幸福を感じる時、苦痛を感じる時
私は以前、28日後というゾンビ映画を見た時、物凄い爽快感を感じました。
何に爽快感を感じたかというと、町の中の道路には車が走っておらず、人間も一切居ない世界で主人公が彷徨い、缶詰の食糧を探したりするシーンだったと思います。
何故それで爽快感を感じたかというと、多分私は無意識に他人に対してストレスを感じ続けていたからだと思います。
本来は自由なはずの世界で、人々は私を勝手に評価し、中傷し、行動を制限し、様々なネガティブな感情を呼び起こします。
28日後のゾンビウィルスが人類を全滅させた世界はそれが無い世界なのです。
多分、友人や人間関係に恵まれて幸せに生きてきた人は別な感情を持つ事でしょう。
勿論、インターネット、ゲーム、食料やエアコンと言った文明の利器には感謝しています。
しかし、他人からはストレスを受ける事がほとんどだし、悩み事を持ち込むのは常に他人です。
友人関係などに恵まれた人は羨ましいですが、私の周囲には私と同じ様な情緒を持つ人間などほとんど見たことが有りません。
同じDNAを(多分)持っていたであろう親や兄弟ですらそうだったんです。
正直言って浅はかな人間とか、ある程度付き合ってたら「うわっ、何だコイツ」と思うような異生物ばかりです。
意味もなく攻撃を試みる上下しかない修羅の底辺世界で生きる人間か、私を利用するだけ利用しようとする人間か、他人かしか居ないですね。
まぁ、IT業界というある程度知的な世界にはいますが、それでも私が居るのは底辺ですしね。
また入って来た新人の一人はなんというかボーダーですわ。
まぁ話を戻して、私が最も精神的に苦痛を感じる時はどんなときか?
そりゃぁ、他人に虐げられてる時ですわ。
あとは過酷な勤務が続いて余裕が無くなって、なおかつ周囲の他人がろくでもない時です。
どんなにあり得ない程過酷であっても、周囲の人間が良い人であれば、まだハイになってるだけで救いがあります。
しかし地獄を作り出すのは他人です。
ほんと、そういう類の人間は滅んでほしいものですね。
たいていそういう奴は頭が悪いというか、確実に頭が悪いんですがね。
隙あらば制裁してあげたいです。
じゃぁどういう時に幸福感を今まで感じたのだろうと思い返します。
〇ニコ動で音楽やMMD使ったMVを見ている時。
最近ずっとYoutube見てましたが、ニコ動はやっぱ音質がいいですわ。
やっぱクオリティが違うから、新鮮な気持ちも蘇って来ます。
MMDのPVもYoutubeよりセンスがいいです。
Youtubeの外人さんは、露骨にエロくてお人形のようにモデル体型のTDA式なミクさんばっか使いますが、個人的にはあまり好きでは有りません。
しかも露骨にエロ衣装着せてセクシーダンス踊ってますが、浅はか過ぎて深みを感じません。
自分は味のある銀獅式モデルとかStone式モデルとかが好きです。
〇自分の小説にいいねや感想が付いた時
私の中では物凄い数少ない、他人からプラスの感情を得る瞬間です。
何かを認められた感があって、受験で何かに合格したかのような喜びを感じます。
最近更新出来て無いのは申し訳ないですが。
〇面白い映画を見たり、ゲームをしたりなど
ただこれは狙って得られるものではないですね。
物凄く面白くて没頭できる映画は最近では滅多に無いです。
ゲームだってそうですし、そもそもプレイできる時間も限られています。
〇都会のビルの迷路のような場所を彷徨っている瞬間
辻褄が有って無いと言うか、言ってることが矛盾してるかもしれませんが、私はそういう都会的で賑やかなものも好きです。
だからSFが好きにも繋がっています。
〇(ごく稀に)スーパーで安いステーキ肉を買ってきて焼いて食べた時
物凄く稀にですが、食後しばらく幸せな気分になる事は有ります。
でももう一度その感情を味わいたくて、また別の日に買って食べてもそれほどじゃなかったりします。
何なんですかね。
私が認識出来てないけど肉質が違うんですかね。
〇朝にロッテリアの朝メニュー食いながらビルの谷間でうろついてるカラスを眺めてる時
カラスに憧れてるんですかね?
あ、ここで重要なのは仕事のある日じゃなく休日であることです。
〇想像の世界を構築しているとき
現実が糞つまらないから、恐ろしいホラーやSF、その他さまざまな世界の構築をしていると自分を誤魔化せますね。
これに関しては昔から、子供のころからそうでした。
興味の対象がゲームやネットゲームやFPSやMMDやらと移り変わりはしましたが、求める物や目指す物はブレてないですね。
これが生きていけるだけのお金に何らかの形で繋がればもっと幸せになるのかも知れないですが、私の前には常に逆風しか吹いてないので自分を慰めるだけに終わりそうですね。
まぁ私はどっちかというと不幸なんでしょうが、この年になってくると「ま、いっか」「何百万人もの人間が享受してるのと同じ幸福なんて、別に同列になって貰わなくてもいいや」「むしろ、自分は救われたのかも知れない」と思うようになります。
死の寸前には何を思うか分かりませんが。




