第58話 動きを見透かす者
訓練場の石畳に一定の距離を保ち、ユティナとクロエは静かに向かい合っていた。
周囲では歓声が渦巻き、熱気が高まっている。
だが、その喧騒とはまるで切り離されたかのように、二人の間だけが張り詰めた静寂に包まれていた。
互いの呼吸すら探るような、鋭い間合い。
やがて、先に口を開いたのはクロエだった。
「ひとつ、お聞きしてもよろしいですか?」
わずかに目を細め、観察するようにユティナを見据える。
「貴女の動き……ほんの一瞬ですが、加速しましたよね」
静かな声。しかし、その奥には確信が滲んでいる。
「――何を、したのですか?」
ユティナは一拍だけ沈黙し、答えない。
代わりに、わずかに目を細めて問いを返す。
「聞きたいのはこっちよ。何で水球を撃ち尽くしたのにそこに有るの?」
空気が張り詰める。
クロエは小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
「最初に質問したのは私ですが……まぁ、いいでしょう」
その声音には、余裕と――ほんの僅かな愉悦。
「一度でもこの距離まで来られたご褒美です。教えてあげます」
次の瞬間、クロエの周囲に、再び水が集束する。
滑らかに、静かに、そして確実に形を成し、水球が浮かび上がる。
ひとつ、ふたつ、みっつ――
数は、十三。
先程と寸分違わぬ配置で、宙に並んでいた。
まるで最初から減ってなどいなかったかのように。
「13個……一つ多い……隠してたのね?」
「正解です。一つは私の背後に置きました」
(12個が限界じゃなかったんだ……。なら、あとどれだけ出せるの……)
ユティナの顔に焦りが見える。
「心配しないでください。今お見せしている13個が私の限界です」
淡々と告げられた言葉に、わずかな誇張も揺らぎもない。
「……もし本当だとして、魔法の事といい、何で教えてくれるの……?」
ユティナは警戒を隠さず、鋭い視線をクロエへ向ける。
その視線を、クロエは真正面から受け止め――
そして、わずかに口元を緩めた。
「簡単です。教えたところで、私の勝ちは決まっているのですから」
「随分と余裕じゃない……」
「当然です。落ちこぼれに敗れるなど、あり得ません」
その言葉には、侮蔑すら乗っていない。
ただ“事実”を述べているだけの、冷たい断定。
「それより……」
クロエの瞳が、わずかに細められる。
「私の質問に答えてはくれないのですか?」
「……私が素直に答えるとでも?」
「……そうですか」
興味を失ったように、クロエは視線を外す。
「まぁ、いいです。貴女がどんな手を使ったか知りませんが、私には関係ない」
そう言うとクロエは再びアクアストライクをユティナへと放つ。
(本当に、キリがないわね……。加速魔法が使えれば近づくのなんて簡単なのに……)
ユティナは躱しながら、水球の数を改めて確認する。
(やっぱり、私が近づいた時に対応が出来る様に水球を二、三個残している……なら……これなら……!)
「フレイムアロー!」
放たれた炎の矢が水球を貫き、触れた瞬間、一気に蒸発する。
そこへクロエが仕込んでいた水蒸気爆発が重なり、二人の間に白濁した蒸気が爆ぜるように広がった。
視界を覆い尽くすその光景と、ユティナの放った魔法に周囲の生徒たちがざわめく。
「視界が悪くて、ここからじゃ何も見えないわ!」
「う、嘘でしょう……? あの“落ちこぼれ”が、中級魔法を……!?」
「しかも……詠唱、していませんでしたよね……?」
驚愕はエドナも同じだった。
「アルマ先輩……今、ユティナ先輩が中級魔法を無詠唱で……」
「あ、あはは……気のせいじゃないかな?」
アルマは引きつった笑みを浮かべ、必死に誤魔化す。
その一方で、アルマとマリアベルは互いに視線を交わし、冷や汗を滲ませていた。
(ユティ……あんまり目立ちすぎる攻撃は……)
(少しは考えて動きなさいな……!)
そんな二人の思いも届かぬまま、ユティナは迷いなく前へ出た。
「――ファイヤーボール!」
放たれた火球は、一直線にクロエのいた方向へ向かう。
だが――その速度は、あまりにも遅かった。
宙をのろのろと進む火球を見て、周囲の生徒たちがざわめき、やがて嘲笑が広がる。
「ぷっ……何よ、あのファイヤーボール」
「遅すぎでしょ。無理して中級魔法なんて使うから、魔力切れなんじゃない?」
「ほんと、何も考えずに動くから落ちこぼれなのよ」
冷たい言葉が、刃のように飛び交う。
それを聞いたエドナの瞳が、かっと燃え上がった。
「先輩……あいつら、やっちゃってもいいですの?」
低く呟きながら、一歩前に出ようとするエドナ。
その身体は、今にも飛び出しそうなほど張り詰めていた。
「エ、エドナちゃん! ちょっと、落ち着こう!?」
アルマは慌ててエドナを抱き止めるように腕を回す。
「ア、アルマ先輩! 離してください! あんな――!」
憤りに震えるエドナの声を遮るように、凛とした声が響いた。
「静かになさい」
マリアベルだった。
「――動きますわよ」
マリアベルは視線の先、ユティナを鋭く見る。
(《身体強化魔法》――!)
ユティナは強く踏み込み、立ち上る蒸気の幕を盾に一気に距離を詰めた。
(ファイヤーボールの速度を意図的に落として……囮にする!)
蒸気を抜けた瞬間、視界の先にクロエの姿を捉える。
(――よし。思惑通り……!)
揺らめく火球に意識を向けたまま、クロエはその場を動かない。
警戒している。だが、それでいい。
魔法に注意を引きつけ、その隙を突く――
ユティナは横合いから踏み込み、剣を振るった。
(これなら……!)
だが――
ガン、と硬質な音が響く。
斬撃は再び水の壁に阻まれ、同時に飛ばしたファイヤーボールも同じ防壁に弾かれた。
爆ぜた蒸気が、さらに視界を白く覆う。
(なっ……防がれた!? どうして……!)
「――残念でしたね」
冷静な声が、すぐ傍で響いた。
次の瞬間、横腹に重い衝撃。
アクアストライクが至近距離で炸裂し、ユティナの身体は宙を舞う。
「ぐっ……!」
叩きつけられるように石畳へ落ち、勢いのまま転がる。
「ユティナ先輩!?」
エドナの悲痛な叫びが、場に響き渡った。
「ユティ……!」
アルマとマリアベルも同じように、息をのんだ。
「うっ……くっ……」
ユティナは苦痛に顔を歪めつつ、膝をつき立ち上がろうとする。
(……間違いない。私の居場所が、完全に筒抜けになっている……)
奥歯を噛み締める。
(でも……どうして……? いや、違う……私は、この感覚を知っている……)
ユティナは一瞬目を閉じ、魔王時代の記憶を辿った。
そして、ポツリと呟く。
「魔力探知……」
その言葉に、クロエの瞳が一瞬大きく見開かれた。
「……驚きました。よく気づきましたね?」
その声には、わずかな感嘆が混じっている。
ユティナはゆっくりと顔を上げ、鋭い視線でクロエを射抜いた。
「……死角からの攻撃を防ぐなんて、並の芸当じゃない。高度な戦闘技術か、あるいは……幾多の修羅場を潜った者だけが辿り着く領域」
一歩、足を踏み出す。
「でも……貴女は違う」
断言だった。
「最初から、“そこにいる”と知っていた者の動き……」
クロエの眉が、わずかに揺れる。
「その証拠に……貴女は、私の“動き”を見ていない。それでも対処していた」
静かに、しかし確信を持って言い切る。
「つまり――視覚じゃない。別の手段で、私の位置を把握していた」
クロエの表情は一瞬驚きに変わり、やがて淡い笑みに変わる。
しかしその笑みには、冷静で鋭い真剣さが宿っていた。
「ふふ……どうやら、貴女のことを少し見くびっていたようですね」
「貴女の言う通り……魔力探知を常に使い、貴女の動きや魔法の動きを把握していました」
魔力探知――自分を中心に領域を展開し、その中の魔力を探知できる索敵魔法。
「貴女のミジンコみたいな魔力量でも、魔力は魔力。この魔法がある限り、魔力の動きは完全に筒抜けというわけです」
膝をつき、やや俯いたユティナを見下ろすクロエ。
その姿はまるで勝ち誇ったかのように見え、観客の生徒たちも自然と息を呑んでいた。
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