第10話 初めてづくし
澄波で過ごす日々は、紫苑にとって驚きと戸惑い、そして感動の連続だった。
身体の重みが抜け始め、日を追うごとに元気をとりもどしていった紫苑は、
この集落で「常識」だと思っていたものがことごとく覆されるのを体感していた。
「——さあ紫苑ちゃん、召し上がれ! 禍つの肉の鍋だよ!」
「えっ!?……禍つ……のお肉…ですか!?」
一番の衝撃は食事についてだった。
中天京や霞条家に限らず一般常識的に、禍つは「穢れ」そのものであり、その肉を口にするなど忌むべき禁忌。
だが、ここ澄波では丁寧に血抜きを施し、美味しく命をいただくのが当たり前だった。
恐る恐る口に含んだ肉は、驚くほど柔らかく香ばしい。
「すごく…美味しい……です……」
「でしょー! 蒼太が仕留めた奴だから新鮮だしね!」
それだけではない。
日中は鈴や蒼太に連れられて集落の外へ出かけ、青々とした野山を駆け回った。
風の匂い、泥の温かさ、川の冷たさ。
道場では玄蔵と緋乃から「身を守るための術」として武術の手ほどきを受け、
夕方には緋乃や鈴と一緒に台所に立ち、包丁を握って家事や料理を習った。
澄波ではそれがごく普通で当たり前の日常だった。
かつては五大貴族の姫として
「守られること」
「命じられた通りに振る舞うこと」
だけを求められてきた霞条での暮らし。
そこでは許されなかった「初めて」の経験が、澄波での日常には溢れていた。
「紫苑ちゃん、今日の夕飯の野菜、どれにする? こっちの蕪にする? それとも大根?」
台所で緋乃に尋ねられ、紫苑はふと手を止めた。
これまでの人生で、「自分が何を選ぶか」を問われたことなど一度もなかった。
必要がなかったとも言えた。
何を着るか、何を食べ、どう振る舞い、誰と会うか。
すべては「霞条家の姫」としての役割が定めていた。
けれどここでは、自分で選ぶ。 選ぶ事が出来る。
今日は何をするか、何がしたいか、何をしたくないか。
食べるものも、歩く道も、誰にどんな声をかけるかも。
(自分で決める……でもそれは、その選択に責任を持つということ……)
自分の足で立ち、自分の意思で選択する感覚。
不安が全く無くなった訳ではない。
が、同時に、胸の奥がじんわりと熱くなるような誇らしさが芽生えていくのを、
紫苑は感じていた。




