第16話 若衆三人
◆ダグ
昼過ぎの広場に村じゅうの人間が集まっていた。
畑仕事を放り出してきた者もいる。婆さん連中は筵を敷いて座り込んでいる。子どもたちは樫の木によじ登っていた。
地面には俺が引いた円がある。裸戟の円と同じ大きさだ。
「では、確かめの取組を始める」
カイが声を張った。
「相手は村の若衆三人。一人ずつ取って、最後は三人まとめてかかる。アサヒを一度でも円の外に出すか、足の裏のほかを地面につかせたら、若衆の勝ちだ」
「三人まとめて!?」
「そりゃいくらなんでも」
「いや、あいつならやりかねねえ」
「三人まとめてってのは、さすがに舐めすぎじゃねえか」
若衆の一人が口をとがらせた。アサヒは首を横に振った。
「舐めてない。三人分の力を、一度に受けてみたいんだ」
ざわめく村人たちの前に若衆が三人進み出た。
鍛冶屋の息子のハンス。猟師フランツの倅のペーター。粉挽きのウド。どいつもこいつも村の力自慢だ。ヨハンも出たがったが市で痛めた肩がまだ治りきっていない。
ハンスは鍛冶屋の一人息子で気が強い。去年の代表を決める時、最後までカイと張り合ったのがこいつだ。
ペーターは猟師の倅で、山を駆け回って育った。村でいちばんすばしっこい。この間、崖で落ちかけたところをアサヒに助けられたばかりだ。
ウドは粉挽きの家の三男坊で、体だけは村一番でかい。水車が止まってからは粉を挽く仕事もなく、毎日ぼんやり川を眺めている。
審司の役は俺が務めることになった。棒切れを一本握って円の脇に立つ。
棒切れ一本で審司の真似をするのは、ガキの裸戟ごっこ以来だった。
「一番手、ハンス」
「おう!」
ハンスは鍛冶屋の跡取りだ。毎日鎚を振っているから腕が丸太みたいに太い。肩をぐるぐる回しながら円に入った。
「悪く思うなよ、アサヒさん。手は抜かねえからな」
「ああ。思いきり来てくれ」
アサヒが腰を落とした。拳を地面につく。
低い。とんでもなく低い。顎が地面にすれそうだ。
「なんだその構え。地べたに這いつくばって」
「ハンス、余計な口をきくな。……構えて」
ハンスも腰を落とした。といってもアサヒよりはずっと高い。
「ハッケヨイ!」
ハンスが飛び込んだ。鎚で鍛えた肩ごと、まっすぐアサヒの胸へ。
どん。
鈍い音がした。
アサヒは動かなかった。低い構えから体を起こしただけで、自分からは一歩も出ていない。ハンスの体当たりを、胸でまともに受け止めていた。
「……え?」
ハンスの声が裏返った。押している。顔を真っ赤にして押している。なのにアサヒの体は岩のように動かない。
アサヒの両手がハンスの背中越しに伸びた。帯をつかむ。
それから前に出た。
一歩。二歩。急がない。ハンスの足が地面を掻く。踏ん張ろうとするたびに帯ごと体を引きつけられて踵が浮く。浮いた足では踏ん張れない。
三歩目でハンスの踵が円の線を越えた。
「しょ……勝負あり! 勝者、アサヒ!」
慌てて棒切れをアサヒのほうへ上げた。一拍遅れて広場がどっと沸いた。
「な、なんだ今の!」
「ハンスが押してたんだぞ!? 押してたほうが下がった!」
「帯をつかまれたら、それっきりだ!」
樫の木の上から子どもたちの歓声が降ってくる。鍛冶屋の親方が頭を抱えていた。
審司の俺にも、何が起きたのかはよく分からなかった。ただ一つ分かったのは、アサヒが自分からは一度も当たらなかったことだ。ハンスの当たりを受けて、帯を取って、歩いた。それだけだ。
「……なんで、当たってこねえんだ」
円の外に座り込んだハンスが、悔しそうに言った。
「俺が本気で当たったら、お前の首を痛める。俺の国の当たりは、何年も首を鍛えた者同士でやるものなんだ」
ハンスは唇を噛んだ。それきり何も言わなかった。
「二番手、ペーター!」
「アサヒさん。崖じゃ世話になったけど、裸戟は別だ」
「ああ。それでいい」
ペーターは猟師の倅ですばしっこい。ハンスのやられ方を見ていたのか構えた瞬間に横へ跳んだ。正面からぶつかるのを避けて脇へ回り込むつもりらしい。
だが。
「ハッケヨイ!」
アサヒの体がペーターの動きに吸いついた。
回り込んだはずのペーターの正面にいつの間にかアサヒがいる。すり足だ。あの山道で見た歩き方だ。
逃げ場をなくしたペーターが、やけになって両手で突いてきた。アサヒはそれも胸で受けた。受けながら、右手でペーターの帯の横をつかむ。
ペーターの体が止まった。逃げようにも、帯がアサヒの手の中にある。
アサヒはそのまま前へ歩いた。ペーターの足が地面の上を滑っていく。そのまま円の外へ運ばれた。運ばれたとしか言いようがなかった。
「ペーター! 山で鍛えた足はどうした!」
人垣の中でフランツが叫んだ。横に逃げる相手には、すり足で正面に回り込む。山道で見たあの歩き方は、このためのものだったのだ。
「勝負あり! 勝者、アサヒ!」
「最後、ウド!」
「……お、おれも行くのか?」
「行け、ウド!」
「いやだ! あれは人じゃねえ!」
粉挽きのウドは村でいちばんの大男だ。だがいちばんの臆病者でもある。村人たちに背中を押されて半泣きで円に入った。
「ウド! 男を見せな!」
人垣の中でウドのおっかさんが叫んでいる。
アサヒは困ったように笑った。
「ウド。怖いか」
「こ、怖えよ!」
「なら、目をつぶって思いきり当たってこい。俺が受けてやる。当たってくる力を全部受けてやるから、全力で来い」
ウドは鼻水をすすった。それから腹をくくった顔になった。
「ハッケヨイ!」
ウドが目をつぶって突っ込んだ。村一番の大男の全力の体当たりだ。
アサヒはそれを胸で受けた。
どしん。
一歩も下がらない。ウドの体を胸で止めたまま、両手でウドの帯をつかむ。それからゆっくりと前に出た。ゆっくり。ゆっくり。ウドの足が地面を掻きながら後ろへずれていく。円の線を越える。
「勝負あり! 勝者、アサヒ!」
「……お、おれ、全力出したよな?」
「ああ。いい当たりだった」
肩を叩かれたウドがへなへなと座り込んだ。なぜか嬉しそうだった。
「ウドが泣いてるぞ」
「嬉し泣きだ、ありゃ」
受けて、帯を取って、寄る。三番とも同じだった。アサヒは一度も自分から当たっていない。わざと受けたのだ。ウドに全力を出させるために。臆病者のウドが、生まれて初めて全力でぶつかった。それを、正面から受け止めてやったのだ。
「……最後だ。三人まとめて」
カイの声が少しかすれていた。
ハンスとペーターとウドが顔を見合わせる。もう誰も軽口を叩かなかった。
「ハッケヨイ!」
三人が同時に飛びかかった。
正面からハンス。右からペーター。左からウド。三人がかりで押せば岩だって動く。
動かなかった。
アサヒの足が地面に根を張っている。三人が顔を真っ赤にして押しても踵が一寸も浮かない。
円の土が三人の足で掘り返されて、黒い土がのぞいている。それでもアサヒの足の下だけは、少しも崩れていなかった。
人垣の前でカイが拳を握っていた。吊った左腕まで震えていた。広場の端ではバルド爺さまが、杖を握りしめて身を乗り出している。
三人がかりで動かないなら。ボルグ一人なら。俺の頭にも、同じ考えが浮かんでいた。
そしてアサヒが動いた。
正面のハンスの帯を両手でつかむ。腰を落とす。左右から押していたペーターとウドを体に貼りつけたまま、前へ。
一歩。二歩。三人分の足が地面を削りながら後ろへ下がっていく。ハンスの踵が円の線を越えた。押していた二人も、アサヒの体に引きずられるように円の外へ転がり出た。
円の中に立っているのはアサヒだけだった。
「……勝負、あり」
棒切れを上げる手が震えていた。
「勝者、アサヒ」
広場は静まり返っていた。誰かがごくりと唾を飲む音が聞こえた。
カイが一歩前に出た。アサヒの前に立ってしばらく黙っていた。それから振り返って人垣の後ろに立つ村長を見た。
「親父」
「……ああ」
「戟申しを出してくれ。今年の代表は、こいつだ」
村長がゆっくりとうなずいた。
その目に、三年ぶりに光が戻っていた。
次の瞬間に広場が割れんばかりの歓声に包まれた。




