第43話 秘密の放課後
レイモンドは旧教会の一角にある古い扉を開け、ユティナを中へと案内した。
案内された扉をくぐった瞬間、ユティナは思わず息を呑んだ。
「わぁ……!」
そこは、古びた教会の中とは思えないほど清らかで、柔らかな空気に包まれた小部屋だった。
壁は丁寧に磨かれ、窓辺には乾いたハーブの小束が飾られている。
部屋の中央には温かみのある木のテーブルと、対になるように並べられた二脚の椅子。
まるで長く使い込まれた楽器のように、年月を重ねた艶を放っていた。
そのテーブルの上には、既に紅茶の香りがふんわりと漂っている。
陶器のティーポットからは湯気が立ち上り、白い皿の上には色とりどりの焼き菓子やケーキが美しく並んでいた。
「この場所って……」
ユティナは思わず息を呑む。
使われていないはずの教会の奥に、こんな場所があることに驚きを隠せなかった。
「せっかく会うんだ。裏庭も悪くはないが……こういう場所のほうが、いいと思ってね」
そう言いながら、レイモンドは一歩前に出る。
そして椅子の後ろへと回り、静かに手をかけると――
そっと、優しく引いた。
「どうぞ、こちらに」
レイモンドがそっと椅子を引く。
ユティナは一瞬戸惑いながらも、「あ、ありがとう……」と微笑んで腰を下ろした。
その瞬間、ふわりと紅茶の香りが鼻先をくすぐる。
窓から射し込む夕陽が、テーブルの上を柔らかく照らしていた。
「紅茶のいい香り〜。お菓子もこんなに……」
ユティナは色んなお菓子に目移りする。
「好きなものから食べてくれればいい」
そう言ってレイモンドは微笑み、ユティナのカップに紅茶を静かに注ぐ。
ポットから落ちる琥珀色の液体が、きらりと光を反射する。
湯気とともに立ちのぼる香りが、部屋の空気をゆるやかに満たしていく。
レイモンドは自分のカップにも紅茶を注ぎ終えると、それをそっとテーブルに置き、ユティナの正面に腰を下ろした。
「本当にいいの? こんなにたくさん……」
「ああ。全部、君に喜んでもらうために準備したんだ」
「えっと……ありがとう」
少し頬を染めながら、ユティナは手をそっと膝の上で組む。
その姿に、レイモンドはほんのり口元を緩めた。
「これ、準備するの大変だったでしょ?」
「そんなことはないさ。ジークも手伝ってくれたんだ」
「そうなの、ジーク?」
ユティナが呼びかけると、ジークは嬉しそうに羽をぱたつかせ、「くぅ〜ん」と鳴いた。
彼女の周りを軽やかに飛び回り、やがて肩に止まって頬をスリスリと擦り寄せる。
「あははっ、ジークもありがと♪」
レイモンドはその光景を、どこか穏やかな表情で見つめていた。
「あ、そういえばレイ。聞きたいことがあるんだけど……」
「聞きたいこと?」
「うん。ちょっと前の実習でね、聖霊獣って女性の前にしか現れないって習ったの。契約も女性だけって話だったんだけど……」
ユティナは首を傾げ、ジークとレイモンドを交互に見る。
「それなら、どうしてジークはレイと一緒にいるの? もしかして……契約してたりするの?」
「そ、それは……」
レイモンドは言葉に詰まり、視線を彷徨わせた。その表情は、どう見ても答えづらそうだ。
「あ、答えにくいなら無理に言わなくても――」
そう言いかけた、その時だった。
「それは、私が“普通の聖霊獣”ではないからだ」
「ジ、ジーク!?」
レイモンドは目を見開く。
「え? 今の……ジークなの?」
「い、いや……それは……」
動揺するレイモンドをよそに、ジークはひょいっとテーブルの上に跳び、ユティナの正面にちょこんと座った。
「私だよ、ユティ」
澄んだ声が、はっきりと響く。
「……初めまして、かな」
「ジーク、しゃべれるんだ!?」
驚きと戸惑いが入り混じった声で、ユティナは思わず叫んでいた。
「……いいのか、ジーク」
レイモンドが小声で問いかける。
「ああ、問題ないよ。ユティなら信頼できる。
――なにより、私はユティが好きだからね」
「す、好きって……そんなぁ……」
ユティナは思わず頬を緩め、にやにやと笑ってしまう。
「……ジークがそう言うなら」
レイモンドは小さく肩をすくめた。
「あ、それで――」
ユティナは気を取り直すように身を乗り出す。
「ジークが“普通の聖霊獣じゃない”って、どういうこと?」
その問いに、ジークは穏やかな声で答えた。
「私は――人工的に造られた聖霊獣なんだよ」
「じ、人工的に!?」
ユティナは思わず声を上げる。
「ああ。もっとも……造られたのは、遥か大昔だけどね」
「そ、それが……どうしてレイのところに?」
その疑問に、今度はレイモンドが少し気まずそうに視線を逸らした。
「いや……実は、ジークが封印されていた指輪を偶然見つけたんだ。それで、何となく魔力を流してみたら……」
「封印が解け、私は外に出ることができた」
ジークが静かに言葉を継ぐ。
「そして、指輪に力を与えてくれたレイと契約することになった、というわけさ」
「へぇ……なるほど……」
ユティナは感心したように頷き、ふと思いついたように尋ねる。
「じゃあ……ジークみたいな人工の聖霊獣って、他にもいるの?」
「さあ、どうだろうね」
ジークは少し考える素振りを見せる。
「少なくとも、私が目覚めてからは――会ったことはないよ」
「そっか……」
短い沈黙のあと、レイモンドが慎重な声で切り出した。
「ユティ……悪いが、この話は……」
「うん、大丈夫」
ユティナは迷いなく頷いた。
「誰にも言わないよ」
「……助かる」
その一言とともに、レイモンドの表情から、張り詰めていたものがふっと抜けた。
「ところでユティ……君は……」
「なに? どうしたの?」
ジークの視線は、先ほどまでの軽さを失い、真剣そのものだった。
「聖霊獣と、契約したね?」
(……へ?)
一瞬、思考が完全に停止する。
次の瞬間――
ガタッ! と勢いよく立ち上がった。
「えっ!? うそ!? なんで!? ……あ」
自分の反応で、すべてを察したとでも言うように、ジークは小さく息をつく。
その様子にレイモンドが目を瞬かせる。
「ユティ、聖霊獣と契約できたのか?」
「あ……い、いや……その……」
完全にパニックだ。
「レイ……どうやらユティが契約した聖霊獣は、とんでもない存在みたいだ」
「そ、そうなのか?」
その一言で、ユティナは悟った。
(あ、これ……詰んだ)
「えっ、あ、ちょっ……ジーク……!」
しかし、時すでに遅し。
「ユティが契約した聖霊獣は――ユニコーンだ」
(バレたァァァァァァ!! たった数日でバレたァァァァァァ!!)
「ほ、本当なのか……? ユニコーンといえば、御伽話に出てくる存在だぞ?」
「間違いない。同じ聖霊獣である私が言うのだから」
その断言に、レイモンドは目を大きく見開いた。
「……これは驚いたな。すごいじゃないか、ユティ!!」
レイモンドの瞳は、純粋な称賛で輝いている。
一方のユティナはというと――
変な汗が止まらず、目が忙しく泳ぎ続けていた。
「あ……え……う、うん……」
次の瞬間。
ずさぁぁぁっ!
勢いよく床に這いつくばり、完璧な土下座。
「お願いぃぃぃぃぃ!! だ、誰にも言わないでくださいぃぃぃ!!」
部屋いっぱいに、魂のこもった懇願が響き渡る。
「ユ、ユティ……!? 一体どうしたんだ!?」
困惑するレイモンドをよそに、ユティナは顔を伏せたまま震える声で言った。
「う……実は……」
そして――
野外実習で起きたこと、教師たちから言い渡された方針、
“絶対に秘密にしなければならない理由”を、すべて打ち明けるのだった。
⸻
「……なるほど。確かに、それは軽く扱える話じゃないな」
レイモンドは腕を組み、神妙な面持ちでユティナの説明を聞き終えた。
「人間社会というのは……どうにも複雑で、窮屈だ」
ジークが低く呟く。
ユティナは二人の顔を見比べ、言葉を探すように唇を噛んだ。
「だから……その、レイ、ジーク……このことは……」
言葉を探すように、ユティナは視線を落とす。
レイモンドは一瞬も迷わず、静かに首を振った。
「心配はいらない。誰にも話さない」
それに応じるように、ジークも低く、確かな声で続ける。
「私も同じだ。ユティを困らせるような真似は、決してしない」
「……本当に?」
かすれるような問いに、
「ああ」
「もちろんだ」
二人の返答は短く、しかし揺るぎなかった。
その確かな言葉に、ユティナの胸に張りつめていた緊張が、ようやく静かにほどけていく。
「それにしても……厄介な状況だな」
レイモンドは小さく息を吐く。
「このままだと、ユティが目標にしている“隠居生活”は、ますます遠のいてしまうかもしれない」
「……だよね」
ユティナは視線を落とす。
「気付いたら、どんどん話が大きくなってて……」
「いっそ、聖女の道を諦めるという選択肢はどうだ?」
ジークが提案する。
「それやったら、私ここに居られなくなるよ」
ユティナは苦笑した。
「無一文で放り出される未来しか見えない……」
「ジーク、そう単純な話じゃない」
レイモンドは首を振る。
「ユティ。答えを急ぐ必要はない。状況を見ながら、少しずつ考えていけばいい」
「……うん」
小さく頷き、ユティナは深く息を吐いた。
「そんなに気を落とさないでくれ」
レイモンドは柔らかな声で続ける。
「君が望む隠居生活を送れるように、私たちも一緒に考える」
「ああ。私も力を貸そう」
ジークも静かに言葉を重ねた。
「……ありがとう、レイ。ジーク」
その言葉に、部屋の空気がわずかに和らぐ。
「さて」
レイモンドはティーカップに手を伸ばす。
「話はここまでにして、お茶の続きをしよう。少しは落ち着くだろう」
「……うん」
ユティナが浮かべた微笑みは、まだ不安を抱えながらも、確かに温もりを帯びていた。
――この静かな時間が、できるだけ長く続けばいい。
そんな思いが、ふとレイモンドの胸をよぎる。
それからしばらくの間、三人――いや、二人と一匹は、言葉少なに、穏やかなティータイムを過ごした。
紅茶を飲みながら、他愛のない話を交わし、時には笑い、時には沈黙のまま夕陽を眺める。
けれど、その沈黙さえも不思議と心地よかった。
やがて、空が橙から群青に変わる頃。
「今日はありがとう、レイ」
ユティナが満面の笑顔で礼を言う。
「楽しんでもらえたなら、嬉しいよ」
「うん! すごく楽しかった。紅茶もお菓子も本当に美味しかった」
「そうか。なら、また誘おうと思うが……来てくれるか?」
「うん、もちろん!」
その即答に、レイモンドの胸が少しだけ跳ねる。
「じゃあ、次は別のものも用意しよう」
「なんか、レイばっかりに準備してもらって悪い気がするよ」
「気にしないでくれ。私が好きでやっているんだから」
そう言って少し間を置いたあと、レイモンドは視線を落とす。
「……ただ、この放課後のティータイムは、他の人たちには内緒にしておいてほしい」
「え? 内緒に?」
「少し……特別な時間にしたいんだ」
その言葉に、ユティナは一瞬目を丸くし、それから小さく笑った。
「うん、いいよ。じゃあ――私たちだけの“秘密の放課後ティータイム”だね♪ それに、その方が今後の隠居生活の相談も出来るしね!」
小悪魔のようにウインクするユティナの仕草に、レイモンドの鼓動が早くなる。
「秘密の放課後……ああ、そうだな」
彼は目を逸らしながらも、口元には自然と微笑が浮かんでいた。
「次はまた来週、この場所でどうかな?」
「うん、大丈夫だよ!」
ユティナが手を差し出すと、レイモンドは一瞬ためらいながらも、その手をしっかりと握り返す。
「これからもよろしくね、レイ」
「ああ……こちらこそ」
夕暮れの教会に、柔らかな風が吹き抜ける。
それは、二人の始まりを祝福するかのように、静かに鐘の音を運んでいた。
――こうして、二人の“秘密の放課後ティータイム”が始まった。
やがてユティナは教会を後にし、夕暮れの道を小走りに遠ざかっていく。
その背中を、レイモンドは教会の外から静かに見送っていた。
「……このタイミングで、か。レイモンド、少し厄介なことになったのではないか?」
隣に立つジークが、低く抑えた声で問いかける。
「ああ……分かっている。すぐに動く必要があるな……」
答えるレイモンドの表情には、かすかな陰りが落ちていた。
一瞬の沈黙。
「だが――彼女の事は……」
そこで言葉を切り、レイモンドは拳を強く握りしめる。
細められた瞳の奥に、揺るぎない意志が宿る。
「私が、何としてでも守る」
夕陽に染まる空の下、その言葉は誓いのように静かに落ちた。
誰にも聞かれることのない、小さくも確かな決意として。
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