第44話 アルマとマリアベル
「失礼しました……」
静かな廊下に、重たげな扉の音と共にアルマが姿を現した。
職員室の光がその背中を照らし、彼女はどこか疲れた表情を浮かべている。
ネルヴィ先生のお説教が長引き、放課後になっても戻ってこなかったユティナ。
心配が胸に広がり、アルマは自分の荷物もそのままに職員室まで探しに行ったのだ。
そっと扉の隙間から覗くと、そこにユティナの姿はなく。
代わりに、書類をまとめていたアニヤ先生が気づいて声をかけてくれた。
「ハーリットさんなら、先ほどネルヴィ先生のお話が終わってもう帰りましたよ」
とそう告げられたのだ。
⸻
「はぁ……どこ行っちゃったんだろ、ユティ……」
アルマは校舎中を歩き回りながら、独りごちる。
思いつく場所はすべて探した。教室、図書室、食堂、訓練場――どこにもユティナの姿はなかった。
気付けば、窓の外の夕日は沈みかけ、空は橙から群青へと変わりつつある。
「ここにもいない……ほんとに、どこ行ったの……」
胸の奥がざわつく。あのユティナが勝手に姿を消すなんて、滅多にない。
「……あと探してないのは、中庭くらい、かな」
小さく呟くと、アルマは不安を押し隠すように深呼吸し、足早に中庭へ向かった。
その途中、廊下でひときわ目立つ金髪を見つける。
「あ、マリアベルさん……」
向こうもすぐに気づいたようで、優雅に歩み寄ってきた。
「あら、アルマさんではありませんか? こんな時間まで学園にいるなんて、どうかされましたの?」
「うん、ちょっとユティを探してて……。マリアベルさん、ユティ見なかった?」
「いえ……あいにく、ユティナさんのことは見ておりませんわ」
「そっか。ありがとう。えっと……じゃ、私もう行くね?」
ぺこりと頭を下げ、立ち去ろうとしたその時――
「ちょ、ちょっとお待ちになって下さい!」
マリアベルの声にアルマの足が止まる。
「え? どうかした……?」
「わ、私も……探しますわ。一応…その、ユティナさんの護衛を任されている身ですから……」
その申し出に、アルマは思わず瞬きをした。
マリアベルは視線をそらし、ほんのり頬を染めている。
(マリアベルさん……)
胸が温かくなり、アルマは自然と笑みをこぼした。
「うん……ありがとう、マリアベルさん」
「べ、別に礼を言われるほどのことではありませんわ! さ、早く探しますわよ、アルマさん!」
ぱんっと手を叩き、歩き出すマリアベル。
その後ろを、アルマは嬉しそうに追いかけた。
ふたりの足音が、夕暮れの学園に軽やかに響いていく。
中庭へ向かう廊下。
夕陽が差し込む静かな廊下を、アルマとマリアベルは並んで歩いていた。
二人の間には、どこかくすぐったいような、気まずい空気。
足音だけが一定のリズムで響く。
話しかけようとしては、飲み込む。
そんなことを繰り返しているうちに――
「……あ、中庭だ」
気付けば二人は目的地に着いていた。
しかし静まり返った中庭に、ユティナの姿はない。
「えっと…ユティ、中庭にはいないみたいだね…」
「え、ええ……そうみたいですわね…」
また沈黙。
風が花壇の花を揺らし、その音だけが二人の間に流れる。
耐えられなくなったように、二人同時に口を開いた。
「あ、あのっ──」
「あ、あのですねっ──」
言葉がぶつかり、二人して固まる。
「……そ、そちらからどうぞ……」
「い、いえ……そちらからで……」
さらに沈黙。
見かねたアルマが意を決して口を開いた。
「じゃ、じゃあ……私から……」
マリアベルは小さく頷く。
「その……マリアベルさん。最近、なんか……雰囲気変わったよね」
視線をそらしたまま、アルマは慎重に続けた。
「ほら……特にユティに対しての態度とか……前よりずっと……柔らかいっていうか……」
「……そ、そうでしょうか……。い、いえ……そうですね……。そうかもしれませんわ……」
マリアベルは答えにくそうに呟いた。
「きっかけって……やっぱり、あの模擬戦……?」
アルマの問いに、マリアベルは少し肩を震わせる。
そして、観念したように小さく息を吐いた。
「……ええ」
「そっか」
それ以上踏み込まないアルマに、逆にマリアベルの方が驚く。
「き、聞かないのですか……? 何があったのか、とか……」
「うん、聞かないよ」
アルマは柔らかく笑った。
「気にならないって言ったら嘘だけど……でも、それって私から聞くことじゃないと思う。マリアベルさんが話したくなった時に、話してくれればいいよ」
その言葉に、マリアベルの瞳がわずかに揺れる。
「……何も特別なことはありません。ただ、私がユティナさんを……いえ、“自分自身”を受け入れられるようになっただけです」
「自分を……受け入れる?」
「ええ」
マリアベルは小さく息を吐き、俯いたまま瞳を細めた。
「アルマさんは……私の姉がどんな人か、ご存じですよね?」
「う、うん……。今のレディア聖院女学園の生徒会長で、最年少で総合評価Sを取った人……でしょ?」
総合評価でSを獲得するには、まず“高い魔力量”が不可欠だ。
魔力量が少なければ扱える魔法の種類も強度も限られる。
逆に魔力量が多ければ、様々な魔法を幅広く使いこなせる。そして、それは聖魔法にも直結する。
そのため魔力量は、そのまま評価に直結する重要な要素なのだ。
「はい。姉は昔から魔力量が高く、誰もが認める才を持っていました。私は、ずっとそんな姉に憧れていたんです。いつか姉のようになりたい……せめて隣に立てるくらいには強くなりたいと」
その声は淡々としていたが、その奥に積み重ねた苦しさが滲んでいた。
「けれど、それは私を追い詰めました。入学してから、私は必死で姉に追いつこうとしたけれど……現実は甘くなかった。上には上がいて、どれだけ努力しても、成果に繋がらない」
「……」
「実は、アルマさんのことも……嫉妬していましたの。どれだけ頑張っても追いつけないあなたに。努力すればするほど、苦しかった。なのに……そんな私を、姉は認めてくれなかった」
アルマは思わず言葉を飲む。
「そんな時、ユティナさんが編入してきて……最初は尊敬していましたわ。成績が伸びなくても諦めずに取り組む姿勢に。私もあの姿を見て、もう一度頑張ろうと思っていた。……でも、私は途中で諦めてしまった。なのにユティナさんは、いつまでも前を向いていた。それを見るたびに、惨めで、情けなくて……悔しかったんです」
「それで……ユティに突っかかってたんだね」
「……っ、はい」
マリアベルはまっすぐに頭を下げた。
「アルマさん。今まで、貴女にも不快な思いをさせてしまい本当に申し訳ありませんでした。そして……大切なご友人であるユティナさんを深く傷つけてしまったことも……心からお詫びします」
アルマはしばらく黙っていた。
責めるでもなく、慰めるでもなく。
ただ、真剣にマリアベルの言葉を受け止めていた。
マリアベルはそっと顔を上げ、もう一度アルマと向き合う。
「そして……こんな私を、ユティナさんは許してくださいましたの」
その声音には、まだ少しだけ震えがあった。
でもそれは恐れではなく、胸の奥に積もっていた“重み”をようやく下ろした後の震えだった。
「許すだけではありませんわ……。私が──今までずっと、ずっと欲しかった言葉まで……くださったのです」
アルマは静かに首を傾ける。
「欲しかった言葉……?」
マリアベルは小さく息を吸い、まるで大切な宝物を扱うように続ける。
「……『頑張ったね』……と。その言葉で……私、胸がいっぱいになってしまって……」
その瞬間、マリアベルはそっと目を伏せた。
いつも凛とした彼女の肩が、かすかに震える。
「私は……ずっと、誰かにそう言ってほしかったのですわ。完璧でなければ、認めてもらえないと思って……
自分が自分でいることが、怖かった。でも……ユティナさんのその言葉で……やっと、今までの自分を……受け入れられた気がしましたの」
アルマは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに――柔らかな笑みを浮かべた。
「……そっか」
短く、けれど温かい相槌。
アルマはそっと一歩、前へと踏み出すと、逃がさないように――まっすぐ、マリアベルの瞳を見つめた。
「ねえ、マリアベルさん」
少しだけ間を置いて。
「これから……“マリー”って呼んでもいい?」
「は、はい!?」
空気が一瞬で揺れる。
「い、いきなり何をおっしゃっているのですの!? そ、それにアルマさん、今の私の話……ちゃんと聞いて……!?」
動揺を隠しきれず、声を上ずらせるマリアベル。
そんな彼女に対して、アルマはあっさりと――
「うん、聞いてたよ」
まるで当たり前のことのように、そう言った。
「で、でしたら、どうしてそんな流れになりますの!?」
思わず一歩、詰め寄るマリアベル。
その必死な様子に、アルマはくすっと小さく笑う。
そして――少しだけ、優しく声を落とした。
「だってさ」
ほんの少しだけ視線を和らげて、
「ユティがそう呼んでるでしょ? だから、私もそう呼びたいなって思って」
それだけじゃない、と言うようにアルマは続ける。
「それに……もう、ユティの友達なんでしょ?」
「……っ」
一瞬、言葉に詰まるマリアベル。
「それは……そ、それは否定しませんけれど……!」
わずかに視線を逸らしながら、けれどはっきりと答える。
その反応に、アルマはふっと微笑んだ。
「ふふっ」
優しく、安心させるような笑み。
「じゃあさ」
もう一歩だけ、距離を縮めて。
「私とも、友達になろうよ――マリー」
その一言は、先ほどまでの重い空気を、そっとほどくように響いた。
「……っ」
マリアベルは目を見開いたまま、何も言えずにいる。
けれど――
その頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
「それにね……ユティが……“友達”が許したのなら」
アルマは静かに言葉を紡ぐ。
「それは――もう、終わりだよ」
その一言は、やさしく、けれど確かな区切りだった。
「……っ」
その瞬間――
マリアベルの肩から、張りつめていた力がふっと抜け落ちる。
まるで、長いあいだ背負い続けていたものが、ようやく解けたかのように。
「……いいんですの……?」
かすかに震える声、不安の色を宿したその瞳を、アルマは、まっすぐ受け止める。
そして、そっと包み込むように微笑んだ。
「うん。いいよ」
たったそれだけの言葉。
けれど、それは何よりも強い肯定だった。
マリアベルは、ぎゅっと目を閉じる。
次の瞬間――
一筋の涙が、静かに頬を伝い落ちた。
「……アルマさん……ありがとうございますわ」
深く、深く頭を下げるその姿に、夕陽がやわらかく差し込んでいた。
やがてアルマは、少しだけ照れたように笑う。
「それにさ」
軽く息をついて、続ける。
「私たち、これからは――ユティを一緒に守る仲間でしょ?」
その言葉に、マリアベルはゆっくりと顔を上げた。
涙の跡を残したまま、それでも確かな意志を宿した瞳で。
「ええ……」
小さく、けれどはっきりと頷く。
アルマは満足そうに笑い――
「これからもよろしくね、マリー」
そう言って、まっすぐに手を差し出した。
迷いのない、その仕草。
マリアベルは一瞬だけその手を見つめると、ためらうことなく手を重ねる。
触れ合った掌には、言葉にしきれない想いが、確かに宿っていた。
「ええ……こちらこそ、よろしくお願いしますわ」
わずかに口元を緩めて。
「共に――ユティナさんを守っていきましょう」
二人の視線が、静かに交わる。
そして、どちらからともなく頷いた。
その瞬間、言葉以上の決意と絆が、そこに結ばれていた。
それは友情であり、誓いであり、そしてこれから続く運命を共に歩む証だった。
――その時。
「アルマーッ!」
元気な声が中庭に響き、二人が同時に振り返る。
大きく手を振りながら小走りで近づくユティナ。
「あ、ユティだ」
アルマも笑顔で手を振り返す。
「どうしたの、こんな所で? しかも、珍しい組み合わせじゃん」
「うん、ちょっとねー」
「貴女を探していたのですわ。ところで……どこに行っていたのかしら?」
「えっと……散歩……?」
微妙に視線を逸らすユティナ。
「何故疑問形なんですの?」
「いやいや、本当に散歩だよ……?」
さらに目を逸らすユティナ。
マリアベルが一歩近づく。
「貴女……嘘をついていますわね……?」
「ぎ、ギクッ!」
「今、ぎくと言いましたわね!? 言いなさい、どこで何を──」
「まぁまぁ、落ち着いてよマリー」
アルマがマリアベルの腕に抱きついて止める。
「ユティが無事に見つかったんだからいいじゃない。
ユティ、マリーすごく心配してたんだよ」
「そうなの?」
「ち、違いますわ! あ、貴女っ、何勝手なことを――!」
マリアベルは真っ赤になって否定する。
「ごめんねー、心配かけちゃって」
ユティナは気まずそうに笑う。
「ち、違いますわ! 元々アルマさんが探していて、私はただその……手伝いで……」
もじもじしながら視線をそらすマリアベル。
「まぁまぁ、落ち着いてって。無事に私が見つかったんだからいいじゃん」
ユティナはマリアベルの両肩をぽんぽんと優しく叩く。
「な、何故ユティナさんまでそっち側なのですの!?」
「あれ? てかアルマが“マリー”って呼んでる」
「話を逸らさないでくださいまし!」
「逸らしてないってばー。ほら、アルマが今までそんな風に呼ばなかったから、なんでかなーって」
「ぐ……っ」
マリアベルの頬がかぁっと赤くなる。
「はははっ。えっとねー……実は……」
「実は……?」
「内緒♪」
悪戯っぽいウィンクをするアルマ。
「えぇぇぇっ!? なにそれっ!? 気になるじゃん! 教えてよぉぉ!」
「んー、ダメ」
「ケチィィィ! じゃあマリー、教えてよ!」
矛先が向けられたマリアベルは、顔を真っ赤にしながらプイッと横を向く。
「……いやですわよ……!」
「えぇぇぇぇ!? 私だけ仲間はずれなんですけどぉぉぉ!?」
「もう……そんなことより、早く帰ろ?」
アルマが歩き出す。
「そ、そうですわね。門限に遅れたら困りますし」
続くマリアベル。
その二人の背中を見て、ユティナは口を尖らせる。
「えっ、ちょっ……なんで二人だけ先に行ってんのーっ!? 教えてよー!」
駆け寄って、勢いよく二人の背中に抱きつく。
「やーだ」
「しつこいですわよっ!」
夕暮れの中庭に三人の明るい笑い声が響く。
こうして、少し不思議で、少し賑やかな三人の放課後は、穏やかに幕を閉じようとしていた。
――その瞬間。
ガシィッ!!
背後から、ユティナの頭ががっしりと掴まれた。
「ひゃっ!?」
耳元で、やけに楽しげな低い声が囁く。
「見〜つけた〜♪」
恐る恐る振り返るユティナ。
「あ……ブ、ブレア先生……?」
にこやかな笑顔。
だが、その笑顔はどこか逃がす気のない捕食者のそれだった。
「貴女〜? 放課後、私のところに来るようにって言っていたの、忘れたのかしら?」
(そ、そうだった……! 今日放課後、聖魔法の特訓だった……!)
「あ、あのですね! こ、これはですね……その……!」
必死に言い訳を探すユティナだったが、
「いいから、行くわよ〜♪ 遅れている分、今日は――みっちり指導してあげるわ〜」
「ひっ!? ちょ、ちょっと待ってください! 本当に待って!」
抵抗虚しく、頭を鷲掴みにされたまま、ずるずると引きずられていく。
「ア、アルマ! マリー! た、助けてぇぇぇ――!」
その悲痛な叫びも虚しく、ユティナの姿は校舎の向こうへと消えていった。
――そして、その場に残された二人。
「……アルマさん」
「……何かな?」
マリアベルは、何事もなかったかのように微笑みながら言う。
「丁度、いい紅茶が入りましたの。よろしければ、ご一緒にいかが?」
「あ、いいね」
二人は顔を見合わせ、小さく笑い合うと、そのまま静かにその場を後にした。
――遠くから、ユティナの悲鳴が微かに響いていたが、
それを気に留める者はいなかった。
放課後は、今日も平和である。
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