第11話 市の興戟
◆リネ
「リネ。本当にこれ、全部持っていくのか」
「全部です。籠が二十に、干した茸が三袋。それから父さんの作った木の器が十」
「……俺の背中、見えてるか?」
「見えてますよ。山みたいです」
アサヒさんの背中には荷物が四人分積み上がっていた。
それでも足取りは少しも乱れない。すれ違う人がみんな振り返る。荷物がひとりでに歩いているように見えるのだ。
朝早く村を出てから、アサヒさんは道すがら何度も立ち止まった。畑を眺め、川を眺め、遠くの山を眺める。何を探しているのかと聞いたら、「見たことのないものばかりだから」と笑っていた。
「あれ、ツチフミの……」
「川で拾われたっていう」
「でけえな」
「荷物がでけえんだよ」
ひそひそ声があちこちから聞こえる。アサヒさんは気にした様子もない。物珍しそうに屋台を眺めている。
私たちの村から歩いて半日。ベッカ村の市はこの辺りでいちばんの賑わいだ。ここで籠や器を売って麦を買わなければ冬を越せない。
市に来るのは月に一度。私にとっては村の外の世界を見られる唯一の日だ。籠の編み方は母さんに教わった。母さんの籠は街の商人さんにも評判がよかった。
広場には屋台がずらりと並んでいた。焼いた川魚の匂い。干した果物の甘い香り。色とりどりの布。街から来た商人が声を張り上げている。
その中に、耳の尖った背の低い男が毛皮を並べていた。ふさふさの尻尾が服の裾から覗いている。
「リネ。あれは……」
「狐の獣人さんです。北の山から毛皮を売りに来るんですよ」
「獣人……」
「アサヒさん、じっと見たら失礼ですよ」
アサヒさんは慌てて目を逸らした。それでも何度もちらちらと振り返っていた。子どもみたいだ。
「よし。全部売れました」
昼過ぎには荷物はすっかり軽くなっていた。
売れ行きはいつもよりずっと良かった。たぶん隣にアサヒさんが黙って立っていたからだ。
「この籠、銅貨三枚にまけな」
昼前に来た太った商人は、最初から値切る気だった。
「五枚です」
「三枚だ。こんな田舎の籠、街じゃ誰も……」
商人の目が私の後ろで止まった。
アサヒさんが立っていた。何も言わずに。ただにこにこと笑って。
「……五枚、だな」
「はい」
「いや、六枚払おう。いい籠だ。実にいい籠だ」
商人は銀貨を置いて逃げるように去っていった。アサヒさんは首をかしげていた。
「俺、何かしたか?」
「何もしてません。立ってただけです」
「アサヒさんのおかげです」
「俺は立ってただけだぞ」
「立ってるだけで、十分なんです」
売れたお金で麦を三袋買った。アサヒさんが全部担いでくれた。いつもなら父さんと兄さんと私で何度も往復するのに。
その時、広場の方から大きな歓声が上がった。
「なんだ?」
「興戟です。市の日には必ずやるんです」
「こうげき?」
「郷戟みたいに村の命運を懸けるんじゃなくて、お金を懸けるだけの裸戟です。でも審司さまが裁くから、勝ち負けは本物と同じなんですよ」
「あの白い服の爺さんが、審司か」
「旅の審司さまです。市の日になると回ってくるんです」
審司さまは白い髭を撫でながら、退屈そうに円を眺めていた。
人垣の向こうに地面に引かれた白い円が見えた。円の脇には白い衣の老人が座っている。旅の審司さまだ。
「次の挑戦者はおらんか! ボルグに勝てば銀貨十枚だ!」
呼び込みの声に人垣がざわめいた。
円の真ん中に見上げるような大男が立っていた。
ボルグ。
兄さんの腕を折った人。
去年の郷戟の日のことを思い出す。河原に響いた骨の音。兄さんの悲鳴。地面に倒れたまま動かない兄さんの左腕が、ありえない方向に曲がっていた。あの日の夜、兄さんは一度も泣かなかった。泣いたのは私のほうだった。
「リネ」
アサヒさんの声がした。
振り返った私は息をのんだ。
知らない顔だった。いつもの穏やかな目じゃない。細められた目が円の中のボルグだけを見ている。まわりの音が全部消えてしまったような顔だった。
アサヒさんの目がボルグの足元を見ている。肩を。腰を。私には分からない何かを、一つ一つ確かめるように。
「……あの人が、ボルグです」
「そうか」
それだけだった。
「誰もおらんか! なら……おっ、そこの若いの!」
人垣から押し出されるように若者が一人進み出た。
見覚えのある顔だった。うちの村のヨハン。ダグさんの甥だ。
「ヨハン!?」
ヨハンは私たちの村でいちばん足が速い。去年の郷戟にも出たがったけれど、ダグさんに止められた。
「止めるなよリネ! 銀貨十枚あれば麦が三袋買えるんだ!」
「それに、妹が熱を出してるんだ。薬師の婆さんの薬じゃ下がらねえ。街の薬を買うには銀貨がいる」
ヨハンの声は震えていた。止められなかった。
ヨハンは帯を締め直して円に入った。審司さまがゆっくりと立ち上がる。
「両者、構えて」
ボルグは構えなかった。突っ立ったままヨハンを見下ろしてあくびをしている。
「ボルグ! ボルグ!」
「一発で決めちまえ!」
ベッカの人たちが囃し立てる。ツチフミから来た人たちは黙って俯いていた。
私は思わずアサヒさんの袖をつかんでいた。
「ハッケヨイ!」
ヨハンが飛びかかった。ボルグの胸に頭からぶつかる。
いい当たりだった。少なくとも私にはそう見えた。
ボルグは一歩も動かなかった。
片手でヨハンの帯をつかむ。そして籠でも放るように円の外へ投げ捨てた。
「ノコッタ……」
審司さまの声が途中で消えた。
ヨハンは地面を三回転がって動かなくなった。うめき声だけが聞こえる。
「……勝負あり!」
審司さまが我に返ったように声を張った。神配がボルグのほうへ上がる。
「勝者、ボルグ!」
「ヨハン!」
駆け寄ろうとした私の肩を大きな手がそっと押さえた。
「大丈夫だ。受け身が取れてる。肩を打っただけだ」
「どうして分かるんですか」
「転がり方で分かる」
アサヒさんは人垣をかき分けてヨハンを抱き起こした。軽々と。まるで子どもを抱くみたいに。
「痛っ……」
「動かすな。ゆっくり息を吐け。……そうだ、それでいい」
低い声だった。でも不思議と安心する声だった。
「……銀貨、取れなかった」
ヨハンが痛みに顔をしかめながら言った。
「妹さんの薬は、今日の籠の稼ぎから少し回そう。いいよな、リネ」
「……はい」
私がうなずくとヨハンは唇を噛んで目を閉じた。
ヨハンの顔から少しずつ強張りが抜けていく。
その横顔を見ているうちに胸の奥がことりと鳴った。
なんだろう。今のは。
兄さんの時も、誰かがこうして抱き起こしてくれたらよかったのに。
「おい」
頭の上から声が降ってきた。
見上げると円を出てきたボルグが私を見下ろしていた。にやにやと笑いながら。
「ツチフミの別嬪じゃねえか。久しぶりだな、リネ」




