第56話 噂の落ちこぼれ
放課後の訓練所。
石畳の上に伸びた二つの影――ユティナとクロエが、静かに向き合っていた。
昼休みに起きた一件の末、二人は“決闘”をすることになった。
条件はこうだ。
クロエの要求は、ユティナが今後マリアベルに一切関わらない事。
そしてユティナの要求は、「金目の物をよこす」という、強烈な一言だった。
(完全に盗賊ーー!!)
(俗物きたーーっ!!)
と、あの場にいた全員の心に同じツッコミが同時に走ったのは言うまでもない。
そして、訓練所の周囲には、アルマ、マリアベル、エドナ、取り巻きたち。
さらに昼の騒ぎを聞きつけた初等部や中等部の生徒まで集まり、もはや小規模なイベント状態。
ユティナの腰には剣が携えられていた。
そして、二人の指には、一定以上のダメージを吸収すると砕けるセーフティーリンク。
安全に模擬戦を行うための、学園指定の装備だ。
ちなみにこのセーフティーリングは、クロエが「自主訓練するので!」と言い張って、備品担当のアニヤ先生から借りてきたものである。
「覚悟はよろしくて? ユティナ・ハーリット!」
クロエはやる気満々、目は完全に燃えている。
「う、うん……まぁ……」
対してユティナは、どう見ても乗り気ではなく、むしろ帰りたいオーラを漂わせていた。
そんな二人の間にスッと割って入る影。
マリアベルの元取り巻きの一人だ。
「勝負の審判は私が務めま――」
その瞬間。
「お待ちなさい――」
張りのある声が場に響きわたる。
一斉に振り向く生徒たち。
「ア、アニヤ先生!? ど、どうしてここに……?」
クロエが目を丸くする。
「そうですね……『自主訓練』と称して、勝負を始めると聞きまして」
アニヤ先生の眼鏡が、ギラリと光った。
その光はまるで、不正は絶対に許しませんよ?と語っているかのようだった。
「あ、えっと……」
クロエがわずかに後ずさる。
訓練と偽ってセーフティーリングを借り出した以上、当然アニヤ先生に怒られると思っていたのだ。
しかし、返ってきた言葉は予想外のものだった。
「心配しないでください。この勝負、止めるつもりはありませんよ」
「そ、そう……なのですか……?」
クロエは拍子抜けしたように目を瞬かせる。
「はい。本来なら“訓練目的以外”でのセーフティーリングの貸し出しは禁止されていますが……」
「では、どうして……?」
「……少し、気になることがありまして」
そう切り出すと、アニヤ先生は静かにユティナの方へ歩み寄った。
「えっ……?」
突然距離を詰められ、ユティナは思わず背筋を伸ばす。
そして、アニヤは周囲に聞こえぬよう、声を落として語りかけた。
(いいですか、ハーリットさん……くれぐれも“目立つ行動”は控えなさい。特に――加速魔法。あれは、この場では使用禁止です)
(ええっ!? な、なんでですか……?)
思わず声を上げそうになるのを、ユティナは慌てて飲み込む。
(あの魔法は、あまりにも目立ち過ぎます。高速移動が可能な魔法など、本来この場で目にするはずのないものです。そんな力を使えば、必ず不審に思われ、余計な疑念を招きます)
ユティナはごくりと喉を鳴らす。
(ですが、身体強化魔法であれば……まぁ、問題ないでしょう。ただし……使うとしても、必要最低限に。決して派手にしないこと。――分かりましたね?)
(……は、はい)
小さく、しかし確かに頷くユティナ。
そのやり取りを少し離れた場所から見ていたクロエが、困惑した様子で声をかける。
「あ、あの……アニヤ先生……?」
アニヤ先生は即座にユティナから離れ、何事もなかったかのようにクロエへと向き直った。
その表情は先ほどまでの緊張感を一切感じさせない、教師としてのものだ。
「失礼しました」
そして、きっぱりと言い切る。
「この勝負の審判は――私が務めます」
その一言に、場の空気が静かに引き締まった。
「えっ……!?」
観戦していた生徒たちがざわつく。
教師が正式に立会うとなれば、遊びの延長では済まない。
二人の勝負に対する視線の温度が一気に変わった。
「よろしいですね?」
「は、はいっ」
クロエは反射的にうなずき、もともと審判を務めるつもりだった女生徒に視線を送る。
女生徒はアニヤ先生に軽く一礼し、足早に石畳から退いた。
アニヤ先生は二人を静かに見据え、厳粛に告げる。
「では、この勝負は模擬戦形式とします。降参、戦闘不能、あるいはセーフティーリングの破損――いずれかで勝敗を決めます。異論は?」
ユティナとクロエは、返事の代わりに同時にそれぞれ構えた。
その瞬間、空気がぴん、と張り詰める。
訓練所の石畳――
そこはもう、二人の“戦場”だった。
「あの……ランカスター先輩」
おずおずと声をかけてきたエドナに、マリアベルはほんの一瞬だけ目を丸くしたあと、柔らかく微笑んだ。
「……マリーでいいですわよ」
「えっ……?」
あまりに予想外な返答に、エドナは瞬きを忘れる。
「あ、私もアルマでいいよ?」
アルマもにこっと笑って続く。
「よ、よろしいんですか……?」
「もちろん。だからね、私もエドナちゃんって呼ばせてもらうね? それと、もっと砕けた話し方で大丈夫だよ!」
「え、あ……はい……ありがとうございます……」
急に距離を縮められ、エドナは戸惑いながらもどこか嬉しそうに頬を赤らめた。
小さく息を整え、エドナは本題を切り出す。
「では……えっと……マリー先輩。あの……あちらの方……ガーバイト先輩って、やはり強いのでしょうか?」
マリアベルは視線をクロエへ向け、小さくうなずく。
「ええ。彼女は学年十位以内の実力者ですわ」
「そうだね。それに総合評価も、私たちと同じAランクだよ」
アルマが補足する。
「そ、それって……ユティナ先輩、勝てるんですか!?
ユティナ先輩って学年最下位で……総合評価Fランクですよね!?」
真剣な表情のエドナに、アルマは少し苦笑しながら肩をすくめる。
「あはは……やっぱりエドナちゃん、ユティの評判は知ってるんだね」
「えっと……その……はい。ユティナ先輩のことは……初等部でも有名で……」
「ああ、『落ちこぼれ聖女候補生』?」
「は、はい……」
エドナは気まずそうに視線を落とした。
だが、それを責める者は誰もいない。
むしろマリアベルがため息をついた。
「まあ……今まであれだけの成績を取っていたのですから、悪い意味で噂にもなりますわね」
「まぁ……しょうがないよね」
アルマも苦笑まじりに言う。
「はい……」
(恐らく……今のユティなら、クロエさんに勝つことは出来る。――それも、問題なく)
アルマはそう思いながらも、胸の奥に小さな棘のような違和感を抱えていた。
(でも……勝ってしまえば、どうしても目立ってしまいますわ。ただでさえ、ユティナさんの置かれている状況は特殊なのに……)
隣で同じようにユティナを見つめながら、マリアベルもまた思案していた。
(先生も、それを察してこの場に現れたんだと思う。あの様子だと……きっと、ユティに「目立つ行動は控えるように」と言ったはず)
(……問題は)
二人の思考が、同時に同じ結論へと辿り着く。
(ユティなんだよねぇ……)
(ユティナさん、ですのよねぇ……)
思わず視線を交わすアルマとマリアベル。
そこには、拭いきれない不安が浮かんでいた。
ユニコーンと契約したことで、ユティナを取り巻く環境は大きく変わった。
その力は、あまりにも強大だ。
――知られてしまえば、世界に与える影響は計り知れない。
だからこそ、ユニコーンの存在は絶対に秘匿しなければならない。
それが、彼女を守る唯一の方法だった。
その事情を知る二人にとって、この一戦は単なる勝負ではない。
勝っても、負けても――危うさを孕んでいる。
一方で。
そんな裏事情を知らないエドナは、二人の曇った表情を見て、まったく違う受け取り方をしていた。
(やっぱり……ユティナ先輩が勝つなんて、無理なんだ……)
――それは、大きな、大きな勘違いだった。
そして、周囲の生徒たちは、ユティナをどこか冷めた目で見ている。
「“噂の落ちこぼれ聖女候補生がまた調子に乗ってる”」
「“勝負なんて、どうせすぐ終わる”」
そんな空気がひしひしと伝わってくる。
彼女らにとって、ユティナはどこまでも落ちこぼれ”なのだ。
その中で、マリアベルの小さな囁きが空気を裂く。
「――始まりますわよ」
その声を合図に、訓練場全体に緊張が走った。
ユティナとクロエが向かい合う。
風が一瞬だけ止まったように感じるほど、静まり返る空気。
そして――
勝負の火蓋が、いま切られようとしていた。
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