三、四-後「鏡」
カエデは視線を落とし、ゆっくりと街全体を改めて確認するように見渡している。
屋根の連なり。人の流れ。煙のように立ち上る生活の気配。
それらの向こう側に、意識を合わせるように——
「……見えていますか、リン」
リンは、わずかに顎を引いたまま視線を止める。
「……うん」
ジンは呼吸を押さえ込むように、言葉を外へ出す。
「俺も見てます......」
測るような間のあと、カエデが振り返り。
「......はい、お願いします」
リンはジンへと視線を向け、その様子を静かに追う。
ジンの瞬きも少ない。
(集中、出来ている……俺は見えている……)
一見すれば、ただの街の呼吸だった。
人の営みから立ち上る、淡く揺れる気の流れ。
それは薄く、軽く、風にほどけるように広がっている。
だが——
その中に、わずかに異なる“色”が混じっていた。
淡い気の流れに絡みつくように、粘りつくような濃さを持った、
くすんだ桃色の揺らぎ。煙のようでいて、煙ではない。
ふわりと上がるのではなく、どこか重さを引きずるように、
ゆっくりと、途切れながら立ち昇っている。
ときおり、空気に溶けきれず、その場に“滞る”ように残る。
風に流されても、完全には散らない。
まるで——
そこに「居座っている」かのように。
ジンは目を凝らす。
(こ、これが......魔族のだ!?......確認するか?......)
その瞬間。
今まで見ていた城下の上に、何かが重なる——……
いや、違う。
それは外側に現れたものではなかった。
ジンの意識の内側へ、直接“差し込まれる”。
見たことのない町。全体が、淡く、確かに“黄金色”に染まっている。
そして、そこに——
“なにか”がいる。
気配だけが、確かにそこに在る。
ジンの呼吸が止まる。
次の瞬間、胸を何かが通りすぎる感覚が走った。
視線を胸へ移し、そのまま手を当てる。
(な、なんだ……)
息がしづらい。
鼓動とは違う。静かな衝動。
そのまま立ち尽くすジンの横で——
カエデは視線を落としたまま、城下全体を捉え続けている。
「......やはり、宮城での様子が、そのまま周囲にも現れていますね」
リンはその言葉を受け、そのまま続ける。
「己の生存を懸け、正義を証明し、自らの存在価値を確認するため......」
カエデは城下から視線を外しながら。
「ええ、誰もがただ自分を、守りたい、生きたい」
ジンはまだ、自分の胸に手を当てたまま、頷いた。
「はい......」
その返事を言い終えたあと、何か音のような響きがジンに直接、流れる。
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!?
か、風の音か......?
ジンは言葉も出ないまま、その場に止まる。
そんな様子のジンへ、カエデの視線が、流れた。
「......どうしました?ジンさん」
リンがジンに振り向く。
ツカサも視線だけを動かす。
「い、いえ......大丈夫です!......」
(たぶん、風の音だったのか......たぶん......)
カエデはあらためて、ジンを見て。
「......そうですか、それでジンさん、なにかわかりましたか?」
ジンは一瞬だけ言葉を飲み込む。
胸に触れていた手に、力が入る。
「あっ......そうですね、な、なにか見たことのない町みたいなところが、見えました......」
(......言い切る......俺には見えている......なにかの声か......)
カエデは、城下とジンの間に視線を落として。
「具体的には?」
ジンはカエデを見て。
「全体が……なんていうか、金色っぽくて……整ってて……でも、静かで……」
頭の中に残っている像の断片をそのまま繋ぐように。
カエデの視線がジンに向けられたまま。
「うん......おそらく、ジンさんに見えたのは、この襄桜かもしれませんね」
ジンの声が思わず。
「えっ!?」
(た、たしかに似てる......)
さっき見たものと、今目の前にある景色が、重なり始める。
カエデはそのまま、間を空けずに続ける。
「他には?」
ジンの目が、わずかに動く。
「あとは、なにかの気配がありました......」
言葉に出した瞬間、ほんの少しだけ呼吸が浅くなる。
(言い切った……)
カエデは何かを感じるように。
「気配?......人間......なにか」
ジンは伺うように、確認するようにカエデを見て。
「なんでしょうか?.......もしかして......魔王ですか?......」
口にした瞬間、自分でも引っかかる。
(あっ、なんで魔王って、さっきのことがあったから?......)
その場に、わずかな沈黙が落ちる。
リンの視線が、はっきりとジンへ向く。先ほどよりも、わずかに鋭い。
ツカサも、そこで初めて完全に意識をこちらへ寄せた。
腕を組みながら、興味を乗せる。
カエデは軽く腕を下に組み、一考、置き。
「おそらくそれはないでしょう、
それほどの者が来られるほど、ここはまだ魔が強くはないので」
ジンは小さく息を抜く。
「そうですか……」
(今の俺なら......いや、さすがにか?......)
一瞬だけ浮かぶ思考を、自分で抑え込む。
カエデはそのまま、腕を解く。
「とにかく、なにかあればすぐ私達を呼ぶ事」
ジンはカエデをまっすぐに見て。
「は、はい」
カエデの視線が、ふとジンの腰元へ落ちる。
「それと、ジンさんの剣、元の大きさに戻しておく事」
「えっ?」
一呼吸、遅れて、ジンの意識が自分の身体へ戻る。
(剣?......)
視線が下がる。腰にかかる対魔剣。
その瞬間、思い出す。
(あっ!そうだあの時、里から出る前に大きさを変えたままだ......)
「あっ、あの.......」
言いかけて、止まる。
カエデの視線が、静かに返る。
「なんですか?」
(こ、これ元の大きさに......なんて、言ってもたぶん自分でって言われそうだ)
ジンはカエデを見たまま。
「いっ、いや、あの……」
言葉が続かない。
そのジンの様子を見ながらも、カエデは特に追わず。
「ともかく、わかったのがやはり、その魔族であろう気は中心に寄っているということ」
ジンの息が小さく抜ける。
(そ、そうだよな……)
思考を切り替えようとする、その内側に——
すっと差し込まれる、リンの意識。
(そうだ、自分でだ)
ジンは視線を落としたまま。
(……)
カエデは続ける。
「そして、先ほどの目撃場所と合うところは、三の通りの、東川……」
マサキがその言葉を受けて。
「なるほど、まずはそこから当たって、あとから痕跡だけの場所や、目撃のみの地点も追っていく、ということですか?」
カエデは小さく頷く。
「ええ、それらはあくまで目安に過ぎません。魔族が、必ずしも気の重い場所に現れるとは限りませんし、そして、実際にその魔族の討伐を行うとなれば、襄桜側の協力も不可欠になります」
マサキは、わずかに苦笑を滲ませた。
「……正直なところ、内部でも足並みが揃わないことがありまして。対応が難しくなる場面もあるかもしれません」
カエデは一瞬だけ視線を上げる。
「いずれにせよ、まずは、こちらで動きながら確認していきます」
「はい、よろしくお願いします!」
そのやり取りの側で、
ジンはわずかに視線を落とす。
(少し、ツカサさんにコツを教えてもらおうか……できるのか俺……何か言ってたのか……)
そのまま、一行は石段を下り始める。
足音が一定の間隔で重なる中——
カエデの心念が、静かに三人へと飛ぶ。
(今、上に羽織っている装衣は外して、里を出る際から身につけている、この襄桜の装いで動きます)
ジンは一瞬だけ反応が遅れる。
(......はい)
手を動かしながら、理解が追いつく。
(なるほど、これならこの襄桜の都でも、目立たずに動ける……剣を……)
視線を上げると、すでにカエデとリンは自然な動きで装いを整えている。
ツカサも慣れた手際で、同じように馴染ませていた。
ジンも少し遅れて、それに倣う。
(あれは、なにか言ってたのか……)
石段を下りるごとに、視界は再び人の流れの中へと戻っていく。
だが。
胸の奥に残る、あの意識の内側で見た景色は、まだ消えていなかった。
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