第61話 クロエの変化
ランカスター公爵家の中庭へと案内されたクロエ。
「こちらです」
そう告げたハリーが先に立って歩き出す。
クロエは緊張を胸に抱いたまま、その後ろを静かに追った。
辿り着いたのは、隅々まで手入れの行き届いた庭園の一角だった。
色とりどりの草花が穏やかな風に揺れ、庭全体を見渡せる位置には、休憩用に設えられた瀟洒なスペースが用意されている。
そこでハリーは歩みを止め、ひとつの椅子の背にそっと手を添えた。
「どうぞ、こちらへ」
勧められるまま腰を下ろすと、ハリーは一礼する。
「まもなくお嬢様がお見えになります。少々お待ちください」
クロエは緊張した面持ちのまま、こくりと頷いた。
――どれほど待っただろうか。
やがて足音が近づき、メイドを伴って一人の少女が姿を現す。
先ほど裏庭で見かけた時とは違い、赤と白を基調とした気品あるドレスに身を包んだマリアベルだった。
その姿を認めた瞬間、クロエは慌てて立ち上がり、深く頭を下げる。
「あら、わざわざ立たなくてもよろしいですわよ?」
柔らかな声に、クロエは思わず顔を上げる。
「し、しかし……」
「ふふ。そんなに畏まらないでちょうだいな」
そう言って微笑むと、控えていたメイドがマリアベルの椅子を引く。
その様子を見て、クロエも再び席に着いた。
ほどなく二人の前に紅茶が注がれ、庭の静けさに包まれながら、たわいない会話がぽつりぽつりと続いていく。
「それで、クロエ嬢のご実家はマギアクラフターでしたわよね?」
「あ、はい……そうです」
「では、本日こちらにいらしたのは、お父様と新しい魔道具の件かしら?」
「あ、はい……。そう父から伺っています」
「まぁ。では、お父様はまた新しい魔道具を購入されるのですの?」
「そ、そうです。今回父が依頼されたのは、部屋の温度を調節できる魔道具で……」
「温度を?」
「はい……!風魔法と水魔法、それから火魔法の術式陣を組み合わせて、そこに魔力を通すことで、冷たい風や温かい風を出せる仕組みなんです」
一度息を吸い、勢いそのままに続ける。
「術式陣っていうのは、あらかじめ術式を組み込んだ“陣”のことで、そこに魔力を送ると、設定された魔法が自動的に発動します! 言うなら……そう、ストック魔法みたいなものですね!」
さらに身振り手振りを交えながら。
「だから、魔力を持たない人でも、魔石を使う事で魔道具を使うことができるんです!」
「それだけじゃありません。温度を感知する術式陣も組み込んであって……」
少し誇らしげに、声を弾ませる。
「室温が変わると、それに合わせて自動で調整してくれるんです!」
魔道具の話になると、クロエの言葉は自然と熱を帯びていく。
身振りを交えながら説明するその姿を、マリアベルは一度も視線を逸らさず、静かに聞いていた。
「……あっ」
ふと我に返ったクロエは、はっとして言葉を止める。
「す、すみません……! 私、つまらない話を……」
肩をすくめ、萎縮するクロエ。
だがマリアベルは、嫌な顔ひとつせず首を横に振った。
「そんなことはありませんわ」
「……え?」
「貴女のお話、とても面白いですわ。魔道具のことはあまり詳しくありませんでしたから、とても興味深いです」
思いがけない言葉に、クロエは目を瞬かせる。
「え……あ、ありが……とう、ございます……」
その反応に、マリアベルは少し不思議そうに首を傾げた。
「どうかしました?」
「あ、い、いえ……その……前に同じ歳くらいの子たちに魔道具の話をしたら……引かれてしまって……」
「まぁ、そうなんですの?」
「はい……。ですから、そんな風に言ってもらえるとは思ってなくて……」
「嫌でしたか?」
「そ、そんな! 全然です! と、とても嬉しかったです……! 真剣に話を聞いてくださって……」
「ふふ。私は本当のことを言ったまでですわ」
少し緊張が解けたクロエは、意を決したように口を開く。
「あ、あの……マリアベル様が裏庭で使っていらした魔法……」
「ファイヤーボールですか?」
「は、はい! す、凄かったです! 私と同じ歳なのに、あんなに魔法が使えるなんて……」
「ありがとうございます」
そう微笑むマリアベルに、クロエもつられるように笑顔を浮かべる。
それから少しずつ、二人の会話は弾み始めていった。
少し離れた場所から、その光景を静かに見守るハリーは、穏やかに目を細める。
(どうやら、クロエさんをご紹介して正解だったようですね……。これで、マリアベル様のお心が少しでも癒されれば……)
それからというもの、クロエは父がランカスター侯爵家を訪れる度に同行するようになった。
その度に中庭でマリアベルと顔を合わせ、紅茶を囲みながら語らう時間は、いつしか当たり前のものとなっていく。
魔道具の話、自分の身近に起きた出来事、互いの得意なことや悩み――
会話を重ねるうちに、二人の距離はゆっくりと、しかし確かに縮まっていった。
クロエは次第にマリアベルに強い憧れを抱くようになる。
気品を失うことなく、それでいて誰の言葉にも真摯に耳を傾けるその佇まい。
才能をひけらかすことなく、確かな強さと優しさを併せ持つその在り方。
(私も……マリアベル様のようになりたい)
そう願うようになった頃から、クロエ自身にも変化が訪れた。
人の視線を恐れて俯いていた姿は少しずつ影を潜め、言葉を発することへの躊躇も薄れていく。
好きなものを語る時だけでなく、自分の意見を伝える時にも、確かな芯が宿り始めていた。
内気だった性格は消えたわけではない。
けれどそれは、臆病さではなく、思慮深さへと姿を変えていた。
マリアベルという存在は、クロエにとってただの友ではない。
目標であり、道標であり、――自分を変えるきっかけそのものだった。
そしてクロエは、いつしか強く願うようになっていた。
――いつの日か、マリアベルを支える存在になりたい、と。
その想いに突き動かされるように、クロエはマリアベルと同じ道を選ぶ。
彼女のそばにいるため、共に歩むため、レディア聖院女学園への入園を決めたのだった。
入園後、マリアベルの周囲には自然と人が集まった。
生まれ持ったカリスマ性、そして「ランカスター」という大貴族の名。
その威光に惹かれ、あるいは利用しようとする者たちが、取り巻きとして彼女の周囲を固めていくのは避けられないことだった。
クロエは、その全てを理解した上で受け入れた。
彼女は取り巻きたちを巧みにまとめ、不要な摩擦を避け、時に盾となり、時に調整役となる。
それらすべては、マリアベルを守り、支えるため――ただそれだけの理由だった。
しかし、変化は突然訪れる。
ここ最近、マリアベルが「落ちこぼれ聖女候補」と呼ばれるユティナ・ハーリットと行動を共にするようになってから、彼女はクロエにこう頼んできたのだ。
――取り巻き達との接し方を、変えてほしい。
その願いを、クロエは拒めなかった。
結果として、マリアベルは取り巻きを連れて歩くことをやめ、次第に一人、あるいはユティナと共に行動するようになる。
それは、クロエにとって――
まるで、自分が置いて行かれたかのような感覚だった。
胸の奥が締めつけられる。
悲しくて、悔しくて、どうしようもなく苦しかった。
そして、その感情は次第に一つの名前へと収束していく。
ユティナ・ハーリット。
彼女が現れたことで、すべてが変わってしまった。
自分から、大切な人――マリアベルを奪った存在。
それだけではない。
魔法実習でマリアベルに勝ったことすら、クロエは許せずにいた。
だからこそ、クロエは決意する。
マリアベルを取り戻すために。
ユティナに勝負を挑むことを。
(落ちこぼれに、私が負けるはずがない)
勝てば、マリアベルは目を覚ます。
そして、きっと自分のもとへ戻ってきてくれる――
そう、信じて疑わなかった。
だが、結果は惨敗だった。
信じられない現実。
落ちこぼれと呼ばれていたはずのユティナ・ハーリットに、自分が完膚なきまでに敗れたのだ。
その瞬間、クロエの心は音を立てて崩れ落ちた。
(……私には、何の価値もないのでは?)
マリアベルを支えることもできない。
守ることも、並び立つこともできない。
そんな自分が、彼女のそばにいる意味などあるのだろうか。
自己否定の思考が、ぐるぐると渦を巻き、抜け出せない闇となってクロエを覆っていく。
――そして。
ゆっくりと、意識が浮上した。
「……こ、ここは……?」
重たい瞼を開くと、視界いっぱいに広がっていたのは、見慣れない天井だった。
「……よかった。ようやく目を覚ましましたのね」
静かで、けれど確かな温もりを帯びた声。
その声を耳にした瞬間、クロエの意識は一気に現実へと引き戻された。
「……っ!」
はっとして視線を巡らせる。
「マ、マリアベル様……!?」
自分が横たわっているベッドのすぐ傍。
そこには椅子に腰を下ろし、身を乗り出すようにしてこちらを覗き込むマリアベルの姿があった。
その表情には、隠しきれない心配の色がにじんでいた。
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