第47話 聖力の使い方
森の静寂を裂くように、横倒しになった荷馬車が軋んでいた。
車輪は外れ、積まれていた荷は無残にも地面へと散らばっている。
その崩れた荷の隙間――
銀の髪を持つ幼い少女が、一人、埋もれるように倒れていた。
「……う……」
かすかな声。
それは風に溶けて消えそうなほど弱々しく、意識の底から無理やり引き上げたようなものだった。
その微かな音を拾うように、一人の男が慎重に荷馬車へと足を踏み入れる。
腰には剣。
周囲を警戒しながら、散乱した荷の中へと視線を走らせる。
――そして、見つけた。
「おい、大丈夫か!」
男は迷わず駆け寄り、少女を抱き起こす。
軽い――あまりにも軽すぎる体だった。
腕の中で、少女がゆっくりと目を開ける。
「……あ……」
焦点の定まらない瞳が、かすかに男を映す。
何かを言おうとしたが――言葉にはならない。
そのまま、力が抜けるように、再び意識を手放した。
「……外傷はない。だが――」
男は眉をひそめる。
「ひどい衰弱だな……」
その時――
「ねぇ! 生存者はいた!?」
外から、切羽詰まった声が飛び込んできた。
男は一瞬だけ考え、少女を抱き上げたまま、馬車の外へと出た。
「ああ……子供が一人。目立った外傷はないが……」
男の腕の中で、少女はぐったりと力なく揺れていた。
その横に、青いローブを纏った女が歩み寄る。
彼女は膝をつき、少女の顔を覗き込むと、静かに息を呑んだ。
「……ひどい衰弱ね」
細い指でそっと額に触れ、状態を確かめる。
「この様子だと、人買いに買われた子みたいね……」
一拍の沈黙。
そして、次の瞬間――
「……本当に許せない」
低く、押し殺した怒りが滲む。
「こんな小さな子供まで……!」
男は何も言わず、その言葉を受け止めた。
「他に生存者は?」
短く問うと、女は首を横に振る。
「……いないわ。皆、魔物に食い荒らされてる」
その言葉の重さが、空気をさらに冷やした。
男が視線を周囲へと向けると、そこには散乱した荷、壊れた車輪。
そして、無惨に残された“痕跡”。
「人買いたちは?」
「見当たらない。……奴隷を囮にして逃げたみたいね」
吐き捨てるような声だった。
男は一瞬だけ目を細める。
だがすぐに、思考を切り替えるように問いを重ねる。
「この馬車を襲った魔物は?」
「あらかたは片付けたわ。でも、何匹かは森の奥へ逃げた」
女は視線を奥へと向ける。
「それで――“剣姫”が追ってる」
その名に、男の表情がわずかに緩む。
「……剣姫か」
短く息を吐き、
「なら、任せて問題ないな」
そう言い切った。
「俺はこの子を聖都へ連れて戻る。剣姫と合流後、撤収してくれ」
「わかったわ」
女は力強く頷く。
それを確認すると、男は踵を返し、森を抜ける光の方へと歩き出す。
腕の中の少女は、相変わらず動かない。
だが男は、その顔を一度だけ見下ろした。
「……待ってろ」
低く、しかし確かな意志を込めて。
「必ず助ける」
その言葉と共に、彼は森を後にした。
⸻
放課後の保健室。
静まり返った室内の中央には、一つのテーブルが置かれている。
その上には花瓶があり、そこに活けられた花は、すでに命を失ったかのように萎れていた。
テーブルの前に立つのは、銀髪の少女――ユティナ・ハーリット。
彼女は枯れた花へそっと手を翳し、目を閉じて意識を集中させる。
「……ハイ・ヒール」
小さく呟いた瞬間、花瓶の周囲に淡い光の粒子が舞い始めた。
枯れていた花は、まるで時間を巻き戻すかのように、徐々に生気を取り戻していく。
「そう……その調子です」
背後から、ブレア先生の穏やかな助言が飛ぶ。
「魔力で聖力の出力を調整するように……」
光に包まれた花は、やがて完全に息を吹き返し、鮮やかに咲き誇った。
「ふぅ……出来たっ!」
成功に安堵し、思わず肩の力が抜けた、その瞬間――
「ハーリットさん、もっと魔力で聖力を抑えて!」
「え……?」
次の瞬間、花が異変を起こした。
咲き誇った花は急激に成長し、蔓や草花が一気に広がって、テーブルの表面を侵食し始める。
「わ、わわわっ……!!」
慌ててユティナは再び集中し、暴走しかけた力を必死に抑え込んだ。
草花の成長は次第に収まり、やがて静寂が戻る。
「ふぅぅ……危なかった……」
「お疲れ様です」
ブレア先生は小さく息を吐き、微笑む。
「力の扱い方自体は、だいぶ慣れてきましたね。ただ……調整はまだ課題です」
「やっぱり、魔力と違って扱いにくいですか?」
「はい……」
ユティナは少し考え込み、言葉を探す。
「何て言うか……大きな船の舵を、小さな船が無理やり引っ張って操縦してる感じです……」
「なるほど……」
ブレア先生は感心したように頷いた。
「とても分かりやすい例えですね」
(聖力は、元々人間には存在しない力……だからこそ、自身の魔力を媒介として制御する必要がある。理屈で分かっていても、感覚として掴むのは容易ではありませんね……)
ブレア先生は内心でそう考えつつ、ユティナを見守る。
ブレア先生によるユティナへの聖魔法の指導は、総じて順調に進んでいた。
まだ不安定な部分は多いものの、確実に力は身についてきている。
――思い返せば、最初の放課後指導の日。
まず行ったのは、聖霊獣を呼び出すことからだった。
ユニコーンの姿を、他者に見られるわけにはいかない。
そのため、初めての訓練場として選ばれたのは、学園が管理する静密の森だった。
風に揺れる木々の葉擦れの音と、遠くで鳴く鳥の声だけが響く深い森。
その一角に、ユティナ・ハーリットたちは集まっていた。
その場にいるのは、ブレア先生。
そして少し距離を置いた場所に、カトリット先生、アニヤ先生。
さらに、アルマとマリアベルの姿もある。
青く長い髪をふわりと揺らしながら、ブレア先生はユティナの正面に立った。
張りのある声が、静かな森の空気に溶け込むように響く。
「それでは、ハーリットさん。聖力を使うためには、まず聖霊獣との“対話”が不可欠です」
その様子を、カトリット先生たちは少し離れた場所から静かに見守っていた。
「その第一歩として、聖霊獣に呼びかけ、この場に姿を現してもらいます」
「えっと……それって、どうやるんですか?」
ユティナは困惑したように首を傾げる。
「正直、今ひとつ分からなくて……」
「そんなに難しく考えなくて大丈夫ですよ」
ブレア先生は穏やかに微笑んだ。
「聖霊獣は、すでに貴女の中にいます。ですから、心の中で呼びかけるだけでいいのです」
「心の中で……」
半信半疑のまま、ユティナは小さく呟く。
「折角ですから――」
ブレア先生は視線を横へ移す。
「シェルフィードさん、ランカスターさんも、こちらへ来てください」
「えっ、わ、私たちもですか!?」
突然名前を呼ばれ、二人は揃って驚きの声を上げた。
「ええ。貴方達も、すでに聖霊獣と契約していますから、呼び出すことは可能です」
ブレア先生は頷き、続ける。
「それに、貴女達にはユティナさんの護衛という役目もあります。早めに力に慣れておくことは、決して無駄にはなりません」
「……確かに、そうですね」
アルマは一度ユティナを見てから、覚悟を決めたように頷く。
「私も……賛成ですわ」
マリアベルもまた、小さく息を吸い、前に出た。
こうして、ユティナだけでなく、アルマとマリアベルも加わった形で――
ブレア先生による、聖霊獣との対話訓練が始まったのであった。
静密の森で、ブレア先生による指導が始まった。
「では――まずは、ハーリットさんから」
「は、はい……」
ユティナは小さく返事をすると、皆から少し距離を取った場所へ歩み出る。
深呼吸を一つし、静かに目を閉じた。
(お願い……来て。ルナ……)
その瞬間――
ユティナの前の地面に、一際大きな紋様が浮かび上がる。
それは、彼女の下腹部に刻まれた聖印と同じ、青と白が織りなす神聖な紋様だった。
紋様の上で風が渦を巻き、光の粒子が舞い上がる。
森の空気が震え、音すら飲み込まれたかのような静寂が訪れる。
やがて、光が一気に収束し――
「ヒヒィーン――!」
澄んだ鳴き声と共に、紋様の中央に姿を現したのは、
美しい青の鬣を持つユニコーンだった。
その姿を目にした瞬間、誰もが言葉を失った。
神秘性、威厳、そして霊獣王としての圧倒的な風格。
静密の森という舞台も相まって、その存在はまるで神話の一場面のようだった。
「ほ、本当でしたのね……」
思わず、マリアベルが一歩踏み出す。
――その瞬間。
「ヒヒィン!!」
鋭い嘶き。
ユニコーンはマリアベルを睨みつけるように首を上げ、明確な拒絶の意思を示した。
その圧に、マリアベルは思わず後ずさる。
「な、なんですの……!?」
「ユニコーンは非常に気高い霊獣です」
ブレア先生が静かに説明する。
「自分が認めていない存在を、決して近づけさせません」
「そ、そうなのですか……あっ……」
マリアベルの視線が、再びユニコーンへ向く。
ユニコーンは威嚇を解き、今度はゆっくりとユティナのもとへ歩み寄った。
そして――
まるで子供のように甘える仕草で、ユティナの頬に顔をすり寄せる。
「わわっ!?」
ユティナは驚きながらも、すぐに笑みを浮かべた。
「あはは……くすぐったいよ、ルナ」
彼女はその青い鬣を、優しく撫でる。
「……これで、はっきりしましたね」
カトリット先生が、低く呟いた。
その表情は、これまでになく真剣だった。
「はい……」
ブレア先生もまた、目を細める。
「聖印の段階でユニコーンだとは分かっていましたが……実物を見ると、やはり実感が湧きますね」
二人の視線の先には、ユティナと、彼女に寄り添う霊獣王ユニコーンの姿があった。
「あ、あの……もしかして、私たち……」
アニヤ先生が、恐る恐る口を開いた。
「歴史的な場面に、立ち会っているのでは……?」
「その通りでしょうね」
静かに頷いたのはブレア先生だった。
「このような事例は、後にも先にも、そうあるものではありません」
一拍置いてから、視線をアルマとマリアベルへ向ける。
「さて……次は、アルマさんとマリアベルさんです」
「は、はい……」
「……はいですわ……」
先ほど目にした光景があまりにも圧倒的で、二人はすぐには気持ちを切り替えられずにいた。
「大丈夫です」
ブレア先生は穏やかに声をかける。
「深呼吸して、心を落ち着かせて……集中してください」
その言葉に従い、二人は静かに目を閉じた。
(お願い……来て、トリス……)
(お願いですわ……どうか、私の前に現れてくださいな。ヒプノ……)
――次の瞬間。
アルマの足元の地面に、淡く輝く紋様が浮かび上がる。
同時に、マリアベルの前方――宙空にも、別の紋様が描かれた。
どちらも、それぞれの身体に刻まれた聖印と同一のもの。
紋様の周囲で、再び風と光の粒子が渦を巻く。
先ほどユティナの時に見た現象と同じ……だが、その“気配”は、確かに異なっていた。
やがて光が収束し――
アルマの前に現れたのは、純白の体毛を持つ豹――クァール。
しなやかな肢体。
頬から垂れる長い髭を揺らしながら、低く喉を鳴らし、静かにアルマへと歩み寄る。
「……っ」
アルマは思わず息を呑むが、クァールは警戒する様子もなく、その傍らに寄り添った。
一方、マリアベルの前には――
美しい青の羽を持つ霊鳥、フロストフェニックスが姿を現した。
澄んだ氷色の羽。
三本に分かれた尾羽をゆったりと揺らしながら、宙に留まるその姿は、気高く、幻想的だった。
(……どこかに、止まりたいのかしら?)
そう感じたマリアベルは、そっと右腕を差し出す。
すると――
フロストフェニックスは迷うことなく降下し、まるでヤドリギが枝に留まるかのように、マリアベルの腕へと静かに舞い降りた。
その光景に、周囲は再び息を呑む。
ユニコーン。
クァール。
フロストフェニックス。
それぞれ異なる性質を持つ霊獣が、三人の少女の前に揃った瞬間だった。
読んで頂きありがとうございます(*´∀`)♪
もし、面白い!続きを読みたい!と思ってくださって頂けるなら、ブックマークや☆評価など頂けると幸いですm(_ _)m




