第5話 釣書―イケメン現る―
その日も、私はいつものように工房で、淡々と手を動かしていた。
バタン!
突然、扉が開いた。
反射的に、視線をあげる。まさかのお客様か?
「いらっしゃいま――」
「すまない! 少し身を隠れさせてくれ!」
長めの髪を後ろに一つに縛っている男性。
金色の髪が光を受けて輝いている。上背があり、引き締まった身体であることが外から見ても分かる。整った顔立ちは彫刻のようで、彫りの深い高い鼻筋と切れ長の瞳。薄く色づいた唇は端正であり、世間一般は、美男子というのだろう。
(お客様ではない、ということか)
私はすぐに、その男性から目線を外し、手元の作業に目を移した。
私はまた自分の時間に没頭する。
「それは何をしているんだい?」
「……!」
私の肩が小さく跳ねる。
(没頭しすぎて、この人の存在を忘れていたわ)
「あ、すまない。驚かせて。しかも、突然入ってきて、名乗りもしていなかったな」
「いえ。事情は分かりませんが、困っているのならば、いくらでも隠れていてください」
そう言いながら、私は手元のハンコの彫りに少し削りの甘さがあるのを見つけた。
修正するために、小刀を持ち直したところ……
「私は、ルーカス・ヴァルデンという。王宮行政庁の商務部にて文官をしている」
指先が一瞬止まる。
またしても、一瞬、彼の存在を忘れて、彫る作業に没頭するところだった。
「私は、ミラと申します。ハンコを作っております」
「ハンコ? ちょっと見せてもらっていいかな?」
そういうと、ルーカス様は、机の上にあった完成品を手に取り、まじまじと見ている。
「非常に緻密なデザインだ。これは、君が一人で作ったのかい?」
「はい」
「とても素敵だ。この店には、師匠がいるのか?」
「いいえ。ここは私一人の店です」
「え! とても若いのに、一人で?」
ルーカス様は目を丸くしている。
「……ハンコ工房の営業許可申請は、僕が担当ではなかったから気づかなかったなぁ。こんな若い子が一人で独立しているなんて」
ルーカス様が一人でブツブツと言っている。
「……ところで、もう大丈夫なのですか?」
「え? ……あぁ! 申し訳ない。突然入ってきて、理由も言わずにペラペラとしゃべってしまって」
「いいえ。ご事情は人それぞれおありでしょうから」
「実は、ある女性に追いかけられそうになって、逃げている途中だったんだ」
(……理由を聞いてもいないのに、話し始めたわ)
ルーカス様は、その瞳を伏せながら話す。
長いまつげが目立ち、陰のある雰囲気がさらに色気を醸し出している。
「それは……大変ですね」
「あぁ。ハッキリ断れない自分も情けないのだが、相手は公爵家で、子爵家の自分よりも爵位が上でね。ボディタッチをしてきたり、あたかも恋人かのように接してきて……恐怖なんだ」
ルーカス様はそのときの光景を思い出したのか、ぶるると身震いをした。
「さっきも遠くに彼女がいるのが見えてね。捕まったら大変だと思って、こちらに逃げさせてもらったんだ。突然で驚かせてしまっただろう。すまない」
「いえ」
私は、ルーカス様の顔をまっすぐ見ながら、言葉短めに答える。
(うーん、もう大丈夫なら早く帰ってくれないかなぁ)
ルーカス様が視線を外す。
「ミラは……大丈夫なのかい?」
「何がでしょうか」
(早くハンコ作りたいから、大丈夫じゃないけど!)
私は心の中で突っ込みながら、ルーカス様の顔をじっと見る。
ルーカス様は言いづらそうな顔をしている。
「あーその、なんだ。自分で言うのもなんだけど、みんな私の顔を見ると、のぼせたような目線をしてくるんだ。中には、顔を真っ赤にして倒れかける女性もいる」
「はぁ」
「だから、極力、人と目線を合わせないようにしている」
沈黙が訪れる。
(話は終わりかしら? 作業続けてもいい?)
「ミラは……なんというか、こんな狭い空間に、私と二人きりでも、なんともないから、大丈夫なのかな? と思って」
狭い店。なにげなく悪口ではないだろうか。
「そうですね。ルーカス様のお顔立ちは、非常に整っているとは思います」
私は改めて、ルーカス様の顔を真正面からじっくりと見る。
ルーカス様の方が、なぜか顔を赤らめて、顔を背けた。
「でも……顔なんて、しょせんは『ハンコ』のようなものです。人が誰かを識別するためのものであって、内面を写すものでも、本質を語るものでもないですから」
ルーカス様は、驚いた表情で私の方を見る。
そして、視線を落として静かにつぶやく。
「……なるほど。顔はハンコか……」
その短い言葉に、胸の奥で何かが響いたようだ。
長いまつげの陰に隠れた瞳がわずかに揺れ、眉の角度が微かに変わる。唇をかむ仕草に、ほんの一瞬だけ弱さが覗く。
「そんな風に、考えたことはなかった」
声は明るく、でもどこか落ち着いていて、軽やかに笑ったその表情は、先ほどまでの陰のある雰囲気とは異なる。
その瞬間、私は少し「可愛い」と思ってしまった。
「ミラ。君はすごいね! 幼く見えるけど、達観しているというか、大人というか」
(ルーカス様には何歳に見えているのかしら。そんなに幼くみえるのかなぁ)
「みんな僕の顔しか見ていないと嫌気がさしていたんだ。けど、顔という表面に一番とらわれていたのは僕自身だったのかもしれない! ミラ、ありがとう!」
そういうと、ルーカス様は私の手を取り、上下にぶんぶんと振る。
「ルーカス様。木くずがついてしまわれます」
「あぁ! ごめんごめん! 君の手は、商売道具なのに!」
そういうと、私の手を離そうとしたが、ルーカス様が私の手をじっと見ている。
「なにか?」
「……ずいぶん努力したんだね。若いのに一人で店をやるというのは、かなりの覚悟と努力がいるけど、それがこの指先に現れている」
私は自分の指先に目線を落とした。
あちこち切り傷がある。指先についたインクの炭の色は洗ってもなかなか落ちない。
「ありがとうございます……そろそろ手を離していただけますでしょうか」
「……! ごめん!」
ルーカス様が慌てて私の手を離す。
「あと、わたし、若くはありません」
「え? 何歳……って聞いてもいいのかい?」
「はい。私、もう18歳です」
「……まだ18歳だよ! あぁビックリした。僕より4歳も年下じゃないか」
ルーカス様は笑いながら、胸をなで下ろしている。
「でも、18歳なのに、もう一人で店をやるって……ミラも色々あったんだね」
「えぇ」
色々ありすぎた。
確かに18歳は、世間一般的には若いのかも知れない。しかし、私にはそんな感覚はない。
辛さや悲しさ、楽しさなど、過去の色々な気持ちが入り交じり、胸が苦しくなってきた。私は胸の 苦しみを振り払うかのように、再び小刀を握る。
「ルーカス様。もう大丈夫でしたら、私は作業に戻らせていただきます」
「あ、ああ。仕事中に邪魔をしてすまなかった。本当にありがとう」
ルーカス様が、さらに何かを言いたそうにしていたが、私は気にせずに、小刀を動かす。
「じゃぁ。お礼はいずれ、また今度する」
ルーカス様はそう言いながら、扉を開けて、帰って行った。
再び一人の世界が戻った。いつもと同じ時間が流れる。
ただ、その空気は余韻を残しており、私にわずかな寂しさを落としていった。
明日12時に第6話更新予定です。




