九話「灰の向こう」
あの日から、俺は少しだけ灰魔法を見る目が変わった。
今までは、とにかく灰を出すことばかり考えていた。
でも、あの灰に何かが映った。
白い壁。
その向こうにいた誰か。
あれが何だったのか、どうしても気になる。
だからといって、何か特別なことができるわけでもない。
いつも通り過ごしていると、時間はあっという間に過ぎていく。
そんなある日の朝。
「レイ、おはよう」
母さんが部屋に入ってきた。
「あー」
俺は手を伸ばす。
母さんが笑って俺を抱き上げる。
「今日はエドのお手伝いをするのよ」
父さんの手伝い?
何をするんだ?
しばらくして、父さんも部屋に入ってきた。
「レイ、今日は薪を運ぶぞ」
薪。
俺を見る。
そして自分を見る。
……俺、何を手伝うんだ?
「まあ、レイは見てるだけだけどな」
ですよね。
俺は父さんに抱かれて外へ出る。
家の横には、昨日までなかった大量の薪が積まれていた。
父さんはその一つを持ち上げる。
「これを家の裏に運ぶんだ」
そう言って歩いていく。
俺は父さんの腕の中から薪を見る。
結構な量がある。
しばらくすると、父さんが薪を置いて戻ってきた。
「よし、次だ」
また薪を持ち上げる。
そのとき――。
森のほうから、何か音がした。
ガサッ。
俺は森を見る。
風で木が揺れたのか?
いや。
音がしたのは、森の入り口より少し手前だ。
父さんも動きを止めた。
「……?」
「どうしたの?」
母さんが聞く。
父さんはしばらく森を見つめていた。
「いや、何でもない」
そう言って、また薪を運び始める。
でも俺は、森から目を離せなかった。
何かいる。
そんな気がした。
しばらくして、父さんが最後の薪を運び終える。
「終わったな」
そのときだった。
森の奥から――。
また音がした。
ガサッ。
今度はさっきより近い。
父さんが俺を母さんに渡す。
「ミレア」
「ええ」
二人の表情が変わった。
俺は母さんに抱かれたまま、森を見る。
木々の間から、何かが動いた。
灰色。
……動物?
でも、普通の動きじゃない。
煙のように揺れている。
俺は目を凝らした。
すると――。
灰色の何かが、木の陰から一瞬だけ姿を見せた。
人の形に近い。
でも、人ではない。
次の瞬間、それは森の奥へ消えた。
「エド……今の」
「分からない」
父さんが答える。
「ただの獣じゃない」
俺はその言葉を聞いて、胸の奥がざわつくのを感じた。
なぜだ?
あれを見たことがあるような気がする。
もちろん、実際には見たことなんてない。
それなのに――。
頭の奥に、灰魔法を使ったときの感覚が蘇る。
灰。
白い壁。
誰かの後ろ姿。
赤い空。
そして、今見た灰色の姿。
何かが繋がっている。
そんな気がした。
「レイ?」
母さんの声で我に返る。
「あう……」
俺はもう一度、森を見る。
何もいない。
いつもの森だ。
父さんも森を見ながら、低い声で言った。
「今日はもう中に入ろう」
「そうね」
俺たちは家へ戻った。
扉が閉まる。
俺は母さんに抱かれたまま、窓の外を見る。
森は静かだった。
何も起きていないように見える。
でも――。
俺は知ってしまった。
この世界には、まだ知らない何かがいる。
そしてたぶん。
灰魔法とも無関係じゃない。
俺は小さな手を見つめる。
指先に灰が浮かぶ。
ほんの一瞬だけ。
そして、その灰は――。
森のほうへ流れていった。




