第69話 見えぬ瞳に届く声
ツァリスの街――
その中心に構える、ひときわ威容を誇る大邸宅。
この街を治める貴族、レヴン・ヒュラッセン公爵の屋敷である。
重厚な門の前に、二台の馬車が静かに停まった。
門番がそれに気づき、慌てて門を開け放つ。
先に扉が開いた一台目の馬車から、レイモンドに導かれながらユティナが降り立った。
ユティナは緊張を隠しきれないまま、彼女は視線を屋敷へと向ける。
そして――もう一台の馬車。
メイドに手を引かれながら、ゆっくりと姿を現したのはロクサーナだった。
その足が地に触れた、その瞬間だった。
「――うおぉぉぉっ!! ロクサーナァァ!!」
腹の底から響くような、野太い声。
「あぁ……ロクサーナ……!」
重なるように、切実な声が続く。
屋敷の方から駆けて来るのは、一人の大柄な男。
茶髪に豪快な髭、威圧感すら覚える風貌。
その迫力に、ユティナは思わず小さく悲鳴を漏らす。
「ひぇっ……」
その背後から、もう一人。
流れるような長い銀髪を揺らしながら、一人の女性が懸命に後を追う。
年の頃は中年に差し掛かっているはずだが、その美貌はなお衰えを知らない。
そして――
「お父様……! お母様……!」
ロクサーナが、声を弾ませる。
けれどその瞳は、固く閉ざされたまま。
それでも確かに――
愛しい存在のいる方へと、まっすぐに顔を向けていた。
二人はロクサーナのもとへ駆け寄ると、そのまま強く抱き締めた。
「おおぉ……無事で、よかった……っ!!」
「本当に……心配したのですよ、ロクサーナ……!」
その腕は震えていた。
まるで、もう二度と離すまいとするかのように。
「……お父様……お母様……」
ロクサーナは小さく呟きながら、ゆっくりと手を伸ばす。
視線は合わない。
その瞳は、固く閉ざされたまま――それでも。
彼女の指先は迷いながらも、確かに二人の服を掴んだ。
そして、ぎゅっと握りしめる。
その仕草に、ユティナの頬がふっと緩んだ。
「伝令兵から報せを聞いた時は、肝が冷えたぞ……。どこか怪我はしていないか?」
父親はロクサーナの肩に手を添え、確かめるように声をかける。
「痛いところはない?……こんなことになるなら、私も一緒に――」
母親もまた、彼女の頬にそっと触れる。
その指先がわずかに震えていた。
「私は、大丈夫です」
ロクサーナは微笑む。
閉じられた瞳のまま、それでも安心させるように――優しく。
「ちゃんと……お二人の声、聞こえていますから」
その一言に、二人の息が詰まる。
視えなくとも確かに、届いているのだと。
その傍らで、静かに控えていたメイド――カナリーが一歩前へ出た。
「旦那様、奥様。ご安心くださいませ。お嬢様にお怪我は一切ございません」
落ち着いた声が、場の緊張をほどいていく。
「……そうか……。カナリー、お前も無事でよかった」
父親の肩から、ようやく力が抜けた。
「旦那様、奥様」
カナリーは一礼すると、ユティナへ視線を向ける。
「今回、お嬢様がご無事でいられたのは、こちらのユティナ様のおかげでございます。危ないところを助けてくださいました」
その言葉に、ロクサーナの父親は、はっと顔を上げる。
そしてすぐに、ユティナの方へと向き直った。
「……君が、娘を……?」
わずかに震える声。
しばしユティナを見つめた後、ロクサーナの父親は静かに口を開いた。
「カナリーがそう言うのであれば、間違いないのだろう」
そう呟くと、深く頭を下げる。
「私からも……本当に、ありがとうございます」
女性もまた、静かに頭を垂れる。
――夫妻が、揃って頭を下げている。
「あ……! い、いえ……そんなっ……!」
思わず声が上ずる。
ユティナは慌てて手を振り、どうしていいか分からず視線を泳がせた。
(え、えっと……この人たちって……)
頭の中で、ようやく繋がる。
(ロクサーナちゃんのお父さんとお母さん……ってことは……)
目の前にいるのは――
この街を治める大貴族、レヴン・ヒュラッセン公爵。
そして、その隣に立つのは、公爵夫人シリメル。
レイモンドが「会わせる」と言っていた相手。
――その本人たちだった。
(まさか……こんな形で……)
心臓が跳ねる。
ただでさえ緊張する相手。
それなのに今、自分は――
貴族、それも公爵から、直々に頭を下げられている。
本来ならあり得ない光景。
庶民に対して、貴族がここまでの礼を取ることはない。
(む、無理無理無理……!)
普段は細かいことを気にしないユティナでも、さすがに理解してしまう。
これは――重すぎる。
「ほ、本当に大したことはしてなくて……! わ、私はただ、その……!」
しどろもどろになりながら、必死に言葉を探すユティナ。
だが、うまくまとまらない。
それでも――
その必死さだけは、確かに伝わっていた。
(うぅ……なんか、居心地悪い……)
場の空気に馴染めず、ユティナはそわそわと落ち着かない。
(それにしても……ロクサーナちゃんのお父さんとお母さんって……)
遠慮がちに、そっと二人へ視線を向ける。
大柄で、いかにも武骨。
荒々しい存在感を放つレヴン公爵。
対して、その隣に立つシリメルは――年齢を感じさせぬ妖艶な美貌。
流れるような銀髪と、柔らかな気品。
あまりにも対照的な二人。
(……美女と野獣じゃん)
思わず、心の中でツッコむ。
(こ、こんな二人の間から……)
ちらり、とロクサーナを見る。
可憐で、儚げで――まるで壊れてしまいそうな花のような少女。
(こんな子が生まれるなんて……遺伝どうなってるの……?)
もう一度、公爵と婦人へと視線を戻し――見比べる。
じーっ、と。
そのあまりにも露骨な視線に、ついにレヴンが気づいた。
「……どうかしたのか?」
低く響く声。
「あ、いえっ! な、何でもありませんっ!!」
びくり、と肩を震わせ、ユティナは慌てて視線を逸らす。
あまりに分かりやすい反応。
レヴンとシリメルは、思わず顔を見合わせた。
――この娘は、一体何を考えているのだろうか。
そんな疑問が、その表情にはありありと浮かんでいた。
そんな時、穏やかな声が、場に静かに落ちた。
「……本当に、ロクサーナ様にお怪我がなくて何よりです」
振り向いた先――そこに立っていたのは、ブレア先生だった。
優しく、どこか慈しむような眼差しで、再会を果たした親子を見守っている。
その姿に、レヴンはふと眉をひそめた。
視線が向かうのは――彼女が纏う法衣。
「……その法衣は……聖女の……?」
低く、探るような声。
「ええ」
ブレアは微笑み、ゆっくりと一礼する。
「聖女、ブレアと申します」
流れるような所作。
無駄のない、美しく洗練された動き。
――まさしく、“聖女”と呼ばれるに相応しい姿だった。
(うわ……完全に“よそ行きモード”だ……)
ユティナの頬がわずかに引きつる。
この穏やかな微笑みの裏にある“本性”を。
(本当はおっかないのになぁ〜……)
その瞬間だった。
「あら、ユティナさん? 何か?」
不意に向けられる、にこやかな笑顔。
ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。
「い、いえ! な、何もありませんっ!!」
反射的に否定し、ユティナはぶんぶんと首を振った。
額に、じわりと嫌な汗が滲む。
その様子を横目に――
「……しかし、その法衣……それに、ブレア……?」
レヴンがポツリ、ポツリと呟く。
どこか引っかかるような響き。
そして次の瞬間、何かに思い至ったように目を見開いた。
「まさか……」
息を呑む。
「ブレア・セイフライド……!」
その名を、確かめるように口にする。
「……大聖女、ブレア・セイフライド殿……なのか……!?」
場の空気が、変わった。
その言葉に、シリメルもはっと息を呑む。
だが――
(……大聖女?)
一人だけ、きょとんとする影。
(誰が……?)
ユティナだけが、話についていけていなかった。
読んで頂きありがとうございます(*´∀`)♪
もし、面白い!続きを読みたい!と思ってくださって頂けるなら、ブックマークや☆評価など頂けると幸いですm(_ _)m




