第7話 婚姻届①―予期せぬ結婚?―
「ミラ……大変なことになった……」
「何があったのですか?」
私は、いつもとまるで違うルーカス様の様子に驚いた。何があったのだろうかと嫌な胸騒ぎがする。
「僕……結婚していた」
「……は? ……それは……おめでとうございます」
私は胸がキュッと締め付けられる感覚を覚えた。
(私、ルーカス様が結婚していたことにショックを覚えているの?)
すると、ルーカス様は、頭をかきむしり、大きな声で叫んだ。
「違うんだ! 勝手に婚姻届を出されていたんだ! あの女が勝手にしたんだ!」
「勝手に? ルーカス様は同意なさってないのですか?」
「僕があんな女との結婚するはずがない! 死んでも嫌だ! 顔も見たくないと思っているのに!」
「ルーカス様、落ち着いてください。ゆっくりお話ください」
「ごめん、取り乱した。けど、ミラ。どうしたらいいんだ?!」
ルーカス様は、悲しげな目をしながら、事の次第を説明しだした。
◇
ある朝、ルーカスが出勤をすると、上司に呼び出された。
「ちょっといいかな」
「はい」
(何かミスでもしたか?)
周りに人がいないのを確認しながら、上司が小さい声で切り出した。
「まだ記憶の方は、その……戻っていないのか?」
「は?」
「いや、本人にはその話題を触れないでほしいってお願いされていたけど、さすがにいつまでも黙っているのもおかしいんじゃないかって思ってな」
「えーと、何をおっしゃっているのでしょうか?」
「うんうん。そうか。まだ記憶は戻っていないのだな。下手に刺激しない方がよいだろうからな。時間取って悪かった。仕事に戻っていいぞ」
上司は、うんうんと頷き、一人納得をして、席に戻ろうとする。
ルーカスは、慌てて上司の袖を掴む。
「ちょっと待ってください。おっしゃっている意味が分かりません」
「いや、お前の奥さんからさ。お前が家で頭をぶつけて、一時的に結婚の記憶がなくなっているって聞いて。結婚の話をすると、混乱するかもしれないから、それには一切触れずに今までどおり接してほしいとお願いされたんだ」
「僕の奥さん……?」
「あぁ。悪かったな。まだ治ってないなら、混乱させてしまったな。忘れてくれ」
そう言うと上司は、またもや席に戻ろうとするため、ルーカスはぐいと腕を掴んだ。
「ちょっと待ってください! 僕は頭をぶつけていなければ、結婚もしていません!」
「ケガをした記憶もなくなっているのだな。可哀想に……」
上司は、ルーカスに哀れみのこもった目を向けている。
「違います! その話ウソです! そもそも、僕の奥さんとは、誰ですか?」
「イザベラだ。よく弁当とか差し入れをしに来ていたじゃないか」
「……! イザベラ!?」
「あぁ。本当は、お前から報告があると思っていたのだが、突然イザベラ嬢が私のところにやってきたんだよ」
そう言うと、上司は、どこか気の毒そうに眉を寄せながら、話を続けた。
「イザベラ嬢がな、『結婚したけど、ルーカスが記憶喪失になっているから、今までどおり独身として接してあげてください。上には報告をしているので大丈夫です』っていうからさ。ちょっとさみしかったぞ。お前がイザベラ嬢と結婚するなんて知らなかったから」
「……僕は彼女と付き合ったことはありません。僕は彼女が怖くて嫌で、いつも逃げ回っていたんですよ!」
「え?」
「同僚のヘンリーに聞いてください! いつも僕が、どんなに怖い思いをしていたのかを聞いています。弁当も何度もやめてくれと言ってもやめなかったんです。僕がお弁当を食べているのを見たことありますか?」
「そ、そういえば、お前はいつも一人でパンを齧っていたな……え、どういうことだ?」
「だから、イザベラとは付き合ってないどころか、僕はイザベラのことが大嫌いです。だから、結婚するなんて、あり得ないんです!」
「でも、戸籍課のフランツが、ルーカスとイザベラ嬢の婚姻届を受理したと言っていたぞ」
「その婚姻届、偽物です! 僕があいつと結婚なんてあり得ない!」
「うーん。それが本当なら犯罪だな。……よし、書類を確認してみよう」
ルーカスは上司と一緒に戸籍課に行き、事情を説明した。
すると、戸籍課の担当者のフランツから、閲覧申請書にサインをするよう求められた。
「一応、正式な書類として受理していますので、正式な手続きがないと見せられないのです」
事情を聞いたフランツは困ったような顔をしてきた。
ルーカスは、正式に受理されているということに苛立ちながらも、閲覧申請書にサインをした。
そして、しばらくすると、フランツから1枚の書類を渡された。
「はい。これが受理されている婚姻届です」
「……お前、やっぱりサインをして、ハンコも押しているじゃないか」
フランツから渡された婚姻届を見た上司が言う。
「……確かに僕のサインに似ている。押印も僕のハンコに似ている」
「やっぱり記憶が混乱しているんだよ」
「そんなはずは……どうなっているんだ……」
「ルーカス。今日はもういいから、帰って休みなさい」
上司がルーカスの背中を軽く叩く。
「……はい」
◇
「ということなんだよ」
ルーカス様は疲れ切った顔で説明してきた。
「なるほど。その婚姻届の紙、ありますか?」
「いや、行政庁に保管されているから、持ち出すことは出来ないよ」
「私が見ること、出来ますか?」
「え? あぁ、僕と一緒なら手続きをすれば見ることは出来るよ」
「一度、見させてください。何か分かるかも知れません」
「ミラ、本当か!?」
ルーカス様が声を上げて、思わず机に身を乗り出した。
「実物を見ないことには明確には言えませんが、何か見えるかもしれません」
「すぐにでも見てほしい。いつなら王宮行政庁に来ることが出来る?」
「お客はルーカス様一人なので、いつでも行けます」
「わかった! じゃあ、またすぐに連絡をする」
「はい」
ルーカス様が勢いよく帰ろうとした。
「あ、ルーカス様! 一つ確認がございます」
「なんだい?」
「イザベラ様に、手紙を書いたことはありますか? たとえば、夜会への参加に対する返事とか」
ルーカスは鼻にしわを寄せて、汚いものを見たかのような顔をした。
「あぁ。以前、何度も夜会エスコートの手紙が来ていた。丁寧にお断りしていたけど、しつこいんだよ。返事を書いたけど、もう送らなくてもいいかと思って、引き出しの中に入れたままにしているのもある」
「返事を書いたけど、渡していないものがあるのですよね」
「あぁ。今自分で話すまで存在も忘れていたよ。帰ったらさっさと燃やしてしまおう」
「待ってください! その送っていない返信の便せんも、行政庁に行くときに持ってきてください」
「あぁ、分かった。ミラが言うなら捨てずに持って行くよ」
「ありがとうございます。では、ご連絡お待ちしています」
そしてルーカス様は、風のように去って行った。
明日12時に第8話更新予定です。




