第24話 婿入り騒動
◆リネ
「籍帳に載せる?」
「ああ。郷戟の十日前までにだ」
聖堂からの通達を読み上げた父さんがふうと息をついた。
通達は上等な白い紙に書かれていた。ベッカの村長が訴えたのだと、使いの者が言っていた。
郷戟まであと二十日足らず。十日前までといえば、もうすぐだ。
夕餉の後の囲炉裏端。父さんと兄さんとアサヒさんと私。いつもの四人だ。
「籍帳ってのは、村の者の名を書きつけた帳面だ。生まれた子も、嫁に来た者も、みんなここに名が載る」
「それに俺の名を載せればいいんですね」
「そう簡単な話じゃない」
父さんは帳面の表紙をとんとんと叩いた。
「籍帳に名を載せるには、どこかの家に迎え入れられなきゃならん。家の者になるってことだ。飯を食わせて、名を貸して、何かあれば家ごと責めを負う」
「なら、うちでいいじゃないか」
兄さんがあっさりと言った。
「どうせもう、うちで飯食ってるんだ」
「そうだな。わしもそのつもりだった。アサヒさん、あんたさえよければ」
父さんがアサヒさんに向き直った。
「わしの養子にならんか」
アサヒさんが目を丸くした。口を開きかけた、その時だった。
「だめ!」
声が出ていた。自分でも驚くほど大きな声だった。
三人が一斉に私を見た。
「……リネ?」
「あ、いえ、その……」
養子。
アサヒさんが父さんの養子になったら。それはつまり。
(私の……兄さん?)
だめだ。それは絶対にだめだ。なぜだめなのかは自分でもよく分からない。分からないけれど、だめなものはだめだ。
「リネ。なんでだめなんだ」
「な、なんでって……」
兄さんがにやにやしている。この人はたまに意地悪だ。
「その、アサヒさんは立派な大人なんだから、養子っていうのは変だと思うの」
「大人でも養子にはなれるぞ」
「なれても変なの!」
アサヒさんは困ったように頭をかいている。父さんは何かに気づいたような顔をした。髭の奥で口元が緩んでいる。
「……まあ、養子でなくてもいい。籍帳には、迎え人という書き方もある」
「迎え人?」
「わしの爺さまの代にできた決まりでな。アサヒさん、百年戟は知っとるか」
「人と魔族が、百年に一度取るっていう」
「そうだ。九十五年前の百年戟で人間が負けて、大陸の端の土地が魔族のものになった。そこに住んでいた者は、みんな故郷を追われてこっちへ流れてきたんだ」
父さんの声が低くなった。私も小さい頃に聞かされた話だ。
「ダグさんの家も、三代前はそうだったって聞いたぞ」
「ああ。流れてきた者を放ってはおけん。だが籍帳に載るのは、村で生まれた子と、嫁に来た者と、養子だけだ。大人を丸ごと養子にしていたら、家の跡目も畑の分け方もめちゃくちゃになる」
「それで、迎え人ですか」
「家がその者の身元を引き受ける。家の財は継がんし、嫁取りとも関わりがない。そのかわり、村の水も畑の取り分も村の者と同じにもらえる。郷戟にも出られる。何かあれば、責めを負うのは迎えた家だ」
「……よくできた決まりですね」
「そうでもせんと、あの頃はどの村も、流れ者と殴り合うか、一緒に干上がるかだったそうだ」
迎え人。家の財は継がない。嫁取りとも関わりがない。
……関わりがない。なぜか少しだけほっとして、それから少しだけがっかりした。自分でも意味が分からなかった。
父さんはそこでアサヒさんの顔を見た。
「それでいいか、アサヒさん」
「はい。ありがとうございます、村長」
「じゃあ今日から、お前はうちの者だな」
兄さんが言った。
「よろしく頼む」
「……稽古の時は、俺がお前を兄弟子って呼んでやる」
兄さんはそっぽを向いた。耳が少しだけ赤かった。
話はそれで決まったはずだった。
*
次の日の朝。
井戸端で水を汲んでいると村のおかみさんたちが一斉に私を取り囲んだ。
「リネちゃん! 聞いたよ!」
「おめでとう!」
「は、はい?」
「婿取りだってねえ! あの大きな人を!」
「ちがいます!」
桶を取り落としそうになった。
「迎え人です! ただの迎え人!」
「迎え入れるんでしょう? 村長さんの家に」
「そ、そうですけど」
「じゃあ婿じゃないの」
「ちがうって言ってるでしょう!」
おかみさんたちはきゃあきゃあ言いながら散っていった。絶対に分かっていない。
その日は一日じゅう村のどこを歩いても同じだった。
「よっ、リネ。婿どのの具合はどうだ」
「リネ姉ちゃん、おっちゃんと結婚するの?」
「いい人を拾ったねえ、川で」
「祝言はいつだい」
「婚礼の鍋はあたしに任せな。……いや、婿どのが作るのかい」
「リネ姉ちゃん、子どもは何人ほしい?」
「トマ!」
「リネちゃん、婿どのに精のつくもの食べさせなきゃだめよ」
ダグさんにまでからかわれた。トマに至っては村じゅうに言いふらして回っている。
「リネ姉ちゃんの婿どのは、川の神さまなんだぞ!」と。神さまと夫婦になる村長の娘。話はどんどん大きくなっていく。昼過ぎには婚礼の日取りまで決まったことになっていた。夕方には、婚礼の鍋をマルタおばさんと婿どののどちらが作るかで、おかみさんたちが言い争っていた。
*
夕方。
広場の隅で四股を踏んでいるアサヒさんを見つけた。私は駆け寄った。
「アサヒさん! 村の人たちが、変なこと言ってますけど!」
「ああ。婿どの、って呼ばれた」
「ちゃんと否定してくださいね!?」
「否定したさ。迎え人だって」
「そ、そうですよね」
「そしたら、照れるな照れるなって背中を叩かれた」
「……」
アサヒさんは困ったように笑った。それから急に真面目な顔になって私を見た。
「すまないな、リネ。俺のせいで嫌な思いをさせて」
「い、嫌ってわけじゃ……」
言いかけて口をつぐんだ。
嫌じゃない。
嫌じゃないって何なんだろう。
母さんならなんて言うだろう。たぶん笑って、リネもそういう年になったのね、って言う。そんなの困る。
「リネ?」
「な、なんでもありません! お夕飯の支度があるので!」
くるりと背を向けて家へ走った。
顔が熱い。夕焼けのせいにしておこう。
*
その夜。父さんが籍帳に新しい名を書き加えた。
父さんは籍帳を囲炉裏の明かりの下に広げた。古い革の表紙。中には村の者の名が、何代にもわたって書き連ねてある。
村長の家の欄には母さんの名もあった。その横に細い線が一本引かれている。死んだ者の印だ。
父さんは墨をすって筆を取った。
「アサヒさん、正式な名はなんだったかな」
「朝日富士です」
「あさ……ひ……ふ……」
父さんの筆が止まった。三度書き損じて、父さんは筆を置いた。
「……アサヒでいいか」
「アサヒでいいです」
二人が同時に笑った。私も笑った。兄さんまで笑っていた。
迎え人、アサヒ。
村長の家の欄の、私の名のすぐ下に。




