第6話 訪問記録―その理由につき不明―
工房の扉が開き、カランと澄んだ音が店内に広がった。
「いらっしゃいま――またルーカス様ですか」
「やぁ。今日は、市場で売っていた美味しそうなトマトを持ってきたよ」
ルーカス様が、工房に逃げ込んできてから、数日間は、いつもの工房であった。
しかし、週末から、その『いつも』が変化した。週末にルーカス様が、再び工房を訪れると、その後も週末になると、度々訪れるようになっていたのだ。
最初は、先日のお礼という名目でやってきていたのだが……
(なぜ、毎週末のように来ることになったのかしら?)
きっかけは、あの最初の週末だった。
◇
「……ルーカス様。おはようございます」
ルーカス様が工房に走りこんできてから数日後の週末。
私が朝の支度を終えて、準備運動がてら好きな模様を木材に彫ろうかと思っていたところに、ルーカス様が工房に現れた。
「ミラ。おはよう。先日は本当にありがとう。今日はそのお礼を持ってきたんだ!」
そういうとルーカス様は、花束を渡してきた。
「これをミラにと思って」
深い紫のバラと淡いライラックを組み合わせた小さな花束だった。光を受けて花びらが微かに艶めき、控えめなのに品のある華やかさを放っている。
「ミラの瞳の色が深い紫色だから、花屋で目にとまったんだ」
「……ありがとうございます」
「あまり気に入らなかったかな?」
ルーカス様が、悲しげな目でこちらを見ている。捨てられた子犬のようだ。
「いえいえ。ありがとうございます。花びらや葉っぱの形など、デザインの参考になるので」
「そうか! それは良かった……んだよね?」
ルーカス様は、少し複雑そうな顔をしている。
私はルーカス様からもらった花束を、花瓶代わりのコップに入れて、机の隅に飾る。
「もう朝から作業しているのかい?」
「はい。好きなので」
「今日は、ミラが作業をしているのを見ていても、いいかい?」
「構いません」
そう言うとルーカス様は、椅子を引っ張り、私の隣に座った。
「……ルーカス様。近すぎます。作業の邪魔です」
「あぁ! ごめんごめん!」
ルーカス様は慌てて、椅子を少し離れたところに持って行く。
しばらく小刀で削る音だけが響く。
「ふぅ……」
私は、考えていた複雑な線がうまく彫れたので、一息をついた。
「すごい集中力だね」
「……! ルーカス様! 集中しすぎて、忘れていました!」
窓の外を見ると、日がさんさんと入っている。だいぶ時間が経ってしまっていたようだ。
私は作業に熱中すると、すぐ時間を忘れてしまう。
「すみません! 退屈でしたよね」
「いや全然。惚れ惚れしていた。この技術は誰にも習っていないのかい?」
「はい。独学です」
「すごいなぁ。こんな腕があれば、あっというまに人気職人になるだろうに」
そう言いながら、ルーカス様は、私の作品を手に取る。
「これは、何を彫っているのだい?」
「それは、ワシとツタのデザインです。ワシをモチーフとする家紋の貴族の方は多いので、練習をしています」
「ハンコに家紋も入れるのか?」
「はい。お名前と家紋を入れさせていただきます。希望があれば他のデザインでも」
「普通、ハンコは名前だけだよな。そこにデザインも入れるのか! それは、かなり緻密で大変な作業だろう」
「えぇ。ただ、まだ注文は1件しかありませんので、実際には練習としてのデザインしか彫ったことはありません」
「デザインだけのスタンプとしても、かなりレベルが高い。こんなスタンプは他では見たことはない」
ルーカス様は感心しきっている。
「ルーカス様のおうちの家紋は、何をモチーフとしてらっしゃいますか?」
「ん? 我が子爵家は、月桂樹と羽ペンをモチーフにした家紋だ」
「羽ペン。ルーカス様のおうちは、代々文官出身なのですね」
「あぁ。そうだね。ただ、僕は次男だから、どのような職に就くかは自由だったんだけど、自分に向いていると思ったから文官を選んだんだ」
「そうなのですね」
「うん。兄にも、家のことを考えなくていいって言われたけど、自分で自分の道を選んだら、文官だった、っていう流れなんだ」
自分で自分の道を選ぶ。
私と同じだ。私も、自分で貴族を捨てて平民を選んだ。
一人で自立して生きていくために、ハンコ職人を選んだ。
(ただ、今はまだ自立できるほどの収入はないけど)
「……自分で選ぶ。とても素敵な決め方ですね」
「ほんと? みんな、文官家系だからねぇって言うんだよ。レールに乗っただけでしょって言われているようでさ。でも、ミラにそう言ってもらえて嬉しいよ」
ルーカス様はニコニコと答える。
その輝く笑顔を見ると、確かに周囲が見惚れてしまうのも分からなくはない。
「ところで、こんなに集中して作業をしたらお腹がすかないかい? どこか食べに行かないか?」
「ルーカス様、ありがとうございます。ただ、私はもう少し作業に集中したいので」
「そっか……分かった。じゃあ、ミラの邪魔にならないように、そろそろ僕は帰るね」
ルーカス様は、帰ると言いつつも、何か言われたそうな雰囲気を出して、椅子をゆっくり戻したり、意味なく机を拭いたりしている。
「はい。お気をつけて」
「……じゃあ、また」
名残惜しそうにルーカス様が帰っていく。
私は机の片隅の花に目をやり、少し笑う。
私にとって花は、そこら中に咲いているものだった。ただ、領地に咲いていた花は、鮮やかな色ではなく、たくましい色をしていた。その花びら・葉っぱは複雑な形で、私は花を摘んで家に飾って眺めていたことを思い出した。
周りを見渡す。
工房はこじんまりとして、木のかけらが沢山積まれている。全体的に茶色の部屋だ。
キレイな花を飾るのもたまにはいいかもしれない。
そんなことを思いながら、再び小刀を握り返し、作業に没頭した。
◇
そんなことがきっかけとなり、たいてい週末になるとルーカス様が工房にきて、私の作業を眺めていくという日々が続いていた。
私は、毎日ハンコを彫っての生活を送りたいが、仕事の注文がないのでそうも言っていられない。
私は、またアルバイト先を探して、働き始めたのだったが……
「ミラ! まさか今日は職場で会えるなんて思わなかったよ」
私の今度のアルバイト先は、王宮行政庁。ルーカス様が働いているところだった。
私は、行政庁の法務部の戸籍課で、しばらく書類の整理を手伝うアルバイトとして働くことにしたのだ。
「ルーカス様、おはようございます。今日から2週間、こちらでお手伝いをするのです」
「そうなんだ! 分からないことがあったら、何でも聞いてよ」
「ルーカス様は商務部ですよね。自分の部署の方に聞くので、大丈夫です」
「……僕は他の部署のことも分かるよ? 何でも聞いて」
私はルーカス様を無視して、自分の仕事に集中した。
「ミラ? おーい。まだ始業時刻前だよ。ちょっとくらいお喋りダメ?」
「……」
「おいルーカス、何の用だ? 君は商務部だろ」
法務部の上司が眉をひそめる。
「おはようございます。えー失礼いたしました……」
ルーカス様が肩をすくめながら、自分の部署へと帰っていった。
「君は、ルーカスと知り合いなのかい?」
法務部の上司が私に尋ねる。
「はい。たまに工房に来ています」
「へぇ……あの女嫌いが?」
上司は立ち去るルーカス様の背中を見ながら、少し意外そうに笑った。
「……私のハンコを作る作業をただ見て帰るだけです」
「ふーん。そんな趣味があったのか。知らなかったな」
◇
「ルーカス様。職場でも何度もお会いしているのに、工房にもしょっちゅうくるなんて……暇なんですか?」
「そんな冷たいこと言わないでよ。ミラは僕にとって貴重な相手だから、つい様子を見に来てしまうんだよ」
ルーカス様は、商務部の仕事として、商会の営業許可書などの文書を作っている。その書面のチェックのために、度々法務部に来ていた。
それくらいのチェックは自分たちの部署で出来るのではないかとも思わなくはない。
しかし、書類のチェックは慎重に慎重を重ねても問題はないので、チェックを断る理由はないだろう。法務部とはいえども戸籍課の手伝いのはずの私がなぜか駆り出されて、結果的に、私はルーカス様と、職場でも顔を合わす機会が多くなっていた。
それに加えて、ルーカス様は仕事以外でも、ちょくちょく工房に顔を見せにくる。
……嫌だというわけではない。
最初は、お礼として花を持ってきていたが、徐々にお菓子、そして今は食材を持ってくる。
花を沢山もらっても、工房には花瓶がない。
甘い物も積極的に食べない私にとって、食材は一番、実用的で嬉しい。
ルーカス様もそう学習したようで、市場などで新鮮な食材を持ってきてくれる。
(私、餌付けされているのかしら)
そして、なにより、ルーカス様は、デザインスタンプも注文してくれる。
ただ、仕事での確認印などに使うスタンプなので、デザイン性は非常にさりげない。
とはいえども、私の常連客の一人。大切なお客様だ。
毎週末になると、ルーカス様が食材を持ってきて、私の作業を黙って見る。
そんなことが習慣となっていたあるとき。
ルーカス様が青ざめた顔で店にやってきたのだ。
本日21時に第7話更新予定です。




