八話「魔法」
あれから、少しずつ歩けるようになった。
まだ長い距離は無理だが、家の中なら自分で移動できる。
それだけでも、かなり自由になった気がする。
今まで母さんに抱いてもらわないと行けなかった場所にも、自分で行ける。
……まあ、転ぶことも多いけど。
そんなある日のことだった。
「レイ、こっちに来て」
母さんが呼んでいる。
俺はゆっくりと歩いていく。
一歩。
二歩。
三歩。
「上手ね」
「あう」
最近、母さんはよく褒めてくれる。
少し嬉しい。
すると、母さんが何かを持っていることに気づいた。
小さな木の器だ。
その中には水が入っている。
「今日はこれを見せてあげる」
何をするんだ?
母さんは器を床に置いた。
そして、その上に手をかざす。
「水よ」
母さんの手の周りに、淡い光が集まっていく。
すると――。
器の中の水が、少しだけ浮いた。
「……!」
水が空中に浮かんでいる。
しかも、母さんは触れていない。
魔法だ。
父さんの火とは違う。
母さんは水の魔法を使えるらしい。
水はゆっくりと形を変えていく。
丸くなったり、細くなったり。
最後には器の中へ戻った。
「どう?」
「あー!」
すごい。
俺は思わず手を伸ばす。
「気に入った?」
「あう!」
母さんが笑う。
「レイもやってみる?」
……え?
俺が?
母さんが器を俺の前に置く。
「手をかざしてみて」
俺は言われた通りに手を伸ばす。
水を見る。
集中する。
魔力を感じる。
……。
何も起きない。
まあ、そうだよな。
俺が使えるのは灰魔法だ。
水の魔法なんて使えるわけがない。
そう思って手を下ろそうとした。
その瞬間。
水面が――。
ほんの少しだけ揺れた。
「……?」
俺も母さんも動きを止める。
今、動いたよな?
風はない。
母さんも触っていない。
なのに、水面だけが小さく揺れている。
「レイ……?」
母さんの声が少し変わった。
俺はもう一度、水を見る。
何も起きない。
……気のせいだったのか?
「ふふ、すごいじゃない」
母さんが俺の頭を撫でる。
「あう」
いや、俺は何もしてない。
そう言いたい。
でも、今の俺には伝えられない。
母さんは器を片付ける。
俺はその後ろ姿を見ながら考える。
今のは何だったんだ?
灰魔法なのか?
それとも、ただの偶然か?
分からない。
でも、一つだけ気になることがある。
灰魔法を使ったときは、いつも指先に違和感がある。
あのときもそうだった。
そして今日も――。
ほんの一瞬だけ。
手のひらが熱くなった。
俺は自分の手を見る。
何もない。
灰も出ていない。
それなのに、なぜか嫌な感じがした。
灰魔法について考えていると、頭の中にあの少女の姿が浮かんだ。
銀色の髪。
青白い瞳。
そして、あの言葉。
灰魔法。
この世界で最も恐れられている魔法。
まだ理由は分からない。
でも、いつか必ず知る。
俺は手を握った。
そのときだった。
指先に――。
小さな灰色の粒が浮かんだ。
「……!」
今までとは違う。
灰が、俺の指先から離れない。
まるで何かを待っているように、ゆっくりと回っている。
そして――。
灰の中に、一瞬だけ何かが見えた。
白い。
何かの壁だ。
その向こうに――。
誰かがいる。
「……あう?」
次の瞬間、灰は消えた。
何だったんだ?
俺はしばらく、自分の手を見つめていた。
今までとは少し違う。
灰魔法が、少しずつ変わってきている。
そんな気がした。




