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落ちこぼれ聖女候補に転生した魔王は静かな隠居暮らしを目指す~今度こそブラックな人生はごめんです!~  作者: あんずのかおり


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第65話 港街ツァリスへ

銀髪の少女が目を覚ましたのは、柔らかなベッドの上だった。


見知らぬ天井。


――ここは、どこ……?


そんな疑問すら、うまく形にならない。


少女の瞳は虚ろなまま、ただ天井を映していた。


その時、キィ……と、扉が軋む音が静寂を裂いた。


少女の視線が、わずかにそちらへ向く。


「よかったわ。目が覚めたのね?」


現れたのは、一人の女性だった。


年の頃は四十前後だろうか、少しふくよかな体つきに、柔らかな微笑み。


どこか安心感を与える雰囲気をまとっている。


女性はゆっくりと歩み寄り、ベッドの傍らに腰を下ろした。


「どう? 気分は悪くない?」


その声は、優しく、穏やかで、今にも壊れそうな物に触れるようだった。


そっと、少女の頬に手を伸ばす。


だが、その瞬間。


「ひっ……!?」


少女の身体が跳ね上がった。


反射的に身を引き、ベッドの隅へと逃げるように後ずさる。


息が乱れ、瞳が大きく見開かれる。


そして――


「ごめんなさい……! ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……!」


震える声が、途切れなく溢れ出す。


「ぶたないで……! お願い、やめて……!」


頭を抱え、必死に身を守るように縮こまる少女。


その怯え方は、あまりにも異常だった。


まるで、“そうされることが当たり前だった”かのように。


女性は、少女のあまりにも怯えきった反応に一瞬だけ目を見開いた。


だがすぐに、その表情をふっと和らげる。


そして、逃げ場を求めて縮こまる少女へ、ゆっくりと手を伸ばした。


びくり、と少女の身体が震える。


それでも女性は構わず、優しく、その小さな身体を抱き寄せた。


「大丈夫……」


耳元で、静かに囁く。


「ここには、あなたを叩く人なんていないわ」


「あ……」


かすれた声が、少女の喉から零れる。


「今まで……ずっと、辛かったのね……」


女性の腕は、強くもなく、弱くもなく。


ただ“離さない”という意思だけを込めて、少女を包み込む。


「もう大丈夫。だから……そんなに怖がらなくていいのよ」


その言葉がゆっくりと、少女の奥深くに染み込んでいく。


気づけば、ぽたりと一粒の涙が零れていた。


虚ろだった瞳に、わずかな光が戻る。


そして次の瞬間――


「う……っ、うぅ……」


堪えていたものが、崩れた。


「うわあああああああああん……!」


少女は、声を上げて泣いた。


嗚咽が途切れることなく溢れ出し、細い身体が激しく震える。


押し殺してきた感情が、堰を切ったように流れ出していく。


どれほどの時間を、そうしてきたのか。


どれほどの痛みを、飲み込んできたのか。


女性には、それを知る術はない。


けれど――この涙が、すべてを物語っていた。


女性は何も言わず、ただ静かに、壊れてしまいそうなほど震える少女を抱きしめ続ける。


小さな身体の震えが、少しずつ落ち着いていくまで。


怯えきったその心が、“もう大丈夫”だと感じられる、その瞬間まで――。



「うぅ……ゆ、夢……?」


かすれた声が、微かに漏れる。


ユティナはぼんやりとした意識のまま、ゆっくりと瞼を開いた。


揺れる視界。


規則的な振動――馬車の中だと気づくまでに、少し時間がかかる。


「起きたのか?」


不意にかけられた声に、ユティナは小さく肩を揺らした。


眠気の残る目で、声の主の方へと視線を向ける。


「レ……レイ……?」


その姿を認識した瞬間――


はっと、意識がはっきりと戻った。


「あっ……ご、ごめん! 私、寝てた!?」


慌てて身体を起こし、ばつの悪そうに顔を上げる。


目の前にいたのは、やはりレイモンドだった。


彼は特に気にした様子もなく、穏やかに答える。


「大丈夫だ。ツァリスに着くまで、まだ少しかかる。無理に起きていなくてもいい」


「え……そ、そう言われても……」


困ったように視線を逸らすユティナ。


(彼の言う通りだ。疲れているなら、素直に休んだ方がいい。馬車での移動にも、まだ慣れていないのだろう?)


頭の中で、ルナの優しい声が響く。


(心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ。それに……)


(それに……?)


一瞬だけ言葉が詰まり、ユティナは小さく笑って誤魔化す。


(あはは……う、ううん。何でもないよ)


――寝ていいと言われると、逆に眠れない。


それに。


(男の人の前で寝るって……どうなのよ……)


たとえ今の自分が子供の姿であっても、妙な抵抗感が拭えない。


もじもじと落ち着かない様子で、指先を弄る。


そんなユティナの様子を見て、レイモンドは一瞬だけ言葉に詰まり――


「……そうか」


わずかに視線を逸らした。


そして、ぽつりと。


「少し……残念だな」


「え?」


思わず聞き返すユティナ。


だがレイモンドは、それ以上は何も言わず、頬をかく。


その横顔は、ほんのりと赤く染まっていた。


「……?」


ユティナは首を傾げる。


なぜ彼がそんなことを言ったのか――

その意味までは、まだ分からなかった。


ほんのわずかな沈黙。


それを振り払うように、レイモンドが口を開く。


「そ、それにしても、ユティの制服以外の姿を見るのは新鮮だな」


レイモンドが、どこか無理やり話題を逸らした様にも思えるが、特に気にせず答える。


「そう? 確かに普段は学園の制服だしね。でも、私あんまり外行きの服、持ってないんだよねぇ」


今のユティナの服装は、白いブラウスに明るいグレーのワンピース。


飾り気のない、いわば一般的な庶民の装いだ。


けれどレイモンドにとっては、それがかえって目を引いた。


そして、もう一つ。


視線は、自然とその傍らへと移る。


「……その剣は」


ユティナの隣に置かれた、一振りの剣。


場違いとも思えるそれに、レイモンドは小さく言葉を漏らす。


「あ、うん……」


ユティナは少しだけ視線を落とし、そっと剣に触れた。


「なんかね、これがないと落ち着かなくて。せめて、自分のことは自分で守らないとって思うし」


その声音は軽いが、どこか芯がある。


転生前――魔王として生きていた頃から染みついた感覚。


今でも、無意識にそれを求めてしまう。


「……変、かな?」


少しだけ不安そうに、上目遣いで様子を窺うユティナ。


その仕草に、レイモンドの胸がわずかに跳ねた。


「いや、そんなことはない」


即座に、首を横に振る。


「とてもユティらしいと思う。それに…その服もユティらしくて好きだな」


「えっ……」


思わず、言葉が止まる。


頬が、じんわりと熱くなるのを感じた。


「そ、そうかな……。でも……ありがとう」


照れ隠しのように笑って、ユティナは視線を逸らす。


そして、逃げるように窓の外へと目を向けた。


揺れる馬車の窓枠の向こう。


流れていく景色が、ゆっくりと移ろっていく。


草原を抜け、やがて遠くに見え始めるのは――青く広がる海の気配。


今、ユティナたちは聖王国レディアの西部へと向かっていた。


目的地は、港街ツァリス。


貿易の要衝として栄え、多くの商人や船が行き交うこの街は、温暖な気候にも恵まれ、農作物も豊富に実る。


その豊かさゆえに、聖王国内でも指折りの繁栄を誇る土地として知られていた。


そして――


そのツァリスを治めているのが、ヒュラッセン公爵。


聖王国においても屈指の権力を持つ大貴族であり、その影響力は王都にまで及ぶと言われている。


そして、今回そんな人物に。


(……会いに行くのかぁ……)


ユティナは馬車の揺れに身を任せながら、小さく息を吐いた。


学園を離れ、こうしてレイモンドと共に馬車へ乗っている理由。そのすべては、ヒュラッセン公爵との面会のためだった。


(なんで、こんな事になったんだろう……)


今さらながら、そんな考えが頭をよぎる。


数日前、ユティナはカトリット先生に呼び出された。


その時は、(げっ、私なにかやらかしたっけ!?)などと内心かなり焦っていたのだが、指定された場所は職員室ではなく保健室だった。


その時点で、ユティナはある程度理由に心当たりがつく。


(うーん……保健室って事は、ブレア先生もいるだろうし……ルナの件かなぁ……?)


そんな事を考えながら、ユティナは保健室の扉をノックする。


「失礼します……」


静かに扉を開け、ユティナは保健室へ足を踏み入れた。


室内にいたのは、カトリット先生とブレア先生。


ルナの件なら、アニヤ先生もいると思っていたのだが、その姿はなく代わりに。


「え……なんでレイがここにいるの……!?」


そこにいたのは、レイモンドだった。


「ちょっと訳があってね……」


レイモンドは困ったように苦笑する。


「え、訳って……?」


ユティナは首を傾げた。


呼び出された時は、てっきりルナの件について話があるのだと思っていた。


だが、この妙な顔ぶれを見て、逆に何の話なのか分からなくなってくる。


すると、カトリット先生が静かに口を開いた。


「レイモンド殿下から、今後のユニコーンについて、ある提案を頂いたのです」


「……提案?」


ユティナはきょとんとした顔で聞き返す。


そして、数秒遅れて引っかかった。


「……ていうか今、“レイモンド殿下”って……?」


「……」


レイモンドがどこか気まずそうに視線を逸らす。


その反応に、ユティナはようやく違和感に気づいた。


(……あれ? さっきから何か様子おかしくない?)


「はぁ……何を言っているのですか……」


カトリット先生は深いため息をついた。


「こちらにおられる方は、レディア聖王国第二皇子、レイモンド・フォン・セルフォルト・レディア殿下ですよ」


「…………え?」


その一瞬、空気が止まり、同時にユティナの思考も止まった。

読んで頂きありがとうございます(*´∀`)♪

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