だった。


「えっ!? あ、あの……!」


はっと我に返り、ユティナは慌てて立ち上がる。


「ち、違います……! 私はただ、ロクサーナちゃんを助けたくて……!」


言葉がうまくまとまらない。


「それに私、まだ聖女候補で……聖女ですらなくて……!」


必死に否定するユティナに対し、公爵はゆっくりと顔を上げた。


「本来ならば――その力は、人前で使うべきではないものだったのだろう」


静かに、しかし確かに言葉を紡ぐ。


「それでも貴女は、それを顧みず、娘を救った」


一瞬の沈黙。


「――ならば、私が抱く感情は一つだ」


その瞳が、真っ直ぐにユティナを射抜く。


「感謝以外に、何があるというのか」


レブン公爵のあまりにも真摯な感謝に――ユティナは、ただ戸惑うことしかできなかった。


視線を彷徨わせ、言葉も出てこない。


そんな彼女の様子を見かねたのか、ブレアが静かに口を開く。


「……素直に受け取りなさい」


穏やかだが、有無を言わせぬ声音。


「過程がどうであれ――彼女を救ったのは、紛れもなく貴女です。それは、誇っていいことですよ」


「……っ」


その言葉に、ユティナはわずかに息を呑む。


逃げ場を塞がれたような感覚。


けれど同時に、背中を押されたようでもあった。


「は、はぁ……。え、えっと……その……」


しどろもどろになりながらも、なんとか言葉を紡ぐ。


「わ、私も……ロクサーナちゃんの目、治せて……良かったです……」


ぎこちないながらも浮かべた笑顔。


その不器用な返答にレブン公爵は、ふっと表情を緩めた。


「……やはり貴女は、本当に聖女様なのだな」


「えっ……あ、あの……! だから私、まだ聖女候補生で……!」


慌てて否定するユティナだが、公爵は首を横に振る。


「肩書きの問題ではない」


静かに、しかし確信をもって。


「ユティナ・ハーリット様……本当に、感謝する」


再び、深く頭を下げる。


「あ、あのっ、様とかやめてください……!」


ユティナは慌てて手を振る。


「“様”なんて……そんな大層な人間じゃないですし……!」


その言葉は、ほとんど懇願に近かった。


“様”と呼ばれることへの、強い違和感。


(……そんな呼び方、されたことはあるけど……)


脳裏に過るのは遥か昔の記憶で、魔王として畏れられ、崇められていた頃。


(でも、あれは……今の私じゃない……)


今の自分には、あまりにも遠い呼び名だった。


その様子を見て、レブン公爵はわずかに目を細める。


「……そう、か」


一度言葉を切り――


「……貴女がそう望むのであれば」


呼び方を改める。


「ハーリット嬢。改めて――感謝する」


先ほどまでの“畏敬”ではなく、一人の人間としての、真っ直ぐな礼だった。


そんなユティナの姿を見て、ブレアは静かに思う。


彼女の置かれている状況を考えれば、ユニコーンの力を軽々しく人前で使う事の危険性はあまりにも大きい。


だからこそ、自分はこれまで何度も、その重さを教えてきたはずだった。


それでも――彼女は迷わなかった。


見ず知らずの誰かを救うために、自らの立場も、危険も顧みずに力を振るった。


その無自覚さ、現状への理解の甘さ。


教師として見れば、看過できるものではない。

――叱責は必要だ。


大聖女としても、それは同じだった。


だが。


(……それでも)


胸の内で、別の想いが静かに芽生える。


本来、聖女とは何か。


人々の痛みに寄り添い、傷ついた者を救う存在ではなかったか。


ならば、目の前の少女はどうだ。


自らの危険すら忘れ、ただ「助けたい」という一心で動いたその姿は、果たして間違いだと言い切れるのか。


むしろ誰よりも、聖女として正しい在り方なのではないか。


だからこそ、ブレアは思う。


(ハーリットさん……あなたは――)


一度、言葉を飲み込む。


(聖女として、最も相応しいのかもしれませんね……)


未熟なところは多く、危うさもある。


それでも、人として――そして聖女として、決して失ってはならない“何か”を、彼女は確かに持っている。


(……ユニコーンがあなたを選んだ理由が、分かる気がします)


そして、レブン公爵は静かに立ち上がった。


その動作には、迷いは一切なく、すでに何かを決断している者のそれだった。


「――では、今後についてお話ししましょう」


向けられた視線は、レイモンドとブレアへ。


穏やかさを装いながらも、その奥には鋭い光が宿っており、事の重大さを彼はすでに正確に測り終えていた。


「レイモンド殿下。そして……大聖女ブレア様」


一拍、間を置く。


「お二人がわざわざこの地まで足を運ばれた理由――

 まさか、ただユニコーンの話をしに来たのでは、ありますまい?」


その一言に、空気がわずかに張り詰める。


レイモンドとブレアは、ほんの僅かに視線を交わした。


図星――そう物語るには十分だった。


ただ一人、ユティナだけが状況を飲み込めずにいる。


無理もない。


彼女に伝えられているのは、「力が明るみに出た時に備えたい」という程度にしか説明していないのだ。


詳しい事情を語れば、彼女に余計な不安を背負わせることになる――そう考えたからだ。


そんな二人の沈黙を見て、レブン公爵は確信を深める。


「……やはり」


低く、確信に満ちた声。


「現在、水面下で進んでいる――王位継承権を巡る問題。その渦中に、彼女の力が関わる……違いますかな?」


ピクリと、レイモンドとブレアの表情が、わずかに強張った。


もはや否定の余地はなかった。


その様子を見届けた上で、レブン公爵はゆっくりと目を細める。


そして――


「流石にお見通しですね、レブン公」


レイモンドは観念したように、静かに口を開いた。


「はい。まさにその通りです。それも含め――彼女の力が世に知られた時……どうか、我々にお力を貸して頂きたいのです」


レイモンドの胸中を、レブン公爵は静かに読み取っていた。


――この状況で、ユティナの力は“切り札”であると同時に“火種”にもなり得る。


その力が露見すれば、彼女自身が危険に晒される可能性は極めて高い。


だからこそ、本来であれば――ユニコーンの力は、誰にも知られぬまま隠し通すのが最善。


だが、それが絶対ではないことも、ここにいる全員が理解している。


だからこそ、レイモンドもブレアも、自分の元を訪れたのだ。


レブン公爵はゆっくりと目を細める。


王位継承権を巡る争い。


大貴族を含む多くの貴族が、第一皇子リシャール、あるいは第三皇子エルハルトに与している。


第一皇子リシャールは、国力の拡大を掲げる野心家。


対して、幼き第三皇子エルハルトは、周囲の貴族たちの思惑に翻弄されている。


――どちらも、この国の未来を安心して託せる器ではない。


ゆえにレブン公爵は、これまで一貫して中立を貫いてきた。


しかし、ユティナ・ハーリットという存在の出現は、その均衡を大きく揺るがす。


特に、“聖女”という力を独占しようと目論むリシャールが、この存在を見逃すはずがない。


ならば――


もし、その力が明るみに出た時に、彼女をあらゆる思惑から守るためには、どうすべきか。


思考は、一つの結論へと辿り着く。


(なるほど……レイモンド殿下の狙いは、そこか)


わずかに口元を緩めた後、その目に決意が宿る。


(ならば、それまでの間――誰一人として、彼女に手出しができぬ立場を与えるべきだ)


レブン公爵は静かに口を開いた。


「レイモンド殿下――一つ、提案がございます」


その一言に、場の空気が張り詰める。


視線が一斉に集まる中、レブン公爵はゆっくりとユティナへと向き直った。


そして。


「ハーリット嬢……いや、ユティナ――我が家の養女になりませんかな」

読んで頂きありがとうございます(*´∀`)♪

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