三十六話「静寂を破るモノ」
その日の午後。
俺とセナは、村の外れで木の棒を使って遊んでいた。
「レイ、今度こそ勝つからね!」
「またそれ言ってる」
「今度は本気だから!」
「はいはい」
「もう!」
セナが木の棒を振り下ろす。
カンッ!
俺はそれを受け止めた。
「今のは?」
「私の勝ち!」
「いや、棒が当たっただけだろ」
「それを勝ちって言うの!」
「聞いたことないけど」
「じゃあもう一回!」
「おう」
俺たちは笑いながら、何度も木の棒をぶつけ合った。
いつも通りの午後だった。
何も変わらない。
そのはずだった。
ふと、森の方から風が吹いてきた。
「……ん?」
俺は動きを止めた。
森の木々が揺れている。
けれど、風はそれほど強くない。
それなのに、木々は次々と揺れていた。
ざわ……。
ざわざわ……。
まるで、何かが森の中を進んでいるようだった。
「レイ?」
「……ちょっと待って」
俺は耳を澄ませた。
鳥の声がない。
虫の音もない。
さっきまで聞こえていた森の音が、嘘みたいに消えていた。
そして――。
ズ……。
ズ……。
何かを引きずるような音が聞こえた。
「……何かいる」
「動物?」
「分からない」
俺は森から目を離せなかった。
その瞬間、指先が熱くなった。
「……灰魔法」
手のひらを見る。
魔力を集めた覚えはない。
それなのに、指先から灰がこぼれた。
灰は地面に落ちず、ふわりと浮かぶ。
そして、森の奥へ向かって動き始めた。
「……また森か」
俺が呟いた、そのとき。
木の陰から何かが現れた。
細長い腕。
灰色の身体。
人間に似ている。
でも、人間じゃない。
身体は細く、手足は異様に長い。
全身から細かな灰がこぼれ、煙のように身体の周りを漂っている。
顔には目がない。
鼻もない。
口もない。
それなのに――。
俺には、そいつが俺を見ていることが分かった。
「……灰喰らい」
以前見たものと同じだ。
灰喰らいが、ゆっくりと一歩踏み出す。
ザリ……。
足元の灰が擦れる。
もう一歩。
ザリ……。
俺の手のひらに浮かんでいた灰が、灰喰らいへ引っ張られ始めた。
「……っ」
灰が、灰喰らいの身体に触れる。
シュッ。
消えた。
灰喰らいの身体がわずかに震えた。
「……灰を食べてる」
俺が呟く。
灰喰らいが、さらに近づく。
俺は一歩下がった。
そのとき、隣にいたセナが俺の腕を掴んだ。
「レイ……」
「大丈夫」
言ったものの、自分でも分かっていた。
全然、大丈夫じゃない。
灰喰らいが突然、身体を低くした。
「……?」
次の瞬間。
地面を蹴った。
「っ!」
速い。
さっきまでゆっくり歩いていたのが嘘みたいだった。
灰喰らいが、まっすぐ俺たちへ向かってくる。
「セナ、下がって!」
俺はセナの前へ出た。
木の棒を構える。
こんなもので止められるわけがない。
それでも、逃げることはできなかった。
「来るな……!」
灰喰らいが迫る。
その瞬間。
俺の頭に父さんの言葉が浮かんだ。
『火を思い浮かべて、魔力を集めろ』
でも、今思い浮かんだのは火じゃなかった。
灰。
灰魔法。
俺は手を前へ突き出した。
「来るなぁっ!」
魔力が一気に動いた。
ドンッ!
大量の灰が噴き出した。
俺とセナの目の前で灰が渦を巻く。
そして――。
地面から、一気に灰の壁がせり上がった。
「……え?」
俺は目を見開いた。
壁は俺の身長をはるかに超えていた。
さらに上へ。
上へ。
まるで森の木々に届こうとするように、灰が積み重なっていく。
最後には、壁の上部が少し内側へ張り出した。
表面も滑らかで、手をかけられる場所がない。
俺自身、こんなものを作るつもりはなかった。
ドンッ!
壁の向こうから衝撃が響いた。
「……っ!」
灰喰らいが壁にぶつかった。
壁全体が揺れる。
「レイ……!」
「大丈夫。たぶん……」
言い終わる前に、もう一度。
ドンッ!
今度はさっきより強い。
灰の壁に細かな亀裂が走った。
「……嘘だろ」
灰喰らいは諦めていない。
壁の向こうで、何かが動いている。
ザリ……。
ズズ……。
壁を引っかいている。
けれど、登ってくることはできない。
何度も手をかけようとしても、滑り落ちているようだった。
「……」
俺は息を殺して壁を見つめた。
すると――。
音が止まった。
静かになった。
「……いなくなった?」
セナが小さな声で言う。
俺は答えなかった。
壁の向こうから、何かが聞こえた。
「……灰……」
「……っ」
俺は固まった。
低く、擦れた声。
壁を挟んでいるせいで、はっきりとは聞こえない。
「……灰……」
もう一度。
セナが俺の腕を強く握る。
「レイ……今、何か言った?」
「俺じゃない」
俺たちは動かなかった。
壁の向こうに、まだいる。
姿は見えない。
でも、確かにいる。
そして――。
コツ。
壁を叩く音がした。
コツ。
コツ。
まるで、こちらの存在を確かめるように。
俺は唾を飲み込んだ。
「……何なんだよ」
返事はない。
しばらくして、壁の向こうから音が遠ざかっていく。
ズ……。
ズ……。
やがて、完全に聞こえなくなった。
俺はゆっくりと灰の壁を消した。
そこには、灰喰らいの姿はなかった。
ただ、地面に灰が残っている。
俺はそれを見つめた。
さっきまでとは違う。
俺の灰魔法に、灰喰らいは反応した。
そして、あの壁を越えることもできなかった。
「……レイ」
セナが俺を見る。
「今の……何だったの?」
俺は森を見つめた。
「……分からない」
本当に分からない。
でも、一つだけ確かなことがあった。
今まで俺は、灰魔法をただの不思議な魔法だと思っていた。
だけど違う。
灰魔法には、俺がまだ知らない何かがある。
そして――。
あの灰喰らいも、それを知っているのかもしれない。




