三十七話「父の知るモノ」
森から戻った俺とセナは、ほとんど言葉を交わさずに村へ戻っていた。
さっき見たものが、頭から離れない。
灰喰らい。
灰を食べる、奇妙な存在。
俺の灰魔法に反応し、俺たちに近づいてきた。
そして、セナを守ろうとした俺が灰の壁を作ったとき――あいつは壁に触れた。
何かを確かめるように。
それから、逃げた。
「……レイ」
「ん?」
「さっきのやつ……」
セナが歩きながら口を開く。
「灰を食べてたよね」
「……うん」
「普通の動物じゃないよね」
「たぶん」
「じゃあ、あれって何なの?」
俺は答えられなかった。
俺自身が知りたい。
「……分からない」
セナは黙った。
しばらく歩いてから、ぽつりと言う。
「でも……怖かった」
「俺も」
「レイも?」
「そりゃ怖いよ」
あんなものを目の前にして、平気でいられるわけがない。
セナは少しだけ安心したように笑った。
「そっか」
「何で安心してるんだよ」
「だってレイ、いつも平気そうな顔してるから」
「そんなことないって」
俺は笑った。
でも、胸の奥に残っている不安は消えなかった。
やがて、家が見えてきた。
その前に、父さんが立っていた。
「レイ」
「父さん?」
父さんは俺たちを見ると、すぐにこちらへ歩いてきた。
「何があった?」
いつもの父さんとは違う。
声が低い。
「……森で、変なものを見た」
「変なもの?」
「灰色のやつ」
父さんの足が止まった。
「……灰色?」
「うん。人みたいな形をしてた。でも、人じゃない」
父さんは何も言わない。
俺は続けた。
「灰を食べてた」
その瞬間、父さんの表情が変わった。
ほんの一瞬だった。
でも、俺は見逃さなかった。
「……それで?」
「俺の灰にも反応した」
「灰魔法を使ったのか?」
「うん」
「どうなった?」
「俺たちに近づいてきたから……壁を作った」
父さんは黙って俺を見る。
「灰の壁?」
「そう」
「どんな壁だった?」
「俺が作ろうと思ったより大きくなった。俺の身長よりずっと高くて…」
父さんは少しだけ目を細めた。
「……それで?」
「灰喰らいが壁に触った」
「……」
「そのあと、急に動かなくなった」
俺はあのときのことを思い出す。
灰喰らいの指が壁に触れた。
灰を食べるように壁へ手を沈めようとして――止まった。
「壁を食べようとしてたみたいだった。でも……食べなかった」
「……」
「それから、少しずつ後ろに下がって……森の奥へ逃げた」
父さんは何も言わなかった。
ただ、険しい顔で俺の手を見ている。
「父さん」
「……なんだ?」
「灰喰らいって、何?」
父さんの目が俺を見る。
その瞬間、空気が変わった気がした。
「……どうして、その名前を知っている?」
「前に見たから」
俺は答えた。
父さんは黙っている。
「父さんは知ってるんだよね?」
「……」
「灰喰らいのこと」
「……少しだけだ」
「じゃあ教えてよ」
俺が一歩近づく。
父さんは視線を逸らした。
「今はまだ話せない」
「なんで?」
「レイには、まだ早い」
「でも……」
「レイ」
父さんが俺を見る。
その顔には、今まで見たことのないものがあった。
怒っているわけじゃない。
困っているわけでもない。
まるで――何かを恐れているような顔だった。
「今日のことは、母さんには話さないでくれ」
「……どうして?」
「頼む」
父さんはそれだけ言った。
そして家の中へ入っていく。
俺はその場に立ち尽くした。
父さんは知っている。
灰喰らいのことを。
灰魔法のことも。
それなのに、何も教えてくれない。
「……なんなんだよ」
俺は自分の手のひらを見る。
そこには、さっき灰喰らいに食べられた灰の残りが、ほんの少しだけ付いていた。
指で触れる。
さらりと崩れる。
「……灰魔法」
その言葉を口にした瞬間だった。
手のひらに残っていた灰が、ほんの一瞬だけ銀色に光った。
「……え?」
目を凝らす。
もう光っていない。
ただの灰に戻っている。
「……見間違いか?」
俺は手を握った。
今日、初めて分かったことがある。
灰魔法は、ただ灰を出すだけの魔法じゃない。
灰喰らいも、それを知っている。
そして――父さんも。
俺だけが、何も知らない。




