第8話 婚姻届②―書面の真実―
ルーカス様からの連絡はすぐに来た。
婚姻届の閲覧が出来るので来てくれないかと言われて、私は王宮行政庁へと向かった。
「こちら、ミラさん。ハンコ職人で、今回のこと相談に乗ってもらっている方なんです」
「はじめまして。ルーカスの上司のダニエルといいます。……へー、ハンコ職人ですか」
ダニエル様は、不思議そうに私を見ている。
なぜ、ハンコ職人に相談しているのか? 二人はどういう関係なんだ? という目だ。
「はじめまして。ミラと申します。フランツ様はご無沙汰しております」
戸籍課のフランツ様は、アルバイトをしているときに、何度か顔を会わせている。
「ミラさん。お久しぶりです。君がアルバイトをしているとき、ルーカスがしょっちゅう、うちの課に来ていたけど、そういうことだったんだね」
フランツ様が、ルーカス様と私の顔を見比べながら、面白そうに口角を上げた。
「そういうこと、の意味は分からないですが……それは違うと思います」
私は、フランツ様に軽く否定をしておいた。
「フランツも彼女を知っているのかい?」
ダニエル様が驚いた顔でフランツ様に尋ねる。
「彼女は、以前、王宮行政庁の戸籍課でアルバイトをしていたことがあるんですよ」
「あぁ……そういえば、見たことある! ……かなぁ?」
(2週間しかいないから、私のことは知らないと思うけど)
「さっそくですが、婚姻届を見て良いでしょうか」
私は話題を本題へと切り替えた。
「あぁ。はい。これが婚姻届の原本です」
閲覧申請を出していたルーカス様が、フランツ様から書類を受け取り、私に書類を見せてくれた。
イザベラ様とルーカス様のサインとハンコが押されている。
タイトルは『婚姻届』
確かに、ぱっと見ると、不備はなさそうだ。
ルーカス様は、自分は押してないと言っているが、婚姻届というタイトルの書面にルーカス様のサインがあるのを見ると、少し胸がチクリとした。
「ミラ。何か分かるかい?」
ルーカス様が不安そうな声で尋ねてくる。
「ルーカス様。ルーカス様のハンコ、お借りできますか?」
「あぁ、はい」
ルーカス様は、サテンで出来た袋に入っていたハンコを渡してきた。
「このハンコは、自宅の鍵付きの引き出しの中に入れていたものだ」
「フランツ様。この白紙とインク、お借りします」
私はルーカス様から借りたハンコにインクをつけて、紙に押し当てた。
(よし。キレイに押せたわ)
ルーカス様のハンコは、名前だけが彫られているものだった。
控えめでありながら、確かな品格を感じさせる刻印である。
「やっぱり、この婚姻届のハンコは、ルーカス、お前のじゃないか」
紙に押されたハンコと婚姻届のハンコを見比べながら、ダニエル様が言った。
ルーカス様は、言葉を失い、重い沈黙に沈んだ。
「いいえ。まだ断定は出来ません」
私は、いまハンコを押した紙を婚姻届の上に重ねた。
そして、重ねた紙を、窓からの光が当たるように、上に掲げた。
(やっぱり。これは違う)
「……ルーカス様。ご安心ください。この婚姻届のハンコは、ルーカス様のハンコではございません」
「えっ!」
「ルーカス様。ご覧ください」
私は二つ重なった紙を上に掲げたまま、ルーカス様に見せた。
「あれ? ハンコの枠が二つ見えるな。これって……ハンコが重なっていない!」
「ええ。横に並べただけだと、一瞬分かりません」
私は左手に婚姻届、右手にハンコを押した紙を持ち、並べて見せた。
「けど、ハンコの部分を重ねてみると」
私は二つの紙を重ね、透かして見せた。
「婚姻届に押されているハンコは、一回り大きいのです」
「……! まさか!」
ルーカス様らが驚きの声を上げる。
「ほんとだ! でも、押すときに、ずれるということはないのだろうか?」
「ルーカス様。ハンコが、押す度にサイズが変わるというのは、ありえません。柔らかいゴムのようなもので出来ていたのなら別ですが、ルーカス様のハンコは堅い材質で出来ています」
「ということは、この婚姻届は……」
「ええ。ルーカス様のハンコではない。つまり、偽造されたハンコが押されたものです」
「……やはり、か」
ルーカス様は唇をゆがめ、怒りを押し殺すように歯ぎしりをした。
「恐らく署名は、ルーカス様からの夜会の返事に書かれていたサインを真似したのではと思います。ルーカス様、夜会の返事を書いたお手紙、見せて頂けますか?」
「……あぁ。これだ」
私は、ルーカス様の手紙に書かれたサインと婚姻届に書かれたサインを見比べる。
「ルーカス様は、イザベラ様には、いつも同じ便せんを使って、返事を書かれていましたか?」
「あぁ。わざわざ便せんを準備するのも、しゃくに障るからな。自宅に常備している何の変哲もない便せんを使っていた」
「そうすると、お返事をしていた手紙のサインは、この手紙に書かれているサインと、だいたい同じ大きさですよね」
「あぁ。同じ便せんだから、罫線も同じだからね。いつも同じサイズで署名していたよ」
私が婚姻届のサインと、手紙のサインも重ねて見せた。
二つのサインは、文字のはねなどは微妙に異なるが、サイズはだいたい同じである。
「婚姻届のサインが、届出用紙の署名欄の枠からはみ出しているのが気になったのです」
私は婚姻届けのサイン欄を指さす。
イザベラ様のサインは枠内に入っているが、ルーカス様のサインは枠内に収まらず、あと少しで文字が切れてしまうギリギリのところまで、はみ出している。
ルーカス様にしては、少し雑な書き方な気がして、違和感を覚えたのだ。
「おそらくこの手紙のサインを上から書き写したからなのでしょう」
空気が凍り付いたように音が消えた。
驚きのあまり、誰一人として声を出せなかった。
「これは……犯罪じゃないか!」
最初に口を開いたのはダニエル様であった。
「しかも彼女は、記憶喪失だから、ルーカスには確認をしないようになどと、隠ぺい工作までしていたぞ! とんでもないことだ」
「こ、これは、上司に報告をしなければ! 大変なことです」
フランツ様も慌てふためいている。
「……イザベラ。許さない」
空気がわずかに冷えた気がするほど、ルーカス様は怒っている。
「ダニエル殿。フランツ。二人とも少し待ってください」
ルーカス様が、上司や警備局に報告をしようとする二人を止めた。
「実は明日、ある侯爵家でパーティーが開かれて、そこの招待状を持っているのですが、イザベラが参加するようなのです。欠席のつもりでしたが、その会場に行って、私から一言彼女に言ってから、警備局の方に逮捕、という流れにしたいのですが」
「今すぐ通報した方がよいのではないか?」
ダニエル様は心配そうに尋ねる。
「ここまでとんでもないことをされたのです。私が面と向かって言わなければ気が済みません」
「被害者のお前がそう言うなら……そうだな。分かった。警備局にはそのように話しておこう」
「わがままを言って申し訳ございません」
「前代未聞だからな。警備局も理解してくれるはずだ」
「ありがとうございます」
「でも、その明日パーティーをする侯爵家には、一言言っておいた方が良いのではないのかい?」
フランツ様が気遣うような表情を浮かべる。
「大丈夫。明日のパーティーの主催者である侯爵家は、長女がイザベラの取り巻きなんだ。それで、私をくっつけようと余計なことをしたり、私の情報を勝手に流したりと、うんざりしていたんだよ」
「……お前も大変だな」
「なので、侯爵家のパーティーを潰してしまうことになるけれど、それくらいされても当然の報いだと思っている」
「なるほど……ルーカスがそう思うならそうしたらいいさ」
「……これで、結婚は無効になりますよね」
ルーカス様は、少し心配そうな顔をしながら、ダニエル様に尋ねる。
「それは、私から上層部に話をしておく。フランツ、君も一緒に説明を頼む」
「もちろんです。婚姻届を悪用するなんて、制度を愚弄していて許せないことです!」
フランツ様も怒りをあらわにしていた。当然のことだろう。
「……よろしくお願いします」
ルーカス様は、二人に頭を下げる。
ルーカス様が私の方へと顔を向け、静かに言った。
「ミラ。本当にありがとう。感謝してもしきれない」
「いいえ。とんでもないです。ハンコを悪用することは許せませんので」
「ミラ。最後にお願い、というか、明日のパーティー一緒に来てほしいんだ」
「私は招待状がありません。……しかも、そもそも平民ですので参加は出来ません」
「僕の秘書ということにすれば、同行は問題ない」
「秘書ですか……」
私は視線を落としたまま考え込む。
「あぁ。頼む。この不正を暴いた張本人でもあるから、来てもらった方が良いと思うんだ」
「貴族のパーティーに行くことは気乗りがしませんが……分かりました」
私の返事を聞いた瞬間、ルーカス様は表情を輝かせた。
「ありがとう! ミラがいてくれるだけで心強いよ。明日工房まで迎えに行くから」
◇
翌日の夕刻、ルーカス様が工房に迎えに来た。
「ミラ。もし良かったら、このドレス着てくれないか? 急いで買ったから、サイズあうか心配だけど」
ルーカス様は、キレイな青い色のドレスを渡してきた。
「ルーカス様。私は秘書として同行をするのです。ドレスを着ている秘書はおりません」
「でも、君に似合うと思ったんだけど」
「今日の目的は何ですか?」
「……イザベラに文句を言って、逮捕させること……です」
「ドレスの秘書、必要ですか?」
「……はい。いりません」
ルーカス様は、しょんぼりしている。
(ルーカス様って同情を誘う表情がうまいのよね。可哀想になっちゃうじゃない)
私は落ち着いた色合いのワンピースを用意していた。
そして、身体に沿うよう仕立てられた上着を羽織った。
「じゃあ、せめてこれをつけてくれる?」
ルーカス様は、羽ペンの形をした小さなブローチを渡してきた。
「これは、ルーカス様のおうちの家紋の一部ですか?」
「うん。ほら! 秘書っぽいでしょ?」
「そうですね。じゃあお借りします」
私はルーカス様からブローチを受け取り、胸元につけた。
「すごく似合っているよ」
「ありがとうございます」
「では、行くとしようか」
「はい」
不正を暴きに行く。
私たちは工房の扉を開け、パーティー会場へと向かった。
本日21時にに第9話更新予定です。




