第54話 可愛い妹分
休憩時間。
エドナは一人、静かで長い廊下を歩いていた。足取りは落ち着き、真っ直ぐ伸びた背筋は優等生としての風格を漂わせている。
――と、その時。
「…でさ、それであの子ったら――」
「え、なにそれ本当!?」
角の向こうから、談笑しながら歩いてくる二人の女生徒。
そのうち一人は、後ろ歩きで話に夢中になっていた。
ドンッ!
「あっ、ごめんなさい!」
後ろ向きのまま歩いていた女生徒が、エドナに勢いよくぶつかった。
振り返った女生徒は相手を認識した瞬間、顔色を変える。
「シ、シンクレアさんっ…… !?」
青ざめた表情で、慌てて深々と頭を下げる。
「す、すみません! わ、私……あの……前をちゃんと見てなくて……!」
震えながら謝る彼女に、エドナは少しだけ目を瞬かせると、静かに言葉を返した。
「別に構いませんですの。……貴女、どこかお怪我はありませんですの?」
予想外の優しい声。
女生徒は驚いたように顔を上げる。
「え……あ、その……だ、大丈夫です……」
「そう。なら良かったですの」
エドナはそれだけ告げると、騒ぎ立てることもなく、そのまま静かに、その場を歩き去っていく。
残された女生徒二人は、こそこそと囁き合う。
(こ、怖かった〜……怒鳴られるかと思った……)
(わ、悪い人ではないんだろうけど……雰囲気がね……)
エドナは背中越しに、その言葉が聞こえているのかいないのか――
ただ一度だけ、ちらりと視線だけ向けた。
(……いつものことですわね)
深く気にするでもなく、しかし胸の奥に少しだけ刺さる。
そんな空気を切り裂くように、明るい声が廊下に響いた。
「エドナちゃーん、やっほー!」
その声を聞いた瞬間――
「ユティナ先輩ぃぃぃ!!」
先ほどまでの凛とした優等生オーラは何処へやら。
エドナは全速力で声の主、ユティナのもとへ駆けていった。
あまりの豹変ぶりに、例の女生徒たちは完全に固まる。
「ど、どどど……どうして初等部校舎に!?」
「え? ああ、今日ね、お昼いっしょにどうかなって思って誘いに来たんだよ」
「そ、それでわざわざ訪ねて来られたのですか!?」
「うん、そうだよ〜」
ユティナは相変わらずの無邪気な笑顔。
「ぜ、ぜ、是非っ! 私もご一緒させてくださいですのっ!」
エドナは胸の前で両手を握りしめ、小刻みに震えている。
(あぁ……もう……今日死んでもいいかもしれません……)
「じゃあ、お昼前に玄関ロビーね〜」
ユティナが去っていくと、エドナはその背中を陶酔したように見つめ続けた。
「ああ……今日は素晴らしい日になりそうですの……」
その様子を見ていた女生徒二人は、混乱しきった声を漏らす。
「……今の、本当にシンクレアさんよね? わ、私たち夢でも見てるのかな……?」
「そ、そうよ……きっと夢だわ……」
二人はただ、現実が信じられず呆然と立ち尽くすのだった。
——
お昼休みの玄関ロビーは、食堂へ向かう生徒たちで賑わっていた。
行き交う流れとは逆に、ホールの隅で待ち人を探すように立つ三人――ユティナ、アルマ、マリアベル。
「シンクレアさん、遅いね」
アルマはきょろきょろと辺りを見回す。
「ユティナさん、本当に誘ったんでしょうね?」
半眼で疑うマリアベルに、
「誘ったよー! ばっちり声かけたってば!」
ユティナは胸を張って笑う。
「そういえば最近、ユティってシンクレアさんと仲良いよね?」
「まぁねー。なんか妹ができたみたいで、つい構いたくなるんだよね」
「あ〜分かるかも。シンクレアさん可愛いから、つい頭撫でたくなるんだよね」
「その度に彼女、鼻血を出しておりますわよ? いつか貧血で倒れないか心配ですわ」
そんな会話をしていると――。
「せ、先輩方っ……! すみませんですの、遅くなって……!」
小走りで彼女たちへ向かってくる姿。
息を弾ませながらエドナが到着した。
「あ、エドナちゃん、こっちこっち〜」
ユティナが嬉しそうに手を振る。
エドナは小刻みに呼吸しつつ深く頭を下げた。
「すみませんっ……授業の片付けで先生のお手伝いをしていましたら、思ったより時間がかかってしまいまして……」
「え、もしかして日直だったの?」
首を傾げるユティナ。
「いえ、そういうわけではないのですが……日直だけでは先生のお手伝いが大変そうでしたので……」
その言葉に、マリアベルが感嘆混じりにため息を漏らす。
「……素晴らしいですわ。自ら先生方を手伝うなんて……誰かにも見習ってほしいものですわね?」
言いながら、じろりとユティナを見る。
「え? 私?」
目をぱちぱちさせるユティナ。
「貴女以外に誰が居ますの」
「ふっ……分かってないな〜マリーは」
ユティナは得意げに胸を張る。
「私が手伝ったら……余計なことになるじゃない!」
「胸張って言うことではありませんわよ!!」
「アルマー! マリーがいじめるー!!」
ユティナは突然アルマに抱きつき、子どもみたいに甘える。
「ちょっ!? ユ、ユティ……! もう……しょうがないなぁ」
アルマは苦笑しながら、ユティナの頭を優しく撫でた。
その瞬間――
「ぶふっ!!」
控えめにしようとした気配すらなく、エドナの鼻から赤いものが噴き出した。
(い、いいもの……見せていただきましたのぉぉぉぉぉ……!!)
完全にトリップしている。
「……貴女、いい加減にしませんと、いつか本当に見放されますわよ」
マリアベルは半眼のまま、呆れた声で言い放つ。
そんなわちゃわちゃとした空気の中――
そんな和やかな空気を切り裂くように、鋭い声がホールへ響いた。
振り向くと、そこには数人の生徒たちが、鋭い視線をこちらへ向けながら立っていた。




