第66話 第二皇子
「……第二皇子?」
カトリット先生の口から飛び出した言葉の意味が理解できず、その場の空気が一瞬止まり、保健室に妙な静寂が流れる。
そして、次の瞬間。
「あははははっ! カトリット先生も、そんな冗談言うんですね!」
ユティナは笑った。
心の底から、“あり得ない”と言わんばかりに。
ユティナにとってレイモンドは、あくまで気軽にお茶を飲んで話す“お茶会友達”だ。
そんな相手が、まさか王国の第二皇子なはずがない。
「はぁ……」
こめかみに手を当て、カトリット先生は深々とため息をつく。
その様子を見かねたのか、ブレア先生が「やれやれ」とでも言いたげに口を開いた。
「貴女、ここが女学園だという事を考えれば分かるでしょう?」
「えっ……」
そこでようやく、ユティナは気付いた。
女学園――それも、レディア聖院女学園。
女学園が基本的に男子禁制であることは、この世界では常識だ。
もっとも、全ての女学園がそこまで厳しい訳ではない。
だが、レディア聖院女学園は別格だった。
この学園は、聖女を育成するための特別な教育機関。
レディア聖王国を中心に運営されているものの、実際には各国や聖法教会までもが関与する極めて特殊な存在だった。
それ故に、不備は決して許されない。
聖女という存在は、各国にとって極めて貴重な力だ。
どの国も欲しがる存在であり、その育成機関で問題が起きることなどあってはならない。
特に警戒されるのが、男性との接触によるトラブルだった。
そのため、レディア聖院女学園では教師や関係者を含め、学園内の人員は基本的に全て女性で統一されている。
――だが、本当の理由は別にある。
それは、“聖霊獣”の存在。
女性としか契約を結ばない聖霊獣。
その聖霊獣と契約できる特別な土地に、男性が踏み入った場合どのような影響が出るのか、未だ完全には解明されていない。
だからこそ、学園は長年に渡って男性の立ち入りを厳しく制限してきた。
もっとも、その事実を知るのは教師陣など、ごく一部の学園関係者のみだ。
とはいえ、各国が関わる機関である以上、外部から貴賓や視察団が訪れることもある。
当然、その全てを女性だけで構成するのは不可能だ。
そのため、学園側から正式な許可を得た者のみ、例外的に立ち入りが認められていた。
だが、その審査は極めて厳しい。
許可を得られるのは、身元も立場も確かな人物のみ。
これまで立ち入りを許された男性も、皇子や各国の重鎮といった限られた者ばかりだった。
それほどまでに、この学園は特別な場所なのだ。
当然、生徒達もその事は知っている。
知っている、筈だったのだが、ユティナは完全に忘れていた。
(そう言えば、この学園ってそういう規則、かなり厳しかったっけ……。え……じゃあ、カトリット先生が言っていた事って……本当……?)
「え……本当に……皇子、なの……?」
その瞬間、ユティナの背中を嫌な汗がじわりと伝った。
「すまない……。別に隠していたわけじゃないんだ。ただ、その……なかなか言い出すタイミングがなくて……」
レイモンドは気まずそうに頭を掻きながら答える。
「い、いや……別にいいんだけど……。でも、レイが皇子様って……」
突然明かされた事実に、ユティナは未だ実感が湧かずにいた。
そんな様子を見たブレア先生が、呆れたようにため息をつく。
「そもそも、この学園に男性が普通にいる事に違和感はなかったのです?」
「え? なんか特別に許可取ってるんだと……」
「この学園で男性が許可を得て学園内へ立ち入れるのは、それ相応の身分や立場を持つ者だけです。たとえ親族であっても、事前に面会申請を行い、学園の外に設けられた面会室でしか会うことは許されていません」
カトリット先生も、やや呆れ気味に補足する。
「あ、あははは……そうなんですね……」
乾いた笑みを浮かべるユティナ。
そのあまりの天然ぶりに、その場にいた全員が苦笑いを浮かべたり、呆れたようにため息を漏らしたりしていた。
「……話を戻しましょう」
空気を切り替えるように、カトリット先生が静かに口を開く。
そして、ユティナが呼び出された本当の理由について説明を始めた。
それは――ユティナが持つ“ユニコーンの力”についてだった。
今はまだ隠し通せている。だが、いずれ必ずその力は明るみに出る。
だからこそ、その時に備えて今のうちから対策を講じておきたい――それがレイモンドと教師陣の考えだった。
そして、その一環としてユティナには、ある人物と会ってほしい。
それこそが、今回レイモンドがユティナへ持ちかけた本題だった。
詳しい理由までは明かされなかったものの、自分自身に関わる話である以上、ユティナも素直にそれを受け入れる。
ちなみに、レイモンドにユニコーンの力が知られてしまった件については、不可抗力だったとはいえ、「なぜもっと早く相談しなかったのか」と当然のようにきっちり叱られた。
もっとも、レイモンドが間に入って庇ってくれたおかげで、想像していたほど厳しい説教にはならなかったのだが。
「話は分かりました。えっと……その、ヒュラッセン侯爵? その人に会えばいいんですね」
「そうです。ですので貴方には、ヒュラッセン侯爵が治めるヒュラッセン領、その中心都市ツァリスまで向かっていただきます」
カトリット先生は落ち着いた口調で、今後の日程を説明した。
――そして今。
ユティナは、ヒュラッセン領にある港街ツァリスへ向かう馬車に揺られていた。
窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺めながら、胸の奥には小さな期待と、拭いきれない不安が入り混じっていた。
(ツァリスかぁ……どんな街なんだろ)
港街。
豊かな交易都市。
多くの人々で賑わう活気ある街――そんな話は聞いている。
想像するだけで、自然と胸が少し高鳴った。
(行った事のない街だから楽しみではあるんだけど……やっぱり貴族に会うってなると緊張するなぁ……)
レイモンドは「ただ会うだけだ」と言っていた。
けれど、孤児院育ちの自分にとって、“大貴族に会う”という事実だけで十分すぎるほど緊張する。
まして相手は、レディア聖王国内でも屈指の権力を持つ侯爵家だ。
気を抜けば、今にも胃が痛くなりそうだった。
そんなユティナの心の揺らぎを感じ取ったのか、不意にルナが優しく語りかけてくる。
(心配はいらない……ユティナには、私がついている)
静かでありながら、不思議と安心感を与える声。
その言葉はそっと胸に染み込み、張り詰めていた気持ちを優しく解きほぐしていく。
(ふふ……ありがとう、ルナ)
自然と頬が緩む。
先ほどまで胸を占めていた不安が、少しだけ軽くなった気がした。
(まぁ、今後の私の為だし、仕方ないか。ルナの力も、いつまでも隠し通せる訳じゃないしね……)
ユティナは胸の内で小さく息を吐く。
自分でも制御し切れないほどの力。
だからこそ、何かが起きてからでは遅い。今のうちに手を打っておくべきだ――そう考えるのは当然だった。
そして、もう一つ。
ユティナには、どうしても気になっている事があった。
ちらりと、正面に座るレイモンドへ視線を向ける。
(……それにしても、レイが皇子様かぁ……)
初めて知った時は、本気で驚いた。
けれど今こうして向かい合っていても、どうにも実感が湧かない。
(うーん……私にとっては、ただのお茶会友達なんだけどなぁ)
そこまで考えた時、ふと嫌な記憶が頭をよぎった。
(……あれ? 待って。私、今までレイに結構失礼な態度取ってなかったっけ……?)
その瞬間。
ユティナの顔がみるみる青ざめる。
(も、もしかして……かなり不味いのでは……!?)
「ね、ねぇ……レイ?」
ユティナは、どこか引きつった笑みを浮かべながら口を開いた。
「これって……もしかして、不敬罪とか……?」
予想外すぎる問いに、レイモンドはきょとんと目を瞬かせる。
「きゅ、急にどうしたんだ?」
事情を聞き終えた次の瞬間――
「っ……くくっ……あはははははっ!」
レイモンドは堪えきれず吹き出した。
「わ、笑うことないじゃーん!」
「あはは……いや、すまない。そんなに真剣な顔をして何を言うのかと思ったら、まさかそんな事を考えていたなんて」
「そんな事って! 私は真面目なんですけどぉ!」
ユティナは頬を膨らませ、むすっとそっぽを向く。
その反応すら面白かったのか、レイモンドは肩を震わせながら笑っていた。
やがて、少しだけ表情を和らげる。
「あぁ、大丈夫だ。不敬罪になんてならないよ」
「……ほんとに?」
「むしろ――」
レイモンドは柔らかく微笑む。
「これからも、今まで通り遠慮なく話してくれた方が嬉しい」
「えー……まぁ、レイがそう言うなら……」
ユティナはまだ半信半疑といった目を向ける。
けれど、レイモンドの表情に嘘や建前は感じられなかった。
どこか嬉しそうで、心からそう思っているのだと分かる。
「じゃあ、これからも好き放題言うからね? 後から『やっぱり不敬罪です』とか言って捕まえないでよ?」
「あはははっ、もちろんだ」
穏やかな笑い声が馬車の中に広がる。
先程までユティナを包んでいた緊張は、いつの間にか綺麗に消えていた。
――その、次の瞬間だった。
「……?」
ユティナの表情が、ぴたりと止まる。
視線は、窓の外へ。
何かを探るように、じっと耳を澄ませている。
その異変に気づき、レイモンドが声をかける。
「ユティ……? どうかしたのか?」
だが、ユティナはすぐには答えない。
ただ、外を見つめたまま――
「……え?」
かすかな戸惑いが、声に混じる。
そして。
「……今の……悲鳴……?」
その一言で――
馬車の中の空気が、一変した。
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