第9話 婚姻届③―夢見る乙女の断罪―
パーティー会場では、イザベラが令嬢たちに囲まれている。
キャーキャーという歓声が聞こえる。
「イザベラ様! 恋を実らせて素敵ですわ!」
「イザベラ様とルーカス様は、美男美女でお似合いですもの」
「あんな美男子が夫だなんて、毎日緊張してしまいそうです」
「みなさん、あまり大きな声で言わないでね。彼の病状が心配だから」
イザベラが声をひそませる。
「記憶が早く戻るといいですわね。婚姻届を出してすぐに、ケガして記憶を失ってしまうだなんて」
「でも、せっかく新婚なのに、結婚の事実をおおっぴらに言えないって、なんだかムズムズしちゃいますよね」
「私だったら、自慢したくてペラペラ言っちゃうかもしれないです。イザベラ様はルーカス様のことを本当に愛して心配しているのですね。偉いですわ」
イザベラの取り巻きの令嬢達が、口々に言葉を重ねる。
「彼を混乱させたくないの。もう少し見守りたいの」
イザベラが、ルーカスを案じるような表情で令嬢達に話す。
「みなさんも、ルーカス様に『結婚』などという言葉は言わないでね。耳に入れさせないようにしてね」
「わかりました。でも、そもそも、私達がルーカス様と会う機会もありませんし」
「あいつら、何をキャッキャッしているんだか」
パーティー会場の入り口で、遠くにいるイザベラ様を見ていたルーカス様が、眉間にしわを寄せる。
「貴族が集まれば、噂話か自慢話、というのが定番ですから。おそらくルーカス様との恋愛話をしているのでしょう」
「気持ち悪い」
ルーカス様が吐き捨てるように言う。
「ルーカス様に、こんな愛の言葉ささやかれたとか、そういう自慢していると思います」
「囁いたことなぞない!」
「わかっています。それが貴族の社交での雑談ですよね。ウソもちりばめつつ話す、腹の探り合い。うんざりしますね」
「……以前、貴族のパーティーに出たことがあるかのような口ぶりだな?」
「……なんでもございません。さぁ、ルーカス様。行きましょう」
私はルーカス様の背中を押して、イザベラ様の元へと向かった。
◇
華やかなパーティー会場の一角で、イザベラ様が取り巻きに囲まれ、嬌声を交えながら楽しげに談笑をしている。
「イザベラ」
ルーカス様が、令嬢たちの輪の中心にいたイザベラ様に声をかけた。
「キャッ! ルーカス様よ!」
「えぇ?! イザベラ様、今日ルーカス様も来る予定でしたの?」
イザベラ様が、こわばったような顔をしたように見えた。
しかし、それも一瞬のこと。
花が咲かんばかりの、あふれる笑顔でルーカス様の元に駆け寄った。
「ルーカス! まさか、あなたがパーティーに来るとは思わなかったわ!」
「……ああ」
「えーと……」
イザベラ様が視線を彷徨わせながら、次の言葉を必死に探そうとしている。
(ルーカス様は、イザベラ様と結婚した記憶を喪失している、というストーリー。なのに、本人が会いに来た。これはどう頑張っても取り繕えないわよね)
「イザベラに会いたくてきたのだ」
「……!」
ルーカス様の言葉に、イザベラ様が、とろけるような目をしている。
「ルーカス様に、あんな風に言われるなんて、うらやましすぎる!」
「記憶が戻ったのかしら?」
周りの令嬢たちは、キャーキャー言っている。
「ルーカス……」
イザベラ様は目を潤ませながら、じっとルーカス様を見ている。
ルーカス様がイザベラ様の手を取る。
「もう逃がさないよ?」
周りの歓声がひときわ大きくなる。
イザベラ様の顔は紅潮し、卒倒するのではというくらい動揺している。
「……一生、牢屋に入ってろ」
ルーカス様が、低く鋭い声を放つ。
一瞬にして、歓声がやむ。
戸惑い、困惑。いまのは聞き間違え? と互いに顔を見合わせる令嬢たち。
「ルーカス。な、何を言っているのかしら?」
ルーカス様が、握っているイザベラ様の手をさらに力強く握る。イザベラ様が手を振りほどこうとする。
ルーカス様はどんどん笑顔を深めていく。
「楽しい夢を少しは見られたかい? 私と結婚をしている、なんていう、あり得ない空想で楽しんだかい?」
イザベラ様の顔は真っ白になり、震えている。
「イザベラ・ヴァレンタイン公爵令嬢! 婚姻届の文書を偽造した罪で逮捕する!」
会場の扉が開き、衛兵らが突入し、イザベラ様を取り囲んだ。イザベラ様は抵抗もせず、ルーカス様の隣で床に座り込んでいる。
「これからは、一生、悪夢を見て過ごせ」
ルーカス様が吐き捨てるように言った。
◇
「ミラ。先日はありがとう」
「無事に婚姻届が無効になったようで良かったです」
あの事件の後、事情聴取として、私もルーカス様も忙しく、なかなか顔を会わせる時間がなかった。
2週間経ってようやく落ち着き、ルーカス様が久しぶりに工房にやってきたのだ。
あの後、イザベラ様は衛兵に連行されて、会場には大きなざわめきが残った。
さっきまでは、イザベラ様を褒め称えていた令嬢たちが、一斉に
「ルーカス様と結婚だなんて、あり得ないと思ったわ」
「ルーカス様と付き合っているって言っていたたけど、ずっと怪しかったものね」
「それにしても、犯罪をしてまでって。こんな恥ずかしいことってある?」
と口々に手のひら返しで悪口を言っていた。
実に貴族らしい場面を見て、私は、つくづく平民になって良かったと思った。
私は、作業の手を止めて、ルーカス様にお茶を出しながら尋ねた。
「いずれバレてしまうのに、どうして偽造なんてしたのでしょうか」
「バカだから、というのが一番の理由だけど、既成事実を作れば親の力を使ってどうにかなると思ったようだ」
「えぇ……そんなことありえますかね」
「今まで、公爵家の権力で色々な悪事を握りつぶしていたことを、幼い頃から見ていたんじゃないかな。黒い噂もある家だったけど、かなりの権力を持っていたからね」
「じゃあ、今回も婚姻届をだしさえすれば、ルーカス様を従わせることが出来る、と」
「みたいだよ。イザベラが僕との婚姻届を出したと聞かされたときには、さすがの公爵も驚いて怒ったようだけど、僕の実家や務めている部局に圧力をかければ、どうにでもなると思ったみたいだ」
「……理解しがたいです」
「うん。理解できなくていいと思う」
ルーカス様は、口元を緩めて、苦笑を浮かべた。
「今回の事件はもみ消されないですよね?」
「さすがに、沢山の貴族らがいるパーティーの中で逮捕されてしまったから、公爵ももみ消すことは不可能だったみたいだ。しかも、あのパーティーには、公爵に反発する貴族らも何人か参加していたからね。これで、あの公爵家も終わりだろうね」
今までの悪事の積み重ねの報いなのだろう。
今回をきっかけに、今まで揉み消してきた事件も掘り起こされるかもしれない。
「それにしても、無事に終わって解決して良かったです」
「うん。本当にありがとう」
「いいえ」
「ミラがいなかったら、僕は、イザベラが言うように、自分が記憶喪失になっているのかと自分を疑ってしまったかも知れない。僕の命の恩人だよ」
ハンコ一つで、人生が大きく変わる可能性がある。
私もそうだ。
今のハンコ職人という人生も気に入っている。でも、そばに両親がいてくれる人生だったら、もっと素敵だっただろう。
「ミラ? 大丈夫?」
私は意識を引き戻された。
「あ、大丈夫です」
「そう。ところで、今回の件で、僕自身も反省したんだ。僕のハンコは、よく言えばシンプルで上品かも知れない。けど、裏を返せば、シンプルすぎて真似されやすい」
「えぇ、正直私も思っていました」
「だから、僕の新しいハンコをミラに作ってもらいたいのだけど――」
私は、机の引き出しから、木箱を取り出して、ルーカス様の前に置いた。
「え……? これは?」
「ルーカス様にです」
ルーカス様が木箱を開ける。
中にはベルベット生地に包まれたハンコが入っている。
「注文が入る前に、勝手に作ってしまいました。ルーカス様のハンコは悪用の可能性があるため、誰にも真似できないようなハンコを作りました」
「えぇ! 本当かい! 押してみてもいいかい?」
ルーカス様はハンコにインクをつけて、紙に押し当てる。
「月桂樹に羽ペンのデザイン……名前の周りに細かく入り込んでいる……」
「以前、家紋をお聞きしましたので、それをデザインとして入れてみました。勝手に作って申し訳ございません」
「ちょっと感動しすぎて、なんて言ったいいか分からないけど」
「よろしければプレゼントします」
「だめだよ! これはミラの技術が込められた大切な商品なんだから! ちゃんと正規の値段を取るべきだ」
「では、金貨2枚頂戴します。」
「……もう少し、いやいや気持ちですから、いや払うよ、みたいなラリーが続くと思ったけど」
ルーカス様は笑い、私もつられて笑ってしまった。
明日21時に第10話更新予定です。




