第53話 王位を継ごうとする者達
昼下がりの中庭。
柔らかな日差しの下で、ユティナはアルマとマリアベル、さらにエドナを交え、“例の物”を囲んで相談していた。
「ねえねえ、この角度、可愛くない? 値段は……えっと……」
「ユティ、それ……本当に売る気なの?」
「絶対、問題を起こしますわよ」
「こんなものが存在していていいとは思えませんの……!」
三人は、まるで悍ましい物でも見るかのような視線を向ける。
特にエドナにとって、ソディナ様R-EXは嫌な思い出しかない代物だった。
「センスは、まったく感じられませんの」
「エドナちゃん、ひどっ!?」
そんなやり取りをしていた――その時だった。
たまたまそこを通りがかったブレア先生の足が、ピタリと止まった。
「ハ、ハーリットさん、それは―― !? 」
青ざめた顔で指を震わせ、まるで亡霊でも見たような反応。
「え? これですか?」
ユティナは得意げにソディナ様R-EXを持ち上げる。
「ソディナ様R-EXプロトタイプ! 私の自信作です!」
「つ、作った…… !? 」
「はい♪ グッズとして売ろうかなと思いまして。これ凄いんですよ! ここのボタン押すと――」
ぽち。
「私ソディナ様、今から貴女のところに――」
「ほら、喋るんです!」
ユティナが胸を張る。
ブレア先生の頬がひくつく。
「それ……保健室に……」
「保健室?」
ユティナは首を傾げ、ふと思い出したように言った。
「あー、前に保健室に忘れたことありましたね。あのとき壊れていたみたいで、勝手に喋りだして……。あ、そういえば取りに行った時、なんか保健室……おしっこ臭かったような……」
その瞬間だった。
がしぃぃぃっ!!
「ひぃっ!?」
ユティナの頭を、にこりと微笑んだままのブレア先生の手が掴んだ。
笑顔――
たしかに口元は綺麗に上がっている。
けれど。
その奥にある“何か”は――
これまで誰も見たことがないほど、冷たく、深く、そして底の見えない怒気を孕んでいた。
空気が、変わる。
ひやり、と温度が落ちた気がした。
まるで見えない何かが、背筋をゆっくりと這い上がってくるような、不快な感覚。
笑っているのに、怖い。
笑っているのに、逃げ場がない。
(あ、これ……)
ユティナは知っている。
この“笑顔”を。
ぎこちなく首を動かし、恐る恐る上目遣いでその表情を覗き込む。
逃げ道を探すように。
けれど、最初からそんなものは存在しないと知りながら。
「あ……あのぉ……その……」
喉が、ひどく乾く。
「な、何か……気に障るようなことを……?」
言い終える頃には、ほとんど声になっていなかった。
――そして、確信する。
(……完全に、怒ってる)
「……そう、ですか……」
ぽつり、と零れるような声。
だがその一言に込められた圧は、空気をさらに重く沈ませた。
「貴女のせい……ですか……」
ゆっくりと、噛みしめるように繰り返される言葉。
その声音は静かなのに――
内側では、確実に何かが軋み、崩れ始めていた。
「えっ、な、なにか迷惑を……?」
「迷惑どころではないわぁ?」
先生の手に力がこもる。
「それに、“売る”? “グッズ”? 貴女、ソディナ様を何だと思っているのかしらぁ?」
さらに力が込められる。
「いっ……痛い痛い痛い!!」
「ハーリットさん、今から保健室に来なさい」
「え? い、今からですか!?」
「ええ。みっちり、指導して差し上げますわ♪」
「え、でも……今日は訓練の日じゃ……」
「――お黙りなさい」
笑顔のまま、即座に切り捨てる。
「いいですね? それから……それは没収です」
「えっ!? そ、それは困……」
「ぼっ・しゅ・う・です♡」
「……はい」
抵抗は、即座に打ち砕かれた。
その光景を、少し離れた場所で見守っていたアルマたち。
「アルマ先輩……一体、ユティナ先輩、何をやらかしたんですか……?」
「さぁ……」
中庭には、ユティナの尊厳が静かに回収されていく音だけが、確かに響いていた。
そして、頭を鷲掴みにされたまま、ユティナの身体は無造作に引きずられていく。
まるで、逃げることなど最初から許されていないかのように。
そのまま彼女は、ブレア先生に連れられ――いや、連行されていったのだった。
残された空気は、どこか気まずく、そして重い。
そんな様子を、少し離れた場所から見ていたカトリット先生は、思わず顔を引き攣らせる。
(……どうやら、また何かやらかしたようですね……)
深いため息が、静かに漏れる。
そんなユティナを見て、脳裏に浮かぶのは、少し前の事、学園長室でのやり取りだった。
⸻
「そ、それは本当ですか……殿下……!?」
思わず声を上げたのは、カトリット先生自身だった。
目の前にいるレイモンドの言葉は、それほどまでに予想外だったのだ。
「はい」
短く、しかし迷いのない返答。
その瞳には、確固たる意思が宿っている。
「自分も……この王位継承争いに参入しようと考えています」
一瞬、空気が凍りつく。
自分が聖王となり、彼女を保護する。
それが、最も確実な手だと、レイモンドは考えたのだ。
静かに告げられたその言葉は、重く、そして揺るぎない決意を帯びていた。
元々、レイモンドは王位に興味は無かった。
妾の子として生まれ、継承権も低い。
だからこそ、自らその争いに踏み込む理由など、本来はなかった。
だが、今は違った。
守りたい存在ができてしまったからだ。
その為ならば、どれほど困難な道であろうと、踏み込む覚悟は、すでに決まっている。
「一つ、よろしいでしょうか?」
静かに口を開いたのは、ブレア先生だった。
「何でしょう?」
穏やかに応じるレイモンド。その声音には、わずかな揺らぎもない。
「なぜ、ハーリットさんのために……そこまでなさるのですか?」
一拍、間を置く。
「確かに、殿下が聖王となられれば、彼女の保護は容易になるでしょう。ですが……それは同時に、大きな危険を伴う道です。殿下ほどのお立場であれば、他にも方法はあるはずです」
その言葉に、カトリット先生も静かに頷いた。
「……私も、同意見です」
空気が、わずかに張り詰める。
確かに、手段は一つではない。
聖教会の庇護下に置くこともできる。
名を変え、居場所を転々としながら生きる道もある。
しかし、それは。
「日常を……彼女の夢を、守りたいからです」
その一言が、場の空気を変えた。
「日常……夢、ですか……?」
ブレア先生が、かすかに目を細める。
「はい」
短く答えるレイモンドだが、“夢”については、それ以上語ろうとはしなかった。
代わりに、静かに言葉を重ねる。
「もし本気で彼女を秘匿するのであれば……ハーリット嬢は、今のような生活を送ることはできないでしょう」
それは紛れもない事実だった。
秘匿すればするほど、自由は削られていき、守られる代わりに、“普通”は失われる。
そしてレイモンドは、知っている。
彼女が、なぜ聖女を目指しているのかを。
その想いに惹かれたのは、他ならぬ自分だ。
だからこそ、それを奪う選択だけは、決してできなかった。
(だったら――)
答えは、最初から一つ。
彼女が“堂々と生きられる世界”を、作ればいい。
そのために必要なのが、王位。
「……ですから私は、この争いに身を投じます」
静かに告げられたその言葉には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
「殿下のお気持ちは理解しました……ですが……」
ブレア先生が言葉を続けようとした、その時。
「勝算は、あるのですよね?」
場の空気を断ち切るように問いを投げたのは、メリッサ学園長だった。
「確実とは言えませんが……一つ、考えがあります」
静かに告げられたその言葉だが、その声音には迷いはなかった。
メリッサ学園長は、しばしレイモンドを見据え、やがて、小さく息を吐いた。
「……分かりました」
その一言に、重みが宿る。
「であるならば、我々は殿下を信じ、支えましょう」
それは、学園としての意思表示。
同時に、一人の若者の覚悟に応える、大人たちの決断でもあった。
カトリット先生は静かに目を伏せ、そして頷く。
ブレア先生もまた、わずかに表情を緩めながら同意を示した。
レイモンドが選んだ道は、険しい。
だが、その背を支える者たちは、確かにここにいた。
――そして、思考は現実へと引き戻される。
あの学園長室でのやり取りを思い出しながら、カトリット先生は静かに目を細めた。
(殿下が王位継承争いに参入する……)
胸の内で、言葉を反芻する。
(……どうか、この選択が――良い結果に繋がりますように……)
小さく、誰にも聞こえない祈りが零れた。
ふと視線を上げる。
その先では――
ブレア先生に引きずられるようにして、廊下の奥へと連れていかれる少女の姿。
じたばたと抵抗しているのか、それとも諦めているのか。どこか騒がしく、しかし――
それが、確かに“日常”だった。
「……まったく」
思わず苦笑が漏れる。
先ほどまでの重苦しい空気が、嘘のようにほどけていく。
――守ろうとしているものは、きっとこういう光景なのだろう。
騒がしくて、少し厄介で。
けれど、かけがえのない日常。
カトリット先生は、その背中が見えなくなるまで見送り――
やがて、静かに踵を返した。
⸻
聖都ルミディア――ローゼンファル城。
その一室、第一皇子リシャールの私室。
高い窓から差し込む光の中、リシャールは一人、窓辺に立っていた。
視線の先に広がるのは、聖都の街並み。
だが、その瞳は景色を見ているようで――何も見てはいなかった。
思考の奥底へと沈み込むように、ただ静かに、外を眺めている。
――コンコン。
不意に、扉を叩く音が室内に響いた。
しかしリシャールは振り向かない。
「入れ」
短く、それだけを告げる。
「失礼いたします」
扉が静かに開き、一人の男が音もなく室内へと足を踏み入れた。
その動きに、一切の無駄はない。
すらりとした細身の体躯を包むのは、漆黒の紳士服。皺ひとつ許さぬその装いは、徹底された自己管理の賜物だった。
長い黒髪はきっちりと後ろで束ねられ、整えられたその姿からも隙のなさが滲み出ている。
そして、眼鏡の奥にある細く鋭い双眸は、隠しようもなく冷徹な光を湛えていた。
――いかにも、有能。
そう言わしめるだけの気配を纏った男。
「……ゼノンか」
その気配だけで察したのか、リシャールがようやく振り向く。
ゼノンは静かに一礼した。
彼はリシャールの幼少期より教育係を務めてきた男であり、現在は第一皇子付きの秘書として仕えている。
主従でありながら――
最も長く、最も近くでリシャールを見てきた存在だった。
「……何かあったのか?」
ゼノンがこうして、予定が無い日に自室まで足を運ぶ――それ自体が、異例だった。
何もないはずがない。
リシャールは窓辺に立ったまま、視線を外に向け問いかける。
「はい。リシャール様に、ご報告がございます」
淡々とした声。
感情の色は、ほとんど感じられない。
「……何だ?」
わずかに間を置き、ゼノンは告げた。
「弟君……レイモンド様が、王位継承に名乗りを上げるおつもりのようです」
その言葉に――
「……レイモンドが?」
初めて、リシャールの表情が揺らいだ。
わずかに驚くが、それも一瞬で消える。
(あれが……王位に?)
理由を探るも、答えは出ない。
沈黙が、数秒。
「……いかがなさいますか?」
ゼノンの問いは、あくまで静かだった。
促すでもなく、ただ主の判断を待つ声音。
リシャールは、ゆっくりと振り向く。
そして――
「放っておけ」
迷いなく、言い切った。
「……よろしいのですか?」
わずかに、問い返すゼノンだが、その表情は崩れない。
リシャールは鼻で笑う。
「あれに、王の資格はない」
冷え切った声音。
「それに……あれに、どの貴族がつくという?」
吐き捨てるように続ける。
「所詮は、妾の子だ」
その瞬間、リシャールの口元が、わずかに歪んだ。
「……レイモンド……何を勘違いしたのか」
低く、押し殺した声。
「私が優しく接しすぎたか? それとも、自分も王家の一員だとでも思い込んだか」
その瞳には、先ほどまでの静けさはない。
「身の程を弁えぬ愚か者が」
最後の一言は、ほとんど吐き捨てるようだった。
その顔は先ほどまでの、整った気品ある皇子のそれではない。
歪み、濁り、そして僅かな狂気を滲ませた“本性”だった。
「……それよりも、問題はエルハルトだ」
低く、押し殺した声。
先ほどまでの話題など、もはや取るに足らないと言わんばかりに切り捨てる。
第三皇子エルハルト――まだ幼き王子。
だが、その王位継承権はリシャールに次ぐ位置にある。
そして何より――
その周囲に群がる貴族たちの存在が、リシャールにとっては看過できなかった。
「エルハルトに纏わりつく貴族ども……」
吐き捨てるような声音。
「己の欲しか見えていない愚か者どもめ……!」
ぎり、と歯を食いしばる音が、静かな室内にわずかに響く。
「自分たちがどれほどこの国を蝕んでいるか、それすら理解できないとは」
怒りは、激情というよりも、冷えた憎悪へと変わっていた。
やがて、ふっと力が抜ける。
「……まあいい」
静かに、そしてどこか愉しむように。
「私が聖王となれば、一掃すればいいだけの話だけ」
その声音には、ためらいは一切ない。
「愚かな貴族も……愚弟もまとめてな」
その言葉の裏にあるものを、誰も否定できない。
それは、明確な“排除”の意思。
室内の空気が、わずかに重く沈む。
「ゼノン。例の件は?」
「すでに手配済みにございます」
即答する。
「おそらく、間もなく動きがあるかと」
リシャールは小さく頷く。
「そうか……」
再び窓の外へと視線を向ける。
だがその瞳は、もはや街など見てはいない。
もっと遠く――
王座、その先を見据えていた。
「私が王となるには、あの男の力が不可欠だ」
ぽつりと呟く。
そして、口元がゆっくりと歪んだ。
「……もし」
低く、含みを持たせた声。
「私に従わぬというのなら……」
言葉は、そこで途切れる。
だが、その先に続く結末は、語るまでもなかった。
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